二番目の魔女
奏 ゆた
二番目の魔女
シエスタは、深い溜息を漏らした。もう何度目になるだろう、彼女はかれこれ数十分このドアの前に佇んでいる。何度も何度もノックをしているのだが、部屋の主は一向に姿を見せない。シエスタは温厚な性格ではあるが、さすがにもう限界だ。意を決して、持っていたスペアキーで部屋の鍵を開けた。
「旦那様! いつまで寝ていらっしゃるおつもりですか!」
この屋敷の家主であり、シエスタの雇い主であるジュード・アナキスは部屋の大半を占めるキングサイズのベッドの中でもぞもぞと動いてその存在を知らせている。しかし、シーツにくるまれたその身体を外に出す気はないらしい。
「嫌だ! 行きたくない!」
「我儘おっしゃらないでください! 今日は貴方の誕生パーティーですよ! 主役が居なくてどうするのですか!」
ジュード・アナキスは、家主にしては若く、今日で十八歳になる。ジュード・アナキスの両親は有名な実業家であったが、昨年渡航先で不慮の事故に巻き込まれ、帰らぬ人となった。まだまだ遊び隊盛りのジュード・アナキスだったが、こうして両親の代わりに屋敷を守り、事業を引き継いでいるのだ。毎日毎日、朝から夜まで働き詰めで、若さが取り柄の彼でもさすがに根を上げてしまった。そうして、毎日の疲れが誕生日である今日、たまたま爆発したのである。
「さぁ、あと一時間もすれば皆様お集まりになられます! 急いで支度してください」
「わかったよ」
渋々と言う様子で、ジュード・アナキスがシーツから出て来る。その容姿は、年齢の割には幼い顔立ちで、本当に彼が家主なのか疑うほどだ。綺麗なブロンドの髪は寝癖でボサボサだし、まだ眠いのか瞳は閉じられそうになっている。しかし、仕事となるとジュード・アナキスは別人のように成果を上げた。それが、他の事業者の間で噂となりジュード・アナキスの名は瞬く間に広まったのである。
支度をするからと部屋を追い出されたシエスタは、パーティー会場である広間のチェックをしょうと廊下を進む。シエスタがこの屋敷に来て五年が過ぎた。シエスタは、所謂孤児だった。十八歳まで孤児院で過ごし、それからは仕事を転々としながら暮らしていた。
アナキス夫妻に出会ったのは、シエスタが飲食店でアルバイトをしていた時のことだ。酔っ払った客がアナキス夫人に絡んでいたのを助けたことで、話があれよあれよと進み、気付いた時にはこの屋敷で寝泊まりしながら働いていた。昔のジュード・アナキスを思い出し、シエスタは笑みを浮かべる。あの頃は可愛かったな、と思いながら会場のドアを開けた。
「あら、シエスタさん」
「あ、タニア様! もうお越しになっていたのですね……! 気付かずに申し訳ございません!!」
タニア・アルモンドは、着飾ったドレスを悠雅に揺らして、シエスタを見つめた。大きな蒼の瞳は吸い込まれそうな程綺麗で、透き通った肌に赤のドレスがよく映えている。
タニア・アルモンドはジュード・アナキスの婚約者である。
家が近く、両親の仲が良かった為、必然的に遊ぶ機会も多かった。タニア・アルモンドは幼い頃は病弱で、寒い日に外に出るとすぐに風邪をひいてしまうような子どもだった。そんなタニア・アルモンドを見ていたジュード・アナキスは幼心にこの子を守らなくては、と強く思ったのだった。
「いえ、わたしが早く着きすぎてしまったから……」
そう言って、頬を紅潮させる彼女はとても愛らしい。ジュード・アナキスの誕生日パーティーが待ち切れない様子で、ソワソワとしている。
すると、シエスタの後ろにあるドアが勢いよく開かれた。
「おい、シエスタ! このスーツ少し小さいんじゃないか……って、タニア、来てたのか」
「ジュード! 誕生日おめでとう!!」
向日葵のような明るい笑顔で、タニア・アルモンドはジュード・アナキスにお祝いの言葉を述べた。その笑顔にジュード・アナキスが含羞の色を浮かべたのは言うまでもない。
「ありがとう、タニア。今日は楽しんでいってくれ。シエスタ、ちょっと来い」
「あ、はい。タニア様、ゆっくりなさってください」
シエスタはタニア・アルモンドに一礼して、ジュード・アナキスと一緒に大広間を後にした。
姿見の前に立ち、ジュード・アナキスはスーツが小さいのだとシエスタに伝える。シエスタはワンサイズ大きいものをすぐに用意します、と言い急いでクローゼットの中を探した。
「それにしても、タニアの奴、しばらく見ないうちに背が伸びていたな」
「ふふ、女性はすぐに変わりますよ。ジュード様がタニア様を繋ぎ止めていないと他の男性に取られてしまうかもしれませんよ?」
「それは……! ……お前も意地が悪いな」
「え……?」
「そうやって、余裕なのが腹立つんだよ」
