第三話 俺専用リョーコ(後半・二)

 強く抱き付いてくるリョーコを、アラヤは渾身の力で引き剥がす。


「離れろっ。心配しなくても、その恐怖の元は絶ってやる」


 そしてその勢いのまま彼女の左目の辺りを、痛みの残る右手で――そっと撫でた。


「ひえあっ! あ、貴方様に愛撫あいぶをして頂けるなんてっ!」


 愛撫とは――愛しい相手の体を溢れる愛情を以て撫でさする――というような意味の言葉だが、ここではリョーコの完全な思い違いによって出てきたに過ぎない。


 しかしそれでも彼女は今間違い無く、至極の幸せを感じていたのであった。


 アラヤはそんなリョーコの様子には興味を示さず、彼女の髪、そして耳へと右手を添わせていき、同時に左手の人差し指では印章を描く。


 ――指にこんなに鋭い赤い爪が伸びてるのに、それが当たってても全然痛くない……。なんて繊細な手つき……。貴方様は、テ、テクニシャンなのですね……。


 一人でそう感銘に浸るリョーコを余所に、アラヤは印章から出現した騎槍を手にし……彼女の左目から左耳から感じ取った――悪魔サクスの魔力の残滓を元に、奴の居場所を探知してみせていた。


「――そこだな! スレッド・ソーイング!」


 アラヤはリョーコの顔から手を離し、通行人達の只中に向けて騎槍を投擲とうてきする!


「わきゃあっ!?」


 アラヤが騎槍を出していた事にも全く気が付いていなかったリョーコが、派手に驚きの声を上げる。


 ――こんな人通りの中で、あ、危なくないの、かな?


 そんな心配もするが、しかしそれは杞憂きゆうである。


 一糸を縫い込む――その念を籠めた魔技スレッド・ソーイングは撃つべき対象だけを目掛け、途中に存在する遮蔽物に対してはその合間あいまを縫うような軌道を取るのだ。


 この魔技を使うには相手や遮蔽物の正確な位置、それに相手の魔力や精神の波長をアラヤが感応する必要があるが。


 ――その為にさっきリョーコの顔に触れたのだから、問題はクリアしている。


 騎槍は赤く発光しながら飛び、何人かの通行人を避けた後、一人の……濡れたように長い茶色掛かった髪をした細身の女へと、真っ直ぐに進んでいく!


「ひいいいぃっ!?」


 女が身をよじった事と、何度かの軌道変更を経て角度が微妙に変わった事が繋がり、騎槍は女のゆったりした衣服の肩部分に刺さって――そのまま女の体ごと引っ張りながら遠くへと飛んでいくのであった。


 それは丁度リョーコが目指していた、人が寄り付かない区域の方角だ。


「あれがサクスか。民衆の中に普通に紛れているタイプの奴だな……」


 アラヤはそう独りごちてから、リョーコへと向き直った。


「お前、さっきの悪魔の魔技にやられたんだぜ」

「へっ?」


 要領を得ない彼女の返事に、アラヤは軽く溜め息を吐いてから言葉を続ける。


「悪魔は直接的、又は間接的、或いはその両方のやり方で人間の心に影響を与える――あのサクスは間接的なやり方を得意とする奴だ。そういう悪魔の魔技や戦い方は、人間には分かり難い。だから気を付けろ。ネットにそれらしい情報が上がってる時は、二重三重に疑って自分の頭で危険を判断するんだ」


 ――ここだけでなく、何処の事であろうとな。


 そう捲し立てるように注意を促したら、もうアラヤはこの会話は終わったとばかりにリョーコを置いて、奴が飛んでいった方へと歩き出していく。


「あっ……」


 何処までも相手とまともな会話をする気が無い。


 例え相手の事をおもんばかっている場合でも。


 アラヤの背中は自分が意図していなかったとしても、他者を寄せ付けない雰囲気を放ってしまう。


 少なくとも、相手の眼にはそう映ってしまう。


 しかし……。


 ――ア、アラヤ様が……私が悪魔の被害に遭った事を、め……めためた気に掛けてくれてるぅーーーっ!!


 このリョーコという女は、想いが余りにも強過ぎる所為で完全に盲目となっていたのだ。


「つ、付いて行きますっ!!」


 そう叫んで半ば条件反射的に、アラヤの左腕へとしがみ付いていた。


「ええっ!?」


 アラヤが派手に驚いていた。


 最初の時と違って痛みが無い分、今度はリョーコの胸の柔らかい感触がアラヤの精神をダイレクトに襲ってくる。


「わ、私は、貴方様のお役に立ちたいんです! は、半年間、ずっと、ずっと貴方様の事を……!!」


「な、何言ってんだこいつ!?」


 例え他者を寄せ付けないアラヤの雰囲気であっても、そもそもそれが見えていないのなら最初から無いのと同じ……。


 この盲目は誰の魔技に依るものでもない。

 リョーコの心に在るもの故なのだ。


「純真――。良いものを見せてくれるわね、彼女」


 ゴモリーはそう呟き、今はまだ二人の前に出ないでいようと思った。


 こちらは逆に半年間のアドバンテージを貰っていたのだから、多少の華を持たせる位はしてやろう――。


 不遜とも取れる思い、しかしその堂々とした姿勢が、ゴモリーという女の気高さをより洗練させるのだ。


「アラヤ様ぁーーっ!」


「半年間って……お前、まさか……」


 アラヤの脳裏に、或るビジョンが浮かんだ。


 アラヤが悪魔の力を得た、半年前のあの日に出逢っていた女の子……。


 ――ちょっと厚い下唇で口を開けば小うるさく、それでもくりっとした眼が利発的な印象として映った、色白の、綺麗な肌した和風人形みたいな髪型の女……そうだあの短かった前髪……少し伸びたか、左右非対称アシンメトリーになってるな……てか服装が凄まじく違ってるだろう、もっと普通の格好だった筈だ、一体どんな心境の変化だよ……。


 アラヤが今見ているリョーコは、顔周りと頭には余計な装飾が付いていなかった。


 それが、彼がここまで明確に思い出す事に繋がったのだ。


 ――終局へ続く――

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