二番目の記憶

嘉代 椛

二番目の記憶

 私にとって二番目の記憶は、一番目の記憶だった。


 これがどういうことか分かってもらうには、まず私の病気を説明しなければならないだろう。私の頭の中には、正体不明の病気が潜んでいる。


 側頭葉新皮質の奥。海馬。知覚機能や記憶を一手に引き受けるそこに、どうやら私の異常はあるらしい。


 らしい、と適当に済ませたのには理由がある。私は健康である。至って健康、体のどこかを不自由するわけでもなく、心のどこかを不自由するわけでもない。ただ、一つだけ。一番目を記憶することができないだけだ。だからこそ、私がこの異常を自覚するのはなんとも難しい。


 一番目を記憶できない。なんて言われてもピンとこないだろうから詳しく説明するとしよう。


 例えば、「好きな食べ物は?」と聞かれたとしよう。私は「カレー」と答える。それが私にとって最も好きな食べ物だからだ。しかしそれは違くて、本当は私はそばが一番好きなのかもしれない。ケーキかもしれないし、ピーナッツかもしれない。


 私が覚えている一番目は二番目なのだ。お医者様はなんとも冷静にそういった。


 けれど時たま、一番目が二番目に降りてくることがある。私はこれをうれしい悲しみと呼んでいた。


 例えば、また例えばの話だ。私の病気はどうにも難解で、こうして説明するときに、例えばを多用してしまうことになる。


 映画を見終わって、「これは今世紀最大のエンターテインメントだ!」なんて飛び跳ねたとする。その飛び跳ねた瞬間、私の記憶できない一番目が更新され、入れ替わってしまう。今まで見ていた今世紀最大が陳腐化し、以前見ていた今世紀最大が一番目の二番目になる。


 私は結構頻繁にそういうことが起きるので、記憶の更新が済んだ時、恐らく一番目になったものをメモするようにしていた。メモしても、当然内容は覚えていないし、面白いなんて欠片も思っていない。だけれどそうすることで、自分の一番を意識することにしていた。


 メモがあまりにも多くなったある日、私はベッドに横たわってグスグスと泣いていた。ペットの犬が死んでしまったのだ。子供のころから一緒だった友人が、突然逝ってしまったことが私にはとても悲しかった。


 10分泣いて、一時間泣いて、一日泣いて、異変に気付いた。記憶の更新がされない、こんなにも悲しいのに、人生で一番悲しいのに、それでも記憶の更新がされない。


 私は混乱した。何かとてつもなく大切なものを忘れていることを、経験として実感した。一番好きな音楽、食べ物、洋服。そんなものがどうでもいいくらいに、これが私にとって重要であることは間違いがなかった。


 私の一番悲しい記憶。


 私はアルバムをめくり始めた。何冊ものアルバムをめくっているうちに、見覚えのない人物がいることに気づいた。私がまだ子供のころの写真だ。幼い私を包むようにして、一人の老人が写っている。


「それ、おばあちゃんよ。覚えてないでしょうけど」


 母の言葉に、私は首を傾げた。私の家族構成は両親に弟、祖父に犬。それだけだったはずだ。私は祖母がいない理由を、祖父母の間の問題と勝手に認識していたので、わたしに祖母がいるということ自体初耳だった。


「貴方、あんなに好きだったのに…。仕方ないわよね、お医者様でも解明できない病気なんですもの」


 母の言葉を聞きながら、アルバムをめくり続ける。遊園地、花見、森の中。様々なところで幼い私と老人が微笑みあっている。


 その中でも、海でとられた写真は特に目をひいた。夕日に照らされたビーチで私と老人が海を眺めている。その表情はどこまでも幸せそうだった。


 けれど私は覚えていない。


 独り、部屋に戻った私はアルバムをめくり続けた。何ひとつ記憶のない老人と幼い自分の写真を見続けた。


「……ああ」


 思わず声がこぼれる。私の一番目の記憶。どうしても思い出せないそれらが何だったのか、分かった気がしたからだ。楽しい記憶も、悲しい記憶も、一番がある。だって私が覚えているのは一番じゃないから。


 写真の中の老人。母が言うからには私の祖母なのだろう。彼女が私の一番なのだろう。私はそう思った。。思い出せない一番。思い出したいのに、思い出せない一番目。


「あ」


 記憶の入れ替わりが起きる、私の頭の中に昔大好きだった歌詞がふと蘇ってきた。


 そうして私は、自分がどうしてアルバムを持っているのか忘れてしまって。


 また犬が死んだことを思い出して、グズグズ泣いた。



 

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二番目の記憶 嘉代 椛 @aigis107

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