第二話 死力の尽くし方は知ってる(後半・一)

 レライエが今まさに撃とうとしている矢を、アラヤは視界の中心には入れていない。


 はっきりと意識を傾けて見ているのは弓を操るレライエの眼、そして腕。


 それらに宿る気力のたかぶり具合を、ほんの僅かでも見逃すつもりが無かった。


「――ッ!」


 アラヤはレライエの気力がピークに達する直前に、騎槍をぐるんと半回転させて、穂先を奴へと向ける。


 ――相討ち覚悟か! 全く人間が考える事とは思えんなぁ!!


 レライエも最早躊躇わない、こうまで昂ってしまったなら。


 アラヤの自ら血を流す覚悟に舌を巻くも、それならばとことん付き合ってやると目を血走らせるのだ。


「プレサイス・オーダー!!」


「ブルーミング・キル!!」


 一糸乱れず――アラヤの迷い無き殺意を汲み取った騎槍が、赤い光の帯となって空気を縫う。


 咲き誇りて殺す――レライエの最大の一射、己の仇敵にトドメを刺すただその一心に。


 殆ど同時に放たれた騎槍と矢は、直接激突などはする筈も無かったが……。


 しかし主達が纏わせた力という名の意思の大きさが、お互いを強く干渉させ合い――その結果、軌道を僅かに逸らす事になってしまった。


「ぐぅっ!!」


「がはっ!!」


 アラヤの右肩に銀の矢尻がめり込み、レライエの右腕を騎槍がかすった。


 かすっただけ……しかしそれだけでも、レライエの右腕は大きく裂かれて赤い血が噴出している。


 アラヤの――正確には悪魔アスモデウスの騎槍は、傷付けた個所を破裂させる魔力を有しているのだった。


 そして……。


「がああああ!」


 アラヤが苦悶の表情で叫びを上げた。


 レライエは苦痛の中でにたりと笑う。奴の方にはまだそれだけの余裕が有ったという事だ。


 レライエの銀の矢尻は相手の肉体に刺さった後に、まるで花弁はなびらのように幾重にも拡がっていた。


 アラヤの右肩が、内部から抉られる。


 銀の花弁が背中の肉までをも食い破って露出され、彼のカッターシャツから血が滴り落ちていく。


「アーッハッハァッ、お前の方が傷が深いなぁ! ほんの少し俺の力が勝っていたという訳かな、アラヤァ?」


 ――いや、これは感情の強さとうべきだなぁっ!


 レライエは心の中ではそう思っていたが、それは口には出さなかった。


 力の差だとしていた方が、きっとアラヤの方は悔しがるだろうと感じたからだが……。


 ……レライエとしては、感情の強さの方に重きを置きたい――という気持ちが有ったのだ。


 怒り、殺意……どうあれ、遥か過去から人間の感情を巧みに突き操ってきた我ら悪魔が、その人間相手に心で負ける訳にはいかない――と、そう強く思ったのである。


 しかし……。


 ――悪魔とて……負けて初めて知る事もあるのよ、レライエ。


 ゴモリーはそう心で呟き、濡れたように長い睫毛の奥の瞳を微かに潤ませた。


「……おいアラヤ、お前何をしている?」


 レライエが、声を震わせながらそう言った。


 アラヤは傷付いた右肩の、右手の指の方で印章を描いていたのである。


「はぁ……はぁ……っ!」


 動かす度に激痛が走る、しかしアラヤにとってはそれで良かった。


「こいつ! ――ぐっ!?」


 レライエは大弓を構えようとしたが、裂けた右腕で弦を引く事は不可能だった。


 アラヤは眼を見開いてその魔技の名を、この場で今初めて叫ぶ!


「ブラッド・バーストォ……!!」


 魔技とは使用者の魔力だけでなく、その念の強さでも効果が増す。


 アラヤは己の傷、そこに生じる燃えるような痛みの感覚を、逆に研ぎ澄まし――


「ぐぅおおおおああ、アァラヤァーーー!!」


 ――何がなんでも相手を討ち倒すという、ひたすら純粋な戦闘意思へと昇華させたのだ。


 レライエの右腕から滴る血が、紅蓮の炎と化して彼自身に襲い掛かる。


「この炎っ! き、消えないぃ!?」


 ブラッド・バーストは、厳密には悪魔の血を物理的に燃やすという魔技ではない。


 これまで多くの人間の命と、そして心の力である掬火を弄んできた災厄の化身とも謂うべき悪魔の身に、同じ人間であるアラヤが傷を負わせる事を引き金トリガーとして発現させる――謂わば人間から悪魔への、わざわい返しなのである。


 人間の心と悪魔の魔力……どちらをも有する、アラヤにしか使えない魔技なのだ。


 ゴモリーが感慨深げに口を開く。


「修業の成果、確かに見届けたわ……」


 戦いを最後まで見守り終えた今、彼女は黒い影をその身を纏い、瞬時にアラヤの傍へと転移した。


軍団レギオンの長を、見事抑えてみせたわね」


 そう言って、慈しみの眼差しで彼の右肩の傷を見遣る。


「この傷も癒してあげる。貴方の戦いはまだ始まったばかりなのだから……」


「そ、それより先ず……レライエに、トドメを刺す……」


 アラヤはゴモリーに左肩を支えられながら、右腕の燃えるレライエを顎で示した。


「ぐぅおおお……。アラヤァ、ざ、残念だが……この場はここまでだぁ……」


 レライエはその身を焼かれる苦悶に引きつった顔で、そう告げてくる。


「お、お前はぁ、自分が思っている以上に、悪魔から人気なんだよぉ……」


 突如、上空から一条の光が奴の前へと降り注いできた。


わらべよ、レライエの身はわしが預からせて貰うぞ――」


 光の中から『童』と呼ぶその声に、アラヤは歯を食いしばった。


「アガレスかよ……!」


 ――(二)へつづく――

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