依頼010
昼食時を迎えてもいないのに滞在するオアシスの街の通りは喧騒に満ちているーー泊まっている宿から街へ散策へ出掛けたショウはそう考えた。
(…だが…待てよ。…この世界ーーいや、この地方は一日何食が基本なんだ?)
時代、国や地域、あるいは宗教によって日々の糧となる食事の献立や制限、一日何食かという事は変化する。それが思い浮かんだ彼は顎に手を添え、考えてみるがーーザラリとした髭の感触に苦笑した。そう言えば全然剃っていないな、と思い至ったが別段困る事はない。剃れるなら剃る、剃れないなら剃らない、それで構わないとすら考えているのが彼という人間だった。
(ーー宿での食事は朝夕の二食が提供される。受付の娘…ジャスミン・アウディーニだったか? あの娘も朝夕どちらも付けるか聞いて来た。昨夜の酒場の賑わいからしても夕食を摂るのは普通の事なのだろう)
地球の中世欧州では日に二度の食事を摂っていたという。昼と夜に食事を摂るのだ。間食を摂るのは珍しくはなかったそうだが、肉体労働とは無縁の上流階級がそれを食べる事の必要性は薄く、また“間食を摂らない”という事そのものが社会的ステータスになっていたという。
(…とはいえ…俺からすると食える時は食えるだけ食いたいのが本音だ。まぁ当時の慣習に何を言っても意味はないんだが…)
当時は当時、と自身の価値観で物を語っても意味はないと判断した彼は人混みの中を掻き分けながら行く宛もなく歩き続ける。
道行く人々が総じて痩身、身長も低いーーそれに今更気付いたショウは人混みから離れ、家々の軒下に移動すると自身とは違い、行く先や目的地がある人々を見ながらカンドゥーラの下へ纏っている戦闘服のポケットからタバコを抜き取り、口の端へと銜えてジッポで火を点けた。
「……160……いや165cmってところか。立端があっても170そこそこ、か」
ショウの視界の端に革鎧を纏った青年と思われる年頃の名も知らぬ男が入ったが、その青年が一番背が高かった。彼の目視での測定では175cmそこら。もしかするともう少し低いかもしれない。さぞかし鍛えているのだろう、と思うがやはりその青年も周囲と同様に痩せている。
眼前を青年が通り過ぎると彼は深く吸い込んだ紫煙を唇の端を窄めて細く吐き出した。
(…貧しい、んだろうな…)
人間の身長や体格というのは時代の食生活にも影響されるが親からの遺伝、貧困にも影響がある。
筋肉を手っ取り早く付けるには或いは筋肉量維持の為には適切なトレーニングやそれに応じたカロリー摂取ーー肉、魚、卵から摂取できる動物性たんぱく質を身体へ取り入れる事が推奨される。
幼少の頃から食事や栄養が充分に取れている人間は全員とは言わないが平均身長よりも上に行く事が多い。勿論、長身の両親の間に産まれた子供は長身となる事は約束されたも同然であるが、それでも食事は切っても離せない。
その食事を充分に得られるかどうかは近親者の裕福かであるか否かも関係してくる。
(それと疾病…か)
貧困にあえぐ家庭というのは裕福な家庭に比べて不健康であり、充分な食事を口にする事は中々叶わない。所謂、食べれるなら良い、という所だろう。
その衛生状態が世辞にも良いとは言えない環境で傷んだ食べ物を口にし、一度疾病へ罹ると治癒には時間が掛かる。それが幼少の頃に罹り、下痢となれば雀の涙ほどしか得られていなかった栄養は体外へ出てしまい成長の妨げとなってしまう。
(……それを考えれば……俺、ここまで良く成長したな…)
自身もそれに当て嵌まる所があるようで彼は溜め息混じりに紫煙を緩く吐き出した。
現代日本とは思えない生活環境ーー勿論、人によっては「ホームレスのような宿無しに比べればマシ」と返してくるような環境であったのは否定しない。だが彼なら「ホームレスは暇さえあれば他人から殴られ、あるいは蹴られるか?」と尋ね返すだろう。そして「残飯を床に捨てられ、それが飯だ、と毎食の度に言われるか?」と重ねて問うかもしれない。
「ーーん?」
なんとも表現し難い感情が心中に渦巻きながら紫煙を燻らせていると不意に眼前の通りを忙しなく行き来していた人々の群れが割れ、通りの両端へ移動したかと思うと先程のように各々の目的地を目指して歩きだした。人の波に飲まれないように彼は家の壁を背にしながら移動を始める。
邪魔にならないよう人々が空けた通りの中央をラクダに牽かせる荷車ーー馬車と言った方が良いだろうが、牽いているのはラクダである。天蓋が取り付けられ、座席を拵えた荷台へ砂漠の強い日差しで皮膚が乾燥しないよう素肌や顔を布ですっかり覆い隠した衣服ーー彼には見慣れたムスリムの女性が纏うニカブを思わせる服を着た人影が腰掛けている。
見慣れた衣服を思わせる意匠を纏う人影を懐かしさから彼は視線で追ってしまうが、その周囲を守るように配置された人間達ーー彼や他の人々と同様、皮膚の乾燥を防ぐ溜め息、厚着をしている者達からは鎧か鎖帷子を纏っている事が察せられる金属が擦れる音が微かに聞こえた。
(ーー揃いの半長靴ブーツと脚甲……正規兵?)
