依頼016


「……はぁ……ヤニが美味ぇ…」


 宿泊するオアシスの湖畔亭の正面玄関の前に置かれた椅子へだらし無く腰掛けるオルソンは、すっかり陽が昇り、照り付ける日差しの下で溜め息混じりに紫煙を吐き出した。


 その隣へ腰掛けるショウは背凭れへ体重を預け、脚を組みながら相方と同様に紫煙を吐き出している。


「…いくらになっかなぁ…」


「…さぁ…相場が分からん」


 疲れた様子でオルソンは相方へ尋ねつつ宿の脇に設けられている馬小屋の中で飼い葉や水を貪る馬とラクダへ視線を向けた。


 新たな敵が発見出来ないのもあって、その寸暇を利用した彼等ーー主にオルソンは手始めに捕らえた馬に跨がって主を失った馬やラクダの手綱を掴んではオアシスへ連れ帰る作業を続けた。


 捕まえたのは馬が2頭、ラクダは4頭。

 残りは砂漠の彼方へ逃げるか、主と共に巻添えを喰らって死んだかのいずれかである。


「あの娘こには悪ぃが…ぶっちゃけた話すると…」


「戦闘をやって安い報酬では割りに合わない、か?」


 雇用主であるジャスミンが宿の中でショウが認したためた契約書を二枚書く為、この場にいない事を良い事にオルソンが苦言を呈すればショウも同意するのか頷きながら続きの言葉を漏らした。


 ほぼ徹夜だったのは我慢出来る上に慣れている。

 だが、身の丈に合った報酬は支払われて然るべき。

 それが傭兵である二人にとっての共通認識だった。


「…にしても……普通に書けたな」


「俺も驚いた。まさかしっかりこちらの文字が書けるとはな。……それよりもジャスミンが文字の読み書きが出来る事に驚きだ」


 この世界の識字率がどれほどかは知らないが彼等が生きていた世界では、かつての歴史を紐解けば一般庶民の識字率というのは決して高いモノではない。


 自分の名前が書ければ上等。そんな時代や地域はいくらでもあり、それは現在の発展途上国ではより顕著でもある。


「…で、契約書にはなんて書いたんだ?」


 彼が淀みなく羊皮紙へ書き綴っているのを横目で覗き込んでいたオルソンが改めて契約内容を尋ねるとショウは唇の端へタバコを銜えながら口を開いた。



 傭兵雇用契約書


   雇用主:ジャスミン・アウディーニ

  護衛対象:同上

 被雇用傭兵:ショウ・ローランド オルソン・ピアース

  契約内容:被雇用傭兵であるショウ・ローランドならびにオルソン・ピアースは雇用主兼ねて護衛対象たるジャスミン・アウディーニに対して行われる殺害、暴行等を始めとする傷害の意図を持つ個人或いは集団をあらゆる手段を以て無力化すると共に五体満足で親族の下へ送り届ける事を誓約する。

 尚、上記が達成せざる場合については金銭的報酬の全額を返納する事を重ねて誓約する。



「ーーまぁ、こんな感じか」


 契約書へ綴った内容を諳じたショウは緩く紫煙を燻らせつつ脚を組み換えた。


「ちょっと待て…全額の返納ってお前…」


「不服か?」


「不服も不服…大不服だよ…」


 言葉通り、大層不服なのかオルソンは腰掛けた椅子を揺らし、銜えタバコのまま隣のショウへ人差し指を突き付けた。


「良いか相棒? 俺らはほぼ徹夜で戦ったよな?」


「戦ったな。とはいえ入口付近を掃討した後は監視だったが…」


「俺はそこらを駆け回って…そこの馬小屋で草と水を喰らってる馬とラクダが見えるか? 奴等を捕まえてたぞ。その手間賃すらも返納になるのか?」


「…そうなるなぁ…」


 気にした様子もなくショウは口内へ溜めた紫煙を吐き出すと空中へ輪っかを作り始める。


「お前さぁ…」


 その態度を見て、さしものオルソンの額に青筋が浮かび上がるもショウはタバコを唇の端へ銜えると改めて相方に横目を向ける。


「言っておくが…五体満足で親族の下へ送り届けられなかったら、の話だぞ。凄惨な現場を見て発狂しようが、斬り付けられたりして傷物になろうが…“五体満足であれば”良いだけだ。条件としては難しいものじゃないだろう?」


