二番目の約束
祥之るう子
二番目の約束
――ちよさん。最後にひとつ、約束をしませんか?
桜の花びらが舞い散る中、少年は優しい声で言った。
――なに、お遊びのようなものです。
涙をこらえ、笑顔を作っていたちよは、思いもよらない言葉にきょとんとした。
ちよは、少年――
藤二郎の口許が、いたずらっぽく笑った。
「それでどうして、私が東京に行くの?」
ふた葉は居間で荷造りをしながら言った。
「いーじゃん春休みなんだし。いーなぁ、東京」
一つ上の姉がソファに寝転がりながら言った。
「ねえ、私も連れてってよ~」
「だめ。旅費は先方が出して下さるんだから、必要最低限にしなきゃ」
母が台所から顔を覗かせて言った。
ふた葉の家は、東北は秋田県にある。
東京への旅費は決して安いものではない。ましてやその旅費を出すという相手がほとんど見ず知らずの人とあっては、甘えられない。
「何で二番目のひ孫って条件なの」
姉が嘆くと、母はこちらを見もせず「一番目は跡継ぎだと思ったんじゃないの」と答えた。
発端は二年前。曾祖母の葬儀の際に見つかった遺言状だった。
『二番目のひ孫、ふた葉を、下記の御方の二番目の孫息子の許嫁としてほしい』
その下には『下條藤二郎様』という名前と東京の住所が書かれていた。
だが、肝心の下條藤二郎様が何者なのか、家族は誰も知らなかった。
ふた葉の曾祖母ちよは、戦争で男手を取られた家を、残った姉と一緒に守り、婚期を逃した。そこで、末の弟を養子にした。その弟夫婦の子がふた葉の父というわけだ。
そんなちよの遺言状に書かれた謎の名前。
家族は興味半分で、下條藤二郎なる人物について調べたが、見つかったのは、藤二郎からの年賀状のみだった。
ひとまず藤二郎は実在しているようだったが、娘を見ず知らずの人物と婚約させるわけにもいかず、遺言は遂行されなかった。
母が、ちよの死亡を報せる葉書を出したが、藤二郎からはなんの返事もなかった。
そして二年が過ぎ、皆が遺言状のことなどすっかり忘れた今になって、手紙が届いた。
藤二郎が亡くなり、遺言状に『孫息子の
大石ちよの二番目のひ孫、つまりふた葉のことだ。
しかも、先方の二番目の孫息子、青汰は、祖父藤二郎から詳しい話を聞いており、ふた葉に会いたがっているという。
「でもさあ、その青汰って人、ふた葉より一回りも年上なんでしょ。怪しくない? ふた葉はピチピチのJKだよ。変なことされたらどうすんの~」
姉が意地悪な笑みを浮かべた。
「お母さんがいるから大丈夫! いざとなったら全力で殴るわ」
「お母さんそれ本気?」
ふた葉が呆れ顔で母を見るが、母は真顔で頷いた。
姉がため息をついてテレビを見た。ふた葉は居間を出て仏間に向かった。
ふた葉は、青汰に対して、さして心配はしていなかった。
例えピチピチのJKだとしても、地味な顔立ちにボブの黒髪、当日の服装は母が用意した黒いワンピースという、胸もぺったんこの田舎の小娘。都会人で大人の青汰が変な気を起こすなどあるわけがない。
――そんなことより
ふた葉は凛としたちよの姿を思い出す。
以前、母に「おばあさん、恋人もいなかったの?」と問うと、母は「いなかったかもね」と答えた。
ふた葉の友達は、皆当たり前のように恋をしている。ふた葉にはまだ好きな人はいなかったが、いつか現れるだろうと漠然と思っていた。
若い頃のちよは、一体どんな想いで、どんな風に生きたのか、ずっと興味をもっていたのだ。
「おばあさん。青汰さんに会ってくるね」
ふた葉は、そっと仏壇に手を合わせた。
翌日。朝早く新幹線に乗り、人混みに揉まれ、ふた葉と母は約半日かけて、東京郊外の下條家に到着した。
タクシーを降りた母が「すごいお屋敷」と呟いた。
下條家は、庭に立派な桜の木がある大きなお屋敷で、レンガ造りの門にはしかつめらしい文字で『下條』と書かれていた。
怖じ気づいていると、重厚な扉が開いて、優しそうな男性の顔がひょっこり現れた。
「あの、大石さんでしょうか?」
遠慮がちに男性が言った。穏やかで優しい、心地よい低音だった。
「あ、はい、どうも、本日はお招き頂きまして」
母が慌てて頭を下げると、男性の目尻に少しだけシワが寄って細くなり、嬉しそうににっこり微笑んだ。
ふた葉が見惚れていると、母が背中に触れた。ふた葉は慌てて頭を下げた。
「どうぞ」
男性はドアを片手で押さえたまま、家の中に向かって「母さーん」と言った。
間もなく母さんと呼ばれた上品そうな年配の女性が出てきて、満面の笑みでふた葉と母を招き入れてくれた。
最初は仏間で、藤二郎氏の遺影に手を合わせた。藤二郎氏は、優しく穏やかな笑顔の、華奢なおじいさんだった。
母が手土産を渡している時、ふた葉は、仏壇に陶器のウサギの人形がおかれていることに気づいた。愛らしい顔つきで、耳に桜の花飾りをつけたウサギは、まるで藤二郎氏の位牌に寄り添うかのように置かれていた。
次に通された客間で、母親同士がお決まりの挨拶と自己紹介をしてから、ふた葉が紹介された。
