第三話 俺専用リョーコ(後半・一)

「くっ……。テラー・シェード込みでも、流石に車相手は堪えるかっ……!」


 彼は苦悶に呻きながらも、不敵さ漂う力強い声でそう言っている。


 黒のジーンズに白のカッターシャツ姿。


 その全身から黒い影を、しかし動画で見たものとはまるで性質の違う、荒ぶる様相の影を放出させている彼。


 ボンネットを軽くひしゃげさせてしまっている、その左手に生えている赤く鋭い爪――リョーコはそれに見入っていた。


 アラヤは、車の運転手とフロントガラス越しに見つめ合う。


「……ひえっ!!」


 アラヤには何も脅かす気など無かったが、眼つきが余程ギラついていたのだろう……運転手の方は完全にその心を掻き乱されてしまっていたのである。


 ――……壊れた箇所を修理しろと言って来なくて良かったと、そう思っておくか。


 アラヤはそんな事を頭の片隅にチラつかせつつ、ゆっくりと左手をボンネットから退けた。


 その際たまたま赤い爪を運転手に見せ付ける形になって、相手の恐怖心を更に大幅増しにしたのだが、結果的にはそれが運転手に余計な事を考えさせずに済む要因ともなったのだ。


「はああっあっあっ、あ、悪魔っ!? た、頼むから命だけは取らないでくれぇっ!!」


「いや、それはこっちの台詞だよ。ヘタすりゃこの女を轢くトコだったんだぞ、お前」


 一人呟くように言ったアラヤのその言葉は、リョーコにだけははっきりと聞き取れていた。


「――あっ!!」


 ――わ、私を助けて下さったのですね、アラヤ様っ!


 そう思える所まで思考力が回復し、その上で深く感動に打ち震えるリョーコに、アラヤが遂に振り返った。


「あと俺は、悪魔じゃあない」


 誰に言うでも無くやや気だるげに独りそう言ったのが、リョーコには煌びやかな憂いを帯びているように見える。


 そんな彼女の腰へと、アラヤは自然な仕草で右腕を回した。


「ふぁっ!?」


 右腕には多少の痛みは走るのだが、まだ半分放心状態な彼女をここに放ったままにも出来ない。


 ――ゴスロリってやつか。まあ格好の趣味なんて個人のきだよな。


 リョーコの服装の見た目については、そんな風な事を思っただけだ。


 自分の赤い爪だって他人から見れば大概なのだから、その自分が誰かの格好をどうこう言う気は無いのである。


 リョーコが素っ頓狂な悲鳴を上げている隙に、アラヤはテラー・シェードで彼女の姿も覆い、立っていた交差点のど真ん中から瞬時に向こう側の歩道へと移動する。


 テラー・シェードが解かれてから、リョーコはようやく自分の身に起きた異変と、その結果を理解した。


「そうか! 何も見えないだけじゃなく何も聞こえてなかったから、信号が変わった事も車の走る音も分からなくなってたんだ……」


「へえ、お前意外と冷静だな。普通の人間ならもっと錯乱していそうなものなのに」


 不意にアラヤからそう声を掛けられ、リョーコは今度は自分がまだ、彼と密着状態である事に気が付いた。


 ――えっ!? はっ、そうか! ああっ、そうだっ!!


 さっきの自動車がアラヤから逃げるように走り出したのを皮切りに、他の自動車の流れも動き始める。


 そんな中で、リョーコは瞬時に、自分が今一番何をすべきかを判断してみせていた。


「きゃあっ! すっごく怖かったぁーー!」


 アラヤと距離が近いのを良い事に、わざと冷静ではなくなったフリをして、彼の胸へと思いっきり抱き付いて顔を埋めたのである。


 車道に飛び出した時からずっと周囲の者達の視線を受け続けている事などは、リョーコにとってはアラヤと出逢った時点で全くの認識外となっている。


「――いっ!? ぐぉおおおっ!!」


 しかしリョーコの顔が当たっているのは寄りにも依って、アラヤが傷を負った右肩の辺りなのだった。


「突然何も見えなくなってぇ、怖くなって走ったら今度は車に轢かれそうになってぇっ!」


「それはさっきも言ってただろ! 俺に二度言う必要は無いっての!」


「こうしてると少しは安心出来るんですぅ! もっとくっ付いてても良いですかー!」


「駄ぁ目だあああ! 俺の肩が、壊れるぅーー!」


 そんな二人の様子をゴモリーは、他の通行人達がそうしているのと同じように、少し離れた所から眺めていた。


「あら、あの子……。来るかもしれないとは思ったけれど、まさかここまで行動が早いとはね、ふふっ」


 ――(二)へつづく――

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