第16話 マモノ出現


 

 俺たちが回った露店は宝石屋のみだ。それだけだというのに随分時間を食った。芸者の観覧もあったが、それにしたって時間がかかりすぎだ。朝早くに家をったのだがもう既にお昼時である。この人混みもあるから仕方がない。

 

 芸者については正式にはちゃんと観れていないのだが、彼ら芸団はしばらくこの街の各地にそれぞれ滞在するようだしまた今度の機会にしよう。


「ヨーア、そろそろお昼にしないか?」


「え? もう?」


「ほら」


 俺は首にぶら下げた懐中時計をヨーアへ見せた。

 この懐中時計はユーリさんに借りたもので、今朝渡されたのだ。夫であるガルアさんから最初の結婚記念日にプレゼントされたものらしく、質素な素材だが気品溢れる懐中時計だ。ユーリさんはこんな大切なものを俺なんかに渡してもいいのだろうか。


「あっほんとだ! もうお昼だ!」


「一旦どこか落ち着ける場所にでも行こうか。えーっと……なになに?」


 俺は依頼書の裏面に記載されたこの町の簡略図を見る。すると、「お昼ならここで!」と海岸沿いの防波堤に丸印がデカデカと記されていた。


「海でも見ながらご飯食べよっか」


「うんっ! ならそこの青果店と精肉店の間の路地を進んだ方が近いよ!」


 簡略図にはその手のことは記されてはいなかった。子どもだから分かる近道というやつか。


 人にもみくちゃにされながらも握った手は離さず搔きわけるように横へ横へと進み、なんとか青果店と精肉店の間の路地へ出た。しかし、この路地は狭く、人一人入るのがやっとな狭さだった。

 なるほど、これは確かに子どもにしか分からない近道だ。


「ヨーア……ほんとにこの道であってるのか……?」


「大丈夫だよ! お兄ちゃんにはちょっと狭いかもだけど、これが近道だから! あっそこ右」


「えっ、ここ右? さっきより狭くない?」


「大丈夫大丈夫!」


 ヨーアが抱えているバスケットもギリギリ通れる程の狭さだ。


 窮屈な道を進んでいくと、潮の香りとブルーの景観が見えてきた。


 海だ。


「おお、本当に海岸に出たな」


「でしょ? あ、お兄ちゃんほっぺた黒くなってる」


「え、ほんと? んぐ……」


 ヨーアはポケットからハンカチを取り出すと、背伸びをして俺の頬を拭いてくれた。


 あんなに狭い道を通れば頬が汚れてもしょうがない。現に頬が壁にくっついていた。


「ありがとう」


「えへへ」


 頭を撫でてやるとヨーアはあいも変わらず嬉しそうにする。


 俺たちは手を握り直し、防波堤へと向かった。



 ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎



「美味しいね! お兄ちゃん!」


「ああ、そうだな。このサンドウィッチなんか特に……これはコル塩とペッパーの味付けだな」


 コル塩……なんて便利な調味料なんだ。もしかして料理にならなんでも合うのかな。俺は底知れぬワクワク感を密かに胸の内に抱いた。どうやら俺という人間は料理が好きらしい。


