第二話 死力の尽くし方は知ってる(後半・二)

 黒灰色の厚いロングコートを羽織った白髪の、老人のような姿をした――悪魔アガレスが光から現れる。


 短く切り揃えられたその白髪はオールバックにキメられている。


 彫りの深い顔、そして鋭い眼光。


 例え老人の見た目であろうとも、奴はその佇まいだけで民衆を畏怖させた。


 そのアガレスを、しかしアラヤは徹底して睨み付けている。


「童よ、先ずはこの街への帰還を祝う。よくぞ帰ってきた」


 粛々とした様子でそう告げてくるアガレスは、次にアラヤの騎槍に向けて掌をかざし念を送る。


「――!?」


 念を受けた騎槍が浮き上がって、アラヤの手元へと戻ってきた。


「アスモデウスの、いや、今はお前の騎槍なのじゃったな。しかと返したぞ」


 何処までも余裕の態度で語り掛けてくるアガレスは、今度はレライエに向けて掌を向けるのだ。


「……ムゥ!」


 同じように波動を送り、レライエの右腕から噴き出る炎が、掻き消された。


「くっ……はぁ、はぁ……。おいアガレス、最初に俺の方をなんとかしろよ……」


 炎が消えてもその腕は酷く焼けただれている。


 しかしアガレスはゆっくりと首を横に振った。


「さっきの炎からは、童の掬火に似たものを感じたのじゃよ。童の怒り、殺意……そういったものが炎の源であるのなら、先に童の感情をほんの少しでも和らげるのが肝要と思ったのじゃ」


 冷静に、そう己の見解を述べるアガレス。


 その殆どが、実際当たっていた。


 違っていたのは一つだけ。


「のう、童よ?」


「……ハッ、俺のイラつきがお前を前にして収まるかよ。お前が俺の炎を消せたのは……奪った俺の掬火を、まだその身に残してやがるからだろう?」


 アラヤの心の奥底から、何かの波紋が生じるのを、ゴモリーは傍に居て察知する。


 その波紋は澄んだ感触ではあったが、だからこそ深く、彼の危険な感情の起こりなのだと気付くのだ。


「アラヤ。今は、退きましょう」


 穏やかな彼女が、この時は少しだけ、強い口調でそう進言してきたのである。


 アラヤは彼女のこの少しの違いが、実は大きいものだと知っている……。


「ああ、分かってる。分かってるさ……」


 彼が目を細めながらそう答えた事に、しかしゴモリー自身は安堵出来なかった。


「――ッ! アガレス、それにレライエも。私が彼を連れ帰る事を、邪魔立てしないでくれるわね?」


 彼女の口調は、少しだけ――激しい。


「構わん。儂は童の顔を一目見れただけで満足じゃ」


「フンッ。……さっさと行けよ。また次、殺し合えば良いだけの事だ」


 人間に似た、しかしその心は苛烈な悪魔そのものの二体……いや、二人の言葉をゴモリーは受け止めて、アラヤごと黒い影に身を包んでこの場から消え去ったのである。


「……まったく、可愛い童じゃのう」


 アガレスはそう呟いて、笑った。


 ※


 アラヤとゴモリーは、さっきの場から離れた何処かのビルの屋上に立っていた。


「ゴ、モリー……」


「アラヤ、もう少しの間は辛抱をして。応急処置だけは済ませるから」


 出血の影響からか意識の弱まるアラヤ。


 ゴモリーは彼を寝かせて、その右肩の銀の花弁へと右手をかざす。


「フッ!」


 ゴモリーの掌から波動が生じると、それを受けた銀の花弁が跡形も無く粉砕された。


「ぎぁっ!!」


 体に刺さっていた物が無くなれば傷口は開く、しかしゴモリーはそんな事など当然知っている。


 ゴモリーは即座に左手を手刀の形にして、右手の手首を躊躇無く切った。


 手首の傷から彼女の赤い血が、アラヤの右肩へと流れていく。


「――――ッ!」


 ゴモリーの魔技でその血はジェル状と変化して、肩の開いた傷を一時的にだが埋めるのだ。


「後は、本格的な治療をすれば大丈夫……」


 彼女はそう呟き、左手で右手首の傷を撫でる。


 手首の傷は瞬時に消えた。


 そこでようやく、ゴモリーはうな垂れて大きく息を吐いた。


「……有難う、ゴモリー」


 アラヤの言葉に、ゴモリーは顔を上げる。


「本当に、そう思ってくれてる? アガレスと戦おうとしたのを邪魔されて、怒っているんじゃないの?」


 彼女は奴を前にしていた時のアラヤから、確かに全てを投げ打つかのような心を感じたのだ。


「そんな風に見えてたのかよ。俺はそんなただの死にたがりじゃないって……」


 ……その言葉で、ようやくゴモリーは胸を撫で下ろした。


 アラヤが自分に、嘘を吐いてくれたから。


 彼が自分に、いい顔をしてくれたから。


 ――死力の尽くし方だって、貴方は知ってる癖に……。


「それにさっきさ、アガレスの野郎にも臆してなかったよな。……お前って、実は凄いヤツなんだよな」


「……貴方の足元にも及ばないわよ」


 ――やっと安堵した所にそんな風な、こちらをおもんばかる言葉を言ってくるなんて……。


 ゴモリーはそう思って、ほんの、本当にほんの少しだけ、自分の方からアラヤに腹を立ててしまった。


 顔には出さないように、気を付けるが……。


 そんな彼女の心を知りもせず、アラヤはここでも自分の言いたい事を言うのである。


「……掬火にこびり付いた感情の波長に、手前てめえの魔力を合わせられれば、魔技を解くのはそう難しくは無い。ならアガレスは俺にとって、厄介な相手になるよな?」


 その言葉を聞いてゴモリーは、彼のその言葉の裏に在るものを感じ取って、腹を立てるのをやめてやる事にした。


「そうね。……奴を倒す事を、現状、一番に掲げるべき目標として良いと思うわ」


「そうか。……そうだな」


 ゴモリーは言葉を大事にするとて、全ての気持ちをいつでも言葉で伝える訳ではない。


 心と心だけで、微かに触れている程度の方が丁度良い――そんな想いだってある。


 それは今で言えば、アラヤのとても敏感な想いを、外へとこぼしてしまわないようにと彼女が気遣う想いだ。


 ――第二話 完――

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