第8話 ヨーアの気持ち
ヨーアが部屋に閉じ籠ってから一時間は経った。
呼びかけにも応答せず、だんまりを決め込んでいる。
まさかここまで大ごとになるとは思わなかった。
「ごめんなさいね? あの子、やっぱりお父さんのことを引きずっているみたいで、どうしてもホープさんと重ねてしまうのよ」
「はい……それは……分かってます。でも、だからと言ってここで折れる訳にはいきません。ちゃんと働いてこの家にお金を入れる。そして、いずれこの家を旅立つ資金を集めないといけません」
俺は人としての道義を果たさなくてはいけない。
家に住まわせてもらっている立場で家事だけするというのは俺の気が済まない。
記憶が戻るまで家にいて欲しいと言われたからには、この家に住む以上俺も働くべきなのだ。
「ホープさんが冒険者登録をした訳も、考えも、ヨーアは全て分かっていると思います。あの子は賢い子ですから。ちゃんと話せばあの子も分かってくれると思います」
ユーリさんは優しく微笑みながら言った。
「そうですね。ヨーアは賢い子ですもんね」
そう言って俺は両手で自分の顔をペチンと叩き部屋中に乾いた音が響く。
「いてェ……」
「だ、大丈夫ですか!?」
ユーリさんは驚いた顔で俺のことを見た。
いきなり自分の頬を叩いたのだ、それは驚くだろう。
「自分にカツを入れただけです。それじゃあ、今からヨーアと話してきます」
「……はい。ヨーアなら、きっと大丈夫です。ホープさんのこと、きっと分かってくれます」
ユーリさんは微笑んだ。
そして、俺はヨーアの部屋へ向かった。
ヨーアならきっと分かってくれる。そう信じて。
⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎
「お兄ちゃんの……ばか……」
わたしは一人ベッドでうずくまり溢れ出る涙を毛布に押し付けた。
わたしはお兄ちゃんから逃げた。現実から逃げた。
お兄ちゃんがどうして冒険者登録をしたのかは分かってる。わたしとお母さんのためだ。
そんなこと分かってるよ。だってお兄ちゃん、優しいもん。
でも、いざお兄ちゃんの口から「冒険者になった」なんて言われたら、私は居ても立っても居られなくなった。
だめ、だめ、だめ。
冒険者になんかなっちゃだめだ、と。
私の大好きな優しいお父さんは冒険者だった。そしてお仕事中、お父さんはマモノに殺された。
もうお父さんは死んじゃっていないのに、また会えると心の中では思っていた。
もう二度と会えないと分かったのはお父さんが死んじゃってどれくらい経った頃だろうか。
その時から胸に大きな穴がぽっかりと空いたような気持ちだった。
お父さんが死んじゃってからしばらくの間、お母さんが隠れて泣いていたのも知ってる。
こんな辛いこと、二度と味わいたくない。わたしも、お母さんも。
お父さんが死んじゃってからニ年。私には新しく大切な人ができた。
とってもとっても優しい、わたしの大好きなお兄ちゃん。
本当の兄妹ではないけれど、わたしは本当のお兄ちゃんのように思ってる。
だから、そんな大好きなお兄ちゃんが冒険者になって、お父さんと同じようなことになったら……考えただけでもおかしくなりそうだった。
もう、失いたくない。
大切な人をこれ以上——
コンコン
誰かがドアをノックする。
お母さんかな? お兄ちゃんかな? きっと……
「ヨーア、ちょっといいか……?」
やっぱりお兄ちゃんだ。
「あのだな、えーと、きょ、今日のピーマンの肉詰め! またいつでも作ってやるからな! 食べたくなったらいつでも言ってくれ!」
ああ、ほんと、お兄ちゃんは……。
わたしを説得しに来たんでしょ? なのに……ふふ、もう、バカなんだから。
優しくて、バカなお兄ちゃん。
そんなお兄ちゃんが、私は大好き。
でもね、ちょっとだけ意地悪させてほしいの。
きっと、今お兄ちゃんを見たら駄々をこねて、いっぱい泣いて、ワガママになっちゃうと思うの。
だから、許してね。
「……ヨーア、入るぞ」
ドアがゆっくり開き、わたしの大好きなお兄ちゃんが部屋へと入ってきた。
「っ!」
わたしは一目散にベッドから降り、お兄ちゃんへ抱きつき泣き喚いた。
何も考えられない。
お兄ちゃんはそんなわたしに初めは驚いた様子だったけど、そっと抱き返してくれて、優しく頭を撫でてくれた。
ほんっと、ズルいなぁお兄ちゃんは。
「よしよし。そのままでいいから俺の話を聞いてくれないか?」
わたしはお兄ちゃんの胸の中でこくりと頷く。
「俺は冒険者になったけど、それはヨーアのためでも、俺のためでもあるんだ」
知ってる。知ってるよお兄ちゃん。
「俺はこんなにも幸せな生活を送らせてもらってる。可愛い妹もできた」
か、可愛いって……もう!
「俺はな、この家、家族のために少しでもお金を稼ぎたいんだ。それが今俺にできる二人への恩返しなんだ」
ううん、違う。違うよお兄ちゃん。
一緒にいるだけで十分恩返しになってるんだよ? 居てくれることがどれだけ、どれほど、わたしにとって嬉しいか。
「お兄ちゃんの……バカ……」
「え? バ、バカ?」
そんな分からずやなお兄ちゃんはバカだ。
バカバカ! バーカ! ……バカだけど、これがわたしのお兄ちゃん。
わたしの大好きな、お兄ちゃん。
「お兄ちゃん……死んじゃ、だめだからね……?」
「大丈夫だよヨーア。俺は死なない。約束する」
「……ほんとう?」
「ああ本当だ。俺はこんな可愛い妹を残して死ねないよ」
そう言ってお兄ちゃんはわたしのことをより強くギュッと抱きしめた。
「バカ……」
お兄ちゃんに強く密着し、安心感とポワポワとした不思議な気持ちに包まれた。
おそらく今のわたしは決して悲しい顔はしていないだろう。とても人には見せられないニヤけた顔をしているかもしれない。
だってしょうがないじゃない。
大好きなお兄ちゃんに可愛いなんて言われてギュッと抱きしめられてるんだから。
「お兄ちゃん……大好き」
わたしはお兄ちゃんの胸の中、聞こえないくらい小さな声でそう言ったのだった。
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