 彼の説明を聞くとオルソンは呆気に取られたのかぱちくりと瞬きを繰り返した。


「…お前…それ揚げ足取りって言わないか?」


「だとしても…契約は契約だ。何か間違ってるか?」


 首を傾げてショウは指を突き付けたままの相方へ尋ねるとオルソンはやがて腕を下ろし、半分ほどまで短くなったタバコを摘まんで地面へ灰を叩き落とす。


「…まぁ…うん……確かにな…」


「問題はないだろう?」


 重ねてショウが問い掛ければオルソンは小さく頷いて同意を示した。


 日差しが照り付ける中、彼等は日光浴の合間に夜は吸えなかったタバコを堪能しつつジャスミンが宿から出てくるのを待った。


 ショウが三本目のタバコを携帯灰皿へ押し込んだ頃、待ちかねていた少女が宿から出て来て正面玄関口の前で屯している二人へ歩み寄るとショウへ二枚の羊皮紙を差し出す。


「あの…こちらで宜しいでしょうか?」


 肺へ残っていた紫煙を唇の端から吐き出すと差し出された二枚の羊皮紙を受け取った彼はそれぞれを通読し、間違いなくそれは自身が綴った契約書である事を認めた。


 その最下部には少女の姓名が同意を表すサインとして綴られ、共に朱色の蝋を垂らして印璽が押されている。


「その印璽はお父さんの物ですが…」


「…そうか…」


 形見という所だろうと彼は考えつつ羊皮紙を膝の上に置き、ボールペンを取り出すと少女の名前の下へ自身の姓名を書き綴り、次いで傍らの相方へ差し出した。


 吸い掛けのタバコを地面へ落とし、半長靴の靴底で踏み潰したオルソンも差し出された二枚の羊皮紙とボールペンを受け取り、ショウ同様に自身の姓名を綴る。


「これで正式に契約成立だ。遅くなったが…今後とも宜しく頼む」


「はい…こちらこそ宜しくお願いします」


 少女が深く頭を下げるのに対し、二人の傭兵は軽く首肯するだけだった。


 ボールペンのインクが乾くのを見計らってオルソンは羊皮紙の一枚をジャスミンへ手渡し、残った一枚は丸めてカンドゥーラの下へ履いているズボンのポケットへ捩じ込んだ。


「早速だがジャスミン。あそこで飯を喰らってる奴等を何頭か売りたいんだが……何処か売れる場所はないか?」


「ラクダの肉は美味いけど……丸ごと一頭を絞めるってなると…。馬も美味いんだけど…」


 売れないようなら殺処分した上で食肉用に解体する事を仄めかしながら二人が尋ねるとジャスミンはやや考え込んだ。


「そうなると…やっぱり市場でしょうか。ラクダを馬を売買する業者がいますので…そこで売るのが一番だと思います。あんな事があった後でも…市場はやってるでしょうから」


「なるほど……」


 彼女の助言に頷いたショウは立ち上がりつつ携帯灰皿をオルソンへ差し出した。一方のオルソンはボールペンを彼へ返却する代わりに携帯灰皿を受け取り、その中へ踏み潰したタバコを放り込む。


「悪いが案内してくれるか? あいつらを売った金で報酬の補填に充てたい。…まぁどれほどになるかは分からないが…」


 ショウが頼み込むとジャスミンは快く頷いた。それを見た彼は仕事を渋るオルソンを急かしてラクダ一頭と馬二頭を連れて来るよう指示する。


 渋々と腰を上げ、馬小屋から三頭の手綱を引いたオルソンが出てくると彼等はジャスミンの案内で市場へ向かったのだった。





「一見だからって足元見やがって…」


 売買を終え、宿の近辺まで戻って来たショウは酷く不満顔だった。


「…無言の圧力掛けておいて…足元見やがって、って言葉が出るのに俺は驚いてるよ相棒」


 売買の交渉中の事を思い出したオルソンが彼へ突っ込むとジャスミンが乾いた笑い声を漏らす。


 ラクダの売買を扱う業者は確かに市場の外れで数頭のラクダを繋いで立っていた。

 その初老の男の業者に買い取りを交渉したのはジャスミンだった。最初は彼女の年齢が若い事もあってラクダが汚いだの、歳を取りすぎているだの、と難癖を付けていたのだが、背後に立っているショウとオルソンーー特に前者からの無言の圧力が凄まじかった。

 両腕を組み、今にも人を殺しそうな程の眼力で睨み付けつつ見下ろす様に気付いた初老の業者は大幅に買い取り価格を吊り上げ、晴れて売買は完了したのだった。


「ほら…馬も買い取ってくれたじゃん?」


「砂漠じゃ馬の価値は低い、って事で足元見られただろう」


「…正論なんだよなぁ…」


 本来ならラクダだけしか売買はしない所を特別に馬二頭も業者は買い取ってくれたのだから多目に見よう、とオルソンは窘めるもショウは不満が収まらないようだ。


「…ほら…三頭合わせて3500リールだったんですから…」


 ジャスミンも加勢するように隣を歩くショウを見上げて声を掛ける。

 馬が一頭あたり銀貨一枚と銅貨20枚の700リール、ラクダは金貨2枚と銅貨10枚の2100リールという売買結果である。


 言外に適正価格だったのではないか、と彼女が告げれば、流石のショウも腹立ちを収めて溜め息を吐き出した。


「…まぁ…そういうなら…」


 なんでそっちの言う事は聞くんだ、と今度はオルソンの腹が立ってしまい額に青筋が浮かぶ。


 宿までもう少しと思いつつ一行が歩き続けていると正面玄関の扉の前に立つ2名の人影があった。


 いずれも武装しており、大きな布で肌を見せないよう身体を覆っているが足下から覗く脚甲とブーツが統一された意匠となっているのを見たショウは昨日に眼前を擦れ違った一団の装備と合致する事に気付く。


 ジャスミンを背後に隠したショウとオルソンがその2名の兵士らしき者達の挙動に注意しながら歩み寄る。


 目と鼻の先まで歩み寄ると兵士らしき2名も彼等の存在に気付き、視線を向けつつ布の下に纏っている鎧の金属音を響かせて距離を詰めて来た。


「昨夜の襲撃の際、獅子奮迅の活躍をしたと聞く傭兵を探している。お主達で間違いないか?」


 開口一番に片割れが尋ねて来る。


 それを聞いた二人は顔を見合せ、視線で正直に話すべきか否かを相談した。


 面倒臭そうにオルソンが頷くとショウは視線を眼前の2名へ戻して口を開く。


「獅子奮迅、というのがどの程度かは分からないが……二人揃ってそれなりに殺してはいるぞ」


「そうか。…手数だが、とある御仁が話があるそうだ。同行を願う」


 面倒な事になりそうだ、と彼等二人はほぼ同時に同じ事を考えてしまったという。

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