 ヨーアはお腹が余程お腹が空いていたのか、サンドウィッチを凄まじい勢いで口の中へ放り込んでいった。


「ヨーア、まだあるからそんなにがっつかなくてもいいぞ?」


「あっ……」


 ヨーアの顔がみるみる内に赤く染まり、サンドウィッチを食べるペースが極端に遅くなった。


「食べ盛りだもんな。俺の分は気にしなくていいから、沢山食べろよ?」


「た、食べ盛りじゃないもん! ふんっ!」


 とは言っているが、徐々に食べるペースが戻っているところを見るに無意識なんだろう。


 かなりの量があったサンドウィッチだが、ものの見事に空になった。ほとんどヨーアが食べたのだが、この子の食欲は凄まじいなと実感した。ドワーフの性質なのだろうか。


「はい! お兄ちゃん!」


「ありがとう」


 ヨーアが木製の水筒からお茶を備え付けのコップに注いでくれた。

 俺は勢いよくお茶をグイっと飲み干した。ユーリさんがかけてくれた『魔法』で水筒の中身は常に冷え続けているため冷たくて美味い。


 俺は飲み終わるとヨーアから水筒を取って、コップにお茶を注いだ。


「はい、ヨーア」


「ありがとうお兄ちゃん!」


 ヨーアはニッコリと微笑むとお茶に口をつけようとした。

 しかし、寸前でヨーアの手が止まった。


「どうしたヨーア、飲まないのか?」


「ち、ちがうよ? 飲むよ? 飲むから、飲みますからっ!」


 ヨーアは物凄い剣幕で俺に言うと、勢いよくお茶を飲み干した。そして、何故かポッと顔を赤くした。


「ヨーア、顔赤いぞ? 熱でもあるのか?」


 ヨーアの額に手を当てると若干熱くなっていた。人混みで疲れたのかな。


「はわ、はわわ」


「うち帰るか? 調子が悪いなら無理しなくてもいいんだぞ? また別の日に行けばいいんだし」


「大丈夫だから! わたしは元気だから!」


「そうか? ならいいんだけど。気分悪くなったらすぐに言えよ?」


「うん……」


 ヨーアはどこか煮え切らない様子だ。まあ何にせよ、本人が元気だというなら大丈夫だろう。


「お弁当も食べたし、次の所へ行こうか」


「うんっ! 次はどこに行くの?」


「えーっとな、次は確か……岬峠とうげみさきか。ハイキングだな」


「ハイキング! いいね! 早く行こう!」


 腰を上げヨーアと手を繋いだ、その時——


「ギシャャャャャャャャッ!!!」


 鼓膜が破れそうな程甲高く、爆音の奇声が突如として起こった。

 その奇声が上がる方向へと耳を抑えながら視線を向ける。その奇声の主は俺とヨーアの目の前、海ににいた。そいつは俺とヨーアを目に捉えるとバシャンッと波を大きく一掻きし、陸へと飛び上がった。


「きゃあっ!!」


「俺の後ろに隠れていろ!」


 ヨーアを俺の後ろ側へと行かせ、目の前の生物と対峙する。

 

 見たことがない生き物だ。少なくとも俺の記憶にこのような生物はない。


「ギシャア……」


 禍々しいまでの黒い瘴気、生臭い体、剥き出しの刃のように鋭利に尖った無数の牙。

 どれ一つとっても人に嫌悪感を与えるには十分だった。


「お、お兄ちゃん……! あれは……マモノ! マモノだよっ!!」


 人類が恐れ忌むべき存在。マモノ。

 本でも読んだが、本の中でのマモノは人型だった。ただどす黒い瘴気を纏ってるという点は一致している。


 マモノはゆっくりとこちらへ近づいてくる。俺は自然と一歩、また一歩と後ずさる。


「お前はなんだ! お前たちマモノは何故人間を襲う!」


「ギシャ……」


 マモノが止まった。

 急に止まった。


 人語を理解しているのか、それとも俺が発した声に警戒しただけなのか。


 何にせよこの状況はまずい。せめてヨーアだけでも逃がしたい。


「おい、どうなんだ!」


『お前たち……人間のせいだ……』


 マモノは応答した。人語で。

 とても低く聞き取りづらい声だったが、マモノは確かに喋った。


「俺たち人間のせい?」


『意味もなく我らを忌み嫌い、殺し、住処を奪うお前たち人間のせいだ。殺らなければこちらが殺られる』


「それは本当なのか?」


『……やはりな。お前たちの先祖は子孫に何も伝えなかったのだな。があれほど尽力を尽くしたというのに、救われんな』


「あの人間? あの人間とは誰だ!」


『……お前があの人間と同じ力を持っているのは偶然か、それとも宿命か。お前がこれから成すことは上手くゆく事ばかりだとは思わないことだ。は結局……上手くいかなかった』


 マモノはそう言い残し海の中へと飛び込んでいった。

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