第2話 記憶喪失


「お、美味しい……」


「あら、お口にあったようでで良かったです」


 俺は熱々のクラムチャウダー……と思われる料理をがっつくように貪っていた。


 アサリやホタテなどの二枚貝。プリプリかつほどよい弾力があって堪らない逸品だ。


「お母さんの料理はとても美味しいんですよ」


 ヨーアはさも自分の事のようにドヤ顔をした。

 そんなヨーアのお皿は既に空である。


「ふふ。二人とも、おかわりはまだまだたくさんありますからね」


「はい。お言葉に甘えさせて頂きます」


 ヨーアの母は、俺とヨーアのお皿を持って台所へ向かった。


「あの、お兄さん」


「ん? なにかな」


 ヨーアがもじもじしながら俺を呼んだ。


「お兄さんのお名前を教えてくれますか?」


「え、名前……?」


 そういえばまだ自分の名前すら伝えていなかった。


「ああごめん。まだ言っていなかったね。俺の名前は……」



“君の名前は——“


 

 なんだ、今の声は。

 それもどこかで聞いたことがあるような……


「どうしたんですか?」


「ああ、大丈夫。言うね。俺の名前は……名前は……あれ、なんだっけ……」


 自分の名前が出てこない。

 それどころか、自分が何者であるかすら分からなかった。


 思い出そうとしても、記憶にモヤが掛かったように不鮮明だ。


「自分のお名前が分からないのですか?」


「あ、ああ。ごめん」


「記憶喪失……?」


「うん。多分それだ」


 この状況にはそれが一番当てはまるだろう。


「おかわりを持ってきましたよ」


「お母さん大変だよ! お兄さん、記憶喪失なんだって!」


 台所からクラムチャウダーのおかわりをよそいで来てくれたヨーアの母に、ヨーアは駆け寄る。


「あらまあ……。それは大変です。全く何も思い出せないのですか?」


 ヨーアの母は俺を心配そうに見つめる。


「んー……ダメみたいです。全く思い出せません」


 やはりいくら思い出そうとしても何かモヤが掛かったように、見えそうで見えない。


 ヨーアも心配してか、オロオロとしながら俺の側に寄ってきた。


「ごめんねヨーアちゃん。名前、言えなくて」


「い、いえいえ! 今はどうしたら記憶が戻るか考えましょう!」


「そうだな。……それも大事なんだけど、おかわり、食べようか。せっかくの美味しい料理が冷めちゃうよ」


「そうですね。腹が減っては退治は出来ぬと言いますしね!」


「え、そこはいくさは出来ぬじゃないの?」


「え……? 退治で合っていると思いますけど……」


 不思議そうな顔をするヨーア。


 あれれ、「腹が減っては戦は出来ぬ」だよね。ひょっとして俺が間違って覚えていたのか?

 

 まぁいいか。


「あ、ああ! そうだそうだ。腹が減っては退治は出来ぬ、だったな。記憶喪失だとことわざも忘れてしまうみたいだ」


 俺はハハハと笑い、クラムチャウダーのおかわりを食べ始めた。

 うーん、美味い。美味すぎる。


 俺に続くようにヨーアも食べ始める。


 俺が記憶喪失と分かった以上、ここに長居する訳にはいかない。

 お昼ご飯を頂いたらお礼をしっかり言って、早急に立ち去ろう。今後このような親切な人と出会えるとは分からない。今はこのありがたい幸せを、目一杯堪能しよう。



“君の名前は——“


 

 まただ。またあの声だ。


 だが今は食べることに専念しよう。それくらいこのクラムチャウダーは美味しい。


 美味しそうに食べるヨーアを微笑ましく眺めながら、俺はこれからのことを考えていた。

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