足下から覗く装飾などが施されていない無骨な印象を受けるそれらを見た彼は足以外は見えないが装備が統一されている可能性を感じ、領主などが組織する正規軍の兵士である事を推測した。そしてなにより行進に慣れている。装備が統一され、行進などの団体行動も統一されているとなれば、正規の組織である可能性は非常に高い。
だが、あくまでも可能性と彼が考えていると荷車の座席に腰掛けた目元だけ隠されていない碧眼が不意に彼を捉えた。
それを感じた彼の濃い茶色の瞳も視線を向けて来る人物を捉える。
(……やはり、女、か…)
身体全体を布で覆い隠しているが、隠しようのない線の細さ、そして胸の膨らみから女性と察するのは然程難しい事ではない。
暫しの間ーー時間にして数秒ほど二人の視線は交差しあったが、彼の眼前を通り抜ければ自然と視線は外れた。
一団が通り過ぎると空いていた道は再び雑踏と化する。
短くなったタバコを携帯灰皿へ投げ込み、カンドゥーラの下に纏っている戦闘服のポケットへ滑り込ませた彼は小さくなっていく一団ーー天蓋へ覆われた荷車へ視線を送ると、やがて興味を失ったかのように人混みの中へ消えて行った。
宿で夕食も済み、彼は対面のベッドへ腰掛けつつ武器の手入れを行う相方へ明日の朝早くに宿泊の延長を頼む事を告げた。
オルソンも拒否はしなかった。砂漠越えをするには装備はもとより情報が少ないのもあって危険と判断していたからだ。
このオアシスを発つのは二日後を予定にする事を打ち合わせで決め、各々の武器の手入れも終わると二人は早々と灯りを消し、ベッドへ横になった。
だがーー彼等が所持している腕時計の針が午前0時を過ぎた頃、彼と相方は浅い眠りから一気に覚醒し、音を立てず静かにベッドから両足を下ろすと手早く半長靴を履いて靴紐を締める。
月明かりが差し込む室内で二人はベッドの枠へ掛けていた装具を取り付けた弾帯を掴み、Y時のサスペンダーを肩に食い込ませ、腰へ回すと腹側でバックルを留めた。
足音からして二人ーー部屋を検めているのか時折、近くのいくつかの部屋の扉が次々と開け放たれているのが聞こえた。
彼と相方は弾帯へ吊るしていた銃剣を鞘から引き抜いた。砥石で良く研がれた銃剣を手に握りつつ二人は素早く唯一の出入口である扉の両側面へ移動する。
ーーちょうど二人が扉の横へそれぞれ移動して刹那、右隣の部屋の扉が開けられる音が壁と扉越しに彼と相方の耳を打った。
〈ーー二名を想定。一人一殺〉
〈ーー先に俺が殺る〉
互いにハンドサインを送り合い、ショウが先に一名を片付ける事を告げると反対側にいるオルソンがサムズアップする。
壁に背中を密着させ、息を殺して気配を消していると二名分の足音が泊まっている部屋へ近付いて来る。オルソンが乾いた唇をぺろりと舌で舐める頃ーー部屋の扉が静かに、ゆっくりと開けられた。
蝶板で止められているのはオルソン側となり、彼は侵入して来た者達からは隠れて見えない事になる。
だが静かに部屋へ侵入してきた二名の顔を黒い布で隠した者達は壁に張り付いているだけのショウの存在にすら気付かないようだった。その二名の手にはーー両刃の短剣が握られている。
それを認識した時点で良からぬ方法で何かしらを企む輩である事は明白だった。
部屋へ二歩ほど足を踏み入れた瞬間ーーショウは背中を壁から離し、足音を立てず一名の背後へ忍び寄ったかと思えば左手で相手の口を塞ぎながら抱き寄せ、右手に握った銃剣の切っ先を喉笛へ突き立て真一文字に掻っ切った。声帯や頸動脈へも損傷を受けた相手はビクビクと身体を痙攣させる。
それとほぼ同時にオルソンが扉の影から飛び出し、残った一名をショウと同様の手口で片付けた。
やがて痙攣も収まり大人しくなった二名を彼等は静かに床へ寝かせたかと思えば、銃剣の刃に付いた血と脂を骸と化したそれぞれが纏う衣服へ擦り付けて綺麗に拭う。
「……次からはワイヤーかピアノ線が欲しいぜ」
「…掃除が面倒だからか?」
ショウが尋ねればオルソンは頷いて肯定した。それへ彼は微かな溜め息を吐きつつ、考えておく、とばかりに首肯した。
銃剣を鞘へ納めようとした瞬間、彼方から女性ーーまだ年若いとも取れる悲鳴が聞こえると彼等の手が止まる。
どうやら異常はこの部屋だけではないらしい。それを悟った彼等は再びハンドサインを送り合うと開け放たれたままの扉から僅かながら顔を出して廊下に人気が無い事を認めてからショウを先頭にして足音を立てず部屋を抜け出た。
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