「ふた葉さん。お会いできて光栄です。青汰です」
先程玄関で迎えてくれた青年が、ニコニコして言った。
「祖父は、戦時中、十二歳の時に秋田の遠縁の医者の家に疎開したそうです。そこで体を壊して、お手伝いさんとして来ていたちよさんに丁寧に看病して頂いたそうですよ」
「まあ、あの診療所の。そうでしたか」
母は、ふた葉に小声で近所の町医者のことだと教えてくれた。
「ちよさんは十歳だったそうですよ」
「十歳っ?」
ふた葉は驚いた。十歳からちよは働いていたのか。
「ふた葉さん、祖父の部屋を見ませんか。見せたいものがありまして」
「えっ、あっはい」
青汰が立ち上がって手を差し出したので、思わずその手を取ったふた葉の背後で母の笑顔が凍りついた。
「すみません、少しだけお借りします」
母は、凍りついた笑顔のまま「ええ」と答えたが、右手が握りしめられていて、ふた葉はハラハラした。
「わあ……」
「すごいでしょう?」
青汰が開けたドアの向こうには、部屋一面にウサギの人形が置いてあった。
陶器の人形に、あみぐるみ、ぬいぐるみ、木彫まで、大小さまざまな白ウサギがずらりと並んでいる。
「祖父の趣味です。僕が物心つく頃にはもう、こんな感じの部屋でした」
「かわいい」
思わず呟きながら一歩踏み出すと、入ってすぐの棚の上に、陶器のウサギの人形が目についた。凛々しい顔つきで桜柄のネクタイをしている。
「どうぞ」
青汰はふた葉の視線に気づくと、すぐにそのウサギを取ってくれた。
間近で見ると、さらにかわいらしかった。
「すごいコレクションですね」
「ありがとう。祖父はね、よく、ちよさんはウサギみたいに愛らしい人だったって言ってたんですよ。ちよさんは、祖父にとって大切な人だったんです」
「大切な人?」
「そう。ちよさんの訃報を受け取った時、こっそり話してくれたんです。ちよさんは、祖父の初恋の人だって」
「ええっ」
ふた葉は驚いて、ウサギを落としそうになって慌てて抱きしめた。
「祖父は次男だから、ちよさんのところに婿入りしたいとまで思っていたそうですが、長男である祖父の兄が戦死し、祖父はこの家を継ぐことになった。ちよさんをお嫁に……とも思ったそうですが、ちよさんにもまた、守る家族があった。戦後の大変なときに、幼い弟妹を置いては行けなかったのでしょう」
青汰は、ふた葉が抱いているウサギを見つめて、ふっと笑った。
「それに、ちよさんは野に咲く花。摘み取って焼け野はらの東京に連れて行くなど、とても出来なかったと言っていました」
不意に青汰がこちらを見たので、至近距離で目があったふた葉の顔は、真っ赤になった。
「気障でしょう?でも僕は、ロマンチストな祖父が大好きだった」
「いえ、素敵です」
ふた葉がそう言うと、青汰はふにゃりと笑った。
「ありがとう」
なんて素敵な笑顔だろう。紳士的な振る舞いといい、同級生の粗暴な男子とは大違いだとふた葉は思った。
「あ、あの、おばあさん、結婚出来なかったってお母さんに聞いたんです。それで弟の、私のおじいちゃんを養子にしたって。本当はおばあさん、結婚したくなかったんじゃないかなって。おばあさんも、藤二郎さんのこと、好きだったんじゃないかな……」
ふた葉がそっと青汰の顔を見ると、青汰は驚いた顔でこちらを見つめていた。
「そうか……納得しました」
一人で頷く青汰に、ふた葉が戸惑っていると、青汰は少し早口になって話し始めた。
「祖父とちよさんは、お互いの子供を婚約させようと、半分冗談で約束したそうなんです。祖父の二人目の息子と、ちよさんの二人目の娘を婚約させようって」
「へ?」
「二人とも五人兄弟の二番目という共通点があったので、二番目の子供という約束にしたんだとか。それがどうして孫の代になったのか。ふた葉さんはひ孫ですし。気になってたんです。ちよさんには、自分の子供がいなかったのですね」
そう言ったきり、青汰は黙りこくってしまった。
ふた葉の困惑と気まずさが破裂する寸前、青汰が「そのウサギ」と言ってふた葉の手の中の人形を指した。
「差し上げます」
「へっ?」
「もしよかったら、祖父の代わりに、ちよさんのそばに置いてあげてください」
その後、青汰が「庭に出ませんか」と誘うので、二人で庭の桜の木の下へ行った。
「東京はもう咲いてるんですね」
「ええ。秋田はまだでしょう」
「はい」
二人の間に、花びらが一枚、はらりと舞った。
「あの、青汰さん、約束をしませんか?」
ふた葉は手の中のウサギを見つめたまま言った。
「私、二年後、東京の大学を受験します。だから、合格したら、もう一度、会ってくれませんか?」
勇気を振り絞って顔をあげると、青汰は、嬉しそうにくしゃっと笑った。
「はい。喜んで」
笑い合う二人の間に 、二番目の花びらがはらりと舞った。
二番目の約束 祥之るう子 @sho-no-roo
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