ワンサイズ大き目のスーツを手渡しながら、シエスタは、ジュード・アナキスの言った言葉の意味を考える。
「……別に、お前を俺の二番目にしてやってもいいんだぞ!」
「それは、一番目のタニア様にきちんとご自分の気持ちを伝えてから考えてくださいな」
「っな……!」
口をぱくぱくさせるジュード・アナキスを横目に、シエスタは涼しい顔で部屋を後にした。料理の準備は終わっているだろうか、確認のために厨房へと向かう。シエスタは、先程のジュード・アナキスの言葉を思い出し、複雑な表情を浮かべた。二番目。その言葉がどれだけ悲しい言葉か、彼は分かっていないのだ。シエスタがジュード・アナキスに主人以外の別の感情を抱いていることは、決して悟られてはいけない。だから、シエスタは余裕な振る舞いを見せる。しかし、心の奥底では違った。ジュード・アナキスと結ばれたいと思っているし、タニア・アルモンドに嫉妬してしまう自分が心底浅ましいと思ってしまうのだった。
「はぁ……私も報われないな」
シエスタはそう呟いて、乾いた笑いが出た。報われないのは解っている。だから、自身の気持ちを押し殺して、ジュード・アナキスと接しているのだ。
厨房では、忙しなく料理長やスタッフが往来している。それもそのはずだ、招待客は三百人以上だ。数日前から仕込みで厨房はフル稼働していた。
丁度横を通った料理長に進捗状況を確認し、指示を出す。どうやら料理の方は順調に準備が進んでいるようだった。シエスタは一安心し、大広間で待たせているタニアに飲み物を届けるべく、グラスにトニックウォーターを注ぎ、それを持って大広間へと向かった。
「失礼します、タニア様お飲み物を……」
そこには、タニア・アルモンドとジュード・アナキスの姿があった。彼らはどちらからともなく口付けを交わす。それを目の当たりにして。シエスタの精神は崩壊した。
持っていたグラスをトレイごと落としてしまい、ガラスの割れる音が部屋に響く。それに気付いた二人がシエスタの方を見た。
「あ……私……すみませんっ!」
そう言うや否や、シエスタは部屋から逃げ出した。
シエスタは、タニア・アルモンドとジュード・アナキスがお互いに惹かれ合っているのには気付いていた。しかし、その事実を受け入れたくなくて、気付かない振りをしていた。しかし、あんなものを見てしまえば、もう決定的だった。瞳からは大粒の涙が溢れ、頬を伝う。シエスタは自分の部屋のドアを開け、なだれ込む様にして部屋へと入る。ベッドに突っ伏して声を殺して泣いた。そうして一頻り泣いて、涙が涸れた頃、立ち上がり、ヨロヨロと机に向かい、引き出しの中から一本の鋭いナイフを取り出す。
これは、シエスタがまだ仕事を転々としていた時に護身用として身に付けていたナイフだ。今はもう必要ないのでこうして机の中に仕舞っていたものだ。
ナイフの刃には、シエスタの顔が映っていた。その顔は虚ろで、焦点が定まっていない。
「叶わないのなら、いっそ……」
そう呟いて、ナイフを服の内側に隠す。彼女は何事もなかったなのように、部屋を後にした。大広間には、大勢の客が集まっていた。その中心にいるのはジュード・アナキスだ。
シエスタはゆっくりとジュード・アナキスの元へと近づく。その表情は、晴れやかだった。
「シエスタ、大丈夫か? 心配した、ぞ……」
「ご心配かけて申し訳御座いません。もう、大丈夫です」
ニッコリと微笑んだシエスタの顔は高揚していて。ジュード・アナキスは、そんな彼女の顔を見るのは初めてだった。そうして、それがジュード・アナキスの最後の記憶となる。
ジュード・アナキスの腹部に、ナイフが突き立てられ、ドクドクと鮮血が溢れ出した。周りに居た客は悲鳴を上げ、逃げ惑う。その中には、タニア・アルモンドの姿もあったが、シエスタにはどうでも良かった。
ジュード・アナキスの亡骸を抱きしめて、その頬に口付ける。あぁ、やっと彼は私のものになったんだ。シエスタの心は満たされていた。
この屋敷には、『二番目の魔女』が住んでいる。
そう実しやかに噂され出したのはいつからだろう。もう、彼女にとってはどうでもよい事だった。
魔女は、この屋敷に男女を幽閉して次々と殺していく。それは、彼女が一番になれなかった為だと誰かが囁く。
だが、殺しても殺しても、彼女が満足することはないだろう。彼女が一番手に入れたかった相手は、既に彼女の手により亡き者へと変貌した。彼女はただ、彼と幸せになりたかったのだ。しかし、もうそれを叶えることは出来ない。
彼女が満足する日は、決して訪れないだろう。どれだけ殺しても、彼女は『二番目』なのだから。
二番目の魔女 奏 ゆた @yuta_k73043
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