猫と僕

初心者

第1話

 二十五歳の冬、僕は猫を飼い始めた。飼う手伝いをさせられたという方が正しいが、まあいい。まだ子猫で自分で食事をすることができず、僕がミルクを与えなければいけないような子猫。

 僕は黙って二度目の猫を抱きかかえながらミルクを与えていた。可愛かった。でも僕の目は可愛いだけではなく憂いの感情でも満たされていた。


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 二十三歳の夏、僕は仕事からの帰り道で一匹の白い猫を拾った。漫画で見たような茶色いダンボールの中に毛布と一緒に入れられていた。子猫は高めの鳴き声で「ニャーニャー」と鳴いていた。

 当時の僕は新入社員で多忙な日々を送っていたために気分も落ち込んでいた。だからだろうか、この仔を拾ってあげようと思った。

 そのまま家に連れて帰ったけど僕はハムスターすら買ったこともなく子猫の飼い方なんてこれっきしだった。インターネットで『子猫の飼い方』みたいなワードを入れて検索して、動画なども参考にして見よう見まねで世話をし始めることにした。

 まずはこの仔の名前を決めることから始めた。あれこれ考えてみたが、なかなかしっくりはこなかった。結局この仔に「モモ」となずけることにした。由来は鼻が綺麗な桃色だったので単純なものだった。

 それからの生活というのもモモを育てながら仕事もこなすという超多忙な日々だったが今までよりも楽しく生活できた気がする。

 よく夜中に鳴き声で起こされたり、用意してあるトイレシートの上ではなく床におしっこをしたり余計な手間をかけさせられることもあった。僕の肩にジャンプして持ってきたり、僕のご飯を盗んだりする時もあった。が、それ全てをも含めて楽しかった。笑って生活を過ごすことができた。

 そしてモモも順調に成長していき、500gなかった体重も冬には2.5kgを超えるほどまでになっていた。

 そんな冬の日、仕事から帰ってくると器に注いでおいたキャットフードがほとんど減っていないことに気がついた。いつもなら三分の一ほどしか残っていないぐらいに食べるのだが。だが、モモはいつものように寝転がっていた。

 たまにはこんな日もあるだろうと思ってそんなに気にはしていなかった。が、そんな日が何日も続いてついには2.5kgを超えるほどあった体重が2.0kgを少し超えるほどまで痩せてしまっていた。

 仕事から帰ってきた僕は流石におかしいと思い、病気を疑い、すぐに近くの動物病院に連れて行った。

 それでもそんなに大した病気ではないだろうと思っていた。

 しかし、それは深刻な病気だった。

 数日後、診断の結果を聞きに動物病院を訪れると早坂と書かれている名札をつけた女性の先生に深刻そうな表情で言われた。


「落ち着いて聞いてください。モモちゃんは猫伝染性腹膜炎という病気にかかっています。この病気は非常に毒性が高く、ワクチンがないのでほとんどの仔は助かりません」


 僕の頭は真っ白になった。モモが死ぬと考えただけで耐えられなかった。涙が止まらなかった。

 家に帰るといつものように寝ているモモがいた。いつものようなふてぶてしくもかわいい顔を見るとまた涙が溢れ出てきてしまった。そして僕にできることをやろうと心に決めた。動物病院の先生によれば百パーセント死んでしまうわけだはないという。なら僕にできる最大のことをモモにしてあげようと思った。


 まず仕事から帰ると自分の食事をそっちのけでモモにキャットフードを手で食べさせた。

 最初のうちは少し食べてくれたが、日が経つに連れて食べてくれなくなった。

 どうにかして食べて体重を増やして欲しかった僕はミルクや離乳食のような食べやすそうなものを食べさせた。

 それでもモモの体重は増えず、減る一方。また病状も悪くなる一方で次第に僕の心はモモの病状とともに蝕まれていった。仕事の方も年末が近づくに連れて残業も多くなり、次第に帰るのが遅くなっていった。

 そしてモモは自分の力では用を足すこともできなくなるほどまで衰弱し、年が明ける前日の三十日、モモは静かにこの世を去った。

 僕は仕事とモモの病気によって心身ともに弱っていて泣くことさえできなかった。ただ心に空いた虚無感だけを感じていた。


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 それから二年が経とうとしているこの冬の金曜日、モモの時と同じように捨てられている子猫を帰り道で発見した。モモとは対照的な毛の色のグレーっぽい色だった。

 でもその時僕は拾うということはしなかった。モモを死なせてしまった僕がもう一度猫を飼うなんてできない、飼う権利がないと思っていたからだ。

 だから子猫の入っている箱にミルクの入った器を置いてやった。この寒さでは数日で死んでしまうだろうがせめてものの贖罪のようなものであった。そして僕はその場を後にした。

 家に帰り、テレビなどをみて暇つぶしをした後に布団に入った。しかしすぐに寝付けなかった。理由は自分でもわかっていた。

 僕は外に出てさっき見た子猫の様子を見に行った。

 するとそこにはしゃがんいる若い女の人がいた。長い髪を後ろで一つに結わいでいた。僕より少し下ぐらいの歳だろうか。その女の人もこちらに気づき、こちらに顔を向けた。なかなかの美人だった。


「この器、あなたが用意してくださったんですか?」


「ええ、まあ」


「そうでしたか。ありがとうございます」


 そういって頭を下げられた。そんな立派な行為ではない。だって一度僕はこの仔を見捨てているんだから。


「よかったらこの仔を引き取っていただけませんか。この寒い中で放っておくのはかわいそうなので」


「いえ、僕がこの仔を育てるなんてとても。かわいそうと思ったのでミルクをあげただけで飼おうとは思っていませんし、あなたにお譲りしますよ」


「借家でペット禁止なので買えないんです。どうかお願いできませんか? 来月引っ越す予定なのでその間だけででもお願いできませんか? 毎日世話をしにきますので」


 動物の命は軽くない。僕にはまだ飼う覚悟ができていないが、一ヶ月の間だけなら引き取っても問題ないだろう。


「わかりました。それぐらいの期間なら預かりますよ」


「本当ですか! ありがとうございます!」


 安堵の表情とともに笑顔をこちらに向けて言った。

 家の場所を教えると「明日また来ます!」と元気な声で言われた。

 女性と別れた後、子猫を家に連れていった。とりあえず体を温めてあげて、その後ミルクを飲ませてしばらくすると寝てしまった。僕も布団に入ると今度はすぐ寝付けることができた。


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 次の日の土曜日の昼、ココアを飲んでテレビを見ていると通り昨日の女性が来た。


「昨日はありがとうございました。猫用のトイレシートとか持ってきました」


 そう言って手に持ったビニール袋を俺に見せてきた。


「いえいえ、外は寒いし中入っていいよ」


 そう言って家の中に入ってリビングまで行くよう促した。


「あ、ありがとうございます。お邪魔します」


 僕の家は1Kでさほど広くはないが二人いて窮屈に思うほど狭くはない。が、ゴミ袋をため気味だったので部屋を今日の午前のうちに綺麗にしておいた。他のあふれていたものは 物置とかに押し込んである。

 家の鍵を閉め終わると子猫を愛でるような彼女の声が聞こえてきた。

 僕もリビングに行こうとすると足元に何か落ちていた。多分午前中にかたずけ忘れたものだろう。暗くて見えにくいので拾ってみると僕の予想は外れていた。それは女物のカード入れで中にある車の運転免許証が開いて見えていた。そこには「早坂葵(はやさかあおい)」という名前が見えた。

 『早坂』……どこかで見たことある名前だな。

 そう思いつつ僕もリビングに向かった。リビングではやはり子猫を愛でる美人の光景があった。


「この仔に名前つけてあげたらどうですか?」


「え! 私がつけていいんですか!?」


「僕が最終的に飼うわけじゃないですし」


 ちょっと言い方冷たかったかとも思ったが、そんなことには気にする素振りも見せずに名前を考えて唸っていた。


「それじゃあ、ココちゃん。ココちゃんにします!」


 唸っていた割にはすぐ決まった。


「理由は?」


「鼻の色がココアの色だからです!」


 そういえばさっきまでココアを飲んでいたからかココアの匂いがリビングに充満していた。


「今入れますね」


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 三十五歳の冬、俺はココを膝に乗せてテレビを見ていた。結局この仔をに飼うことになってはや十年が経つ。

 モモが死んで他の猫を飼うなんてモモが許してくれないと思った。が、ココと過ごして行く中で僕の思いは変わっていった。

 このまま猫を避けることでモモの死に意味があったと言えるのだろうか?

 だから僕は一番目のモモのことを教訓にして二番目のココに精一杯の愛情とともに育てようと決めた。


「ただいまー」


 玄関からドアが開く音とともに聴き馴染んだ女性の声が聞こえる。ココがそれを聞くと僕の膝から降りて走って玄関の方に走っていった。僕も歩いて玄関に向かった。


「おかえり、葵」


 僕と早坂葵は結婚して今は二人、いや三人で生活している。

 彼女と知り合って数日後、彼女の引越し先が決まった。それは僕の隣の家だった。理由を聞くとココの様子を見に行きやすいからだそうだ。それ本末転倒じゃないかと思ったりもしたが、結局僕と葵の二人で面倒をみることになり、今に至るわけだ。

 その後わかったことといえば、どうやら葵の両親は近所の動物病院を営んでいたらしく、『早坂』という苗字に見覚えがあったのもそういうことらしい。

 今思えばモモとココは僕と葵を繋げてくれた恋のキューピットだったのかもしれない。

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