木暮千秋とは


端的に言えば

木暮千秋には才能が無かった

自分の代わりの人間なんて履いて捨てるほど居ると思って生きているのは何時からだろう


お金も容姿も

強さも優しさでさえも

人生における全てに

自分より優れた人間がごまんといる


だとすれば、物語のように

突然世界を救う事になったとしても

異能力に目覚めて

戦いに巻き込まれるとしても


その主人公は自分では無いと理解するのに

あまり時間は必要としなかった


それなのに誰もがみんな人生の主人公なんて言葉が慰めにすらならない嘘だと


そう嘯く癖に、諦めきれなかった俺は

筆舌に尽くし難く愚かだったのだ




そのきっかけは何だったかは

いくら思い出しても分からない


それでも決して

空から少女が落ちてきただとか

急に居候として飛び込んできたとか

悪人に追われ傷付いていたとか


そんな鮮烈で物語のような

きっかけでは無かったことだけは言えて


俺は、少女に恋をした




少女は誰もが羨む程の美貌ではなかったし

遊んで暮らせるほど裕福だとか

俺に恋心を抱いてただとか

前世からの運命だとか


そんな理由すらなく、恋をしてしまった


ただ、彼女は人並みに優しくて

人以上に嘘を付くのが上手だったのだろう




ある時、剣道の試合を見に来ていた彼女は

なんの才能も無い俺に言ったのだ

「小暮くんって強いんだね?」

そんなふうに屈託なく笑い

「私、強い男の子が好き」と



練習が辛くなると、いつもそれを思い出す


そうすると

どうして、俺はこんな所にいるのだろうと

思う気持ちはいつの間にか消え去って


ブザーがなり、俺は面を外す

「10分休憩したら、次は乱取りだからな!」


「はい!!」

皆が一斉に道場の隅へ散る。

毎日繰り返される光景だが、最後の大会前の追い込みで、帯びる熱量は桁違いだった


「小暮、調子はどうだ?」

顧問が俺に声をかける


「悪くはないです、今年こそは全国優勝してみせますよ?」


去年の俺の成績はベスト16止まり

大口を叩いていると言われてしまえば

それまでだが


顧問に言われるまでもなく

勝たねばならないと思っている




俺は彼女と違う高校に

進む事が決まっていたから

彼女が希望するのは県内で有数の進学校で


この先もずっと

剣道の試合なんて見るかわからない

なら今年勝たなければ意味が無い


休憩が終わり、ブザーの音で乱取りが始まる


…剣道という競技は

スポーツとして見れば曖昧なものだと思う


ゴールネットを揺らせば点が入る訳でもなく

タイムや記録を競うわけでもない




一本という言葉がある

それが、剣道における得点と言えるが


その一本を勝ち取るのに必要と言われるのが

技の他に気迫や発声だというのが

曖昧たる証明で


そもそも武道が殺し合いを

前提とした技術だとするならば

決まった場所以外有効打として認められないというルールすらよく分からない


俺は相対している後輩の放つ

面を狙った斬撃を見切り僅かに身体を逸らす


それは止まることなく肩を打ち

鈍い痛みに呻きそうになるものの距離を詰め後輩は一度距離を取ろうと下がるが


その一瞬の意識の途切れを見逃さず

気迫のこもった発声と共に、小手を打ち抜く



乱取りが終わり整理運動をしながら

後輩が俺に声をかけてきた

「小暮センパイ肩大丈夫ですか?」


道着の下を見れば紫色のアザになっていたが

「こんなん、なんでもないから平気だよ」


剣道をやっていればよくある事だ

狙った箇所に当てることが出来ず

防具以外の所を叩いてしまう


試合では決して有効と認められないその一撃

だが、実際の殺し合いだったらどうだろう


そう、いつも思ってしまう


斬撃を受け肩を腫らした俺と

一本を取られながらも、無傷の後輩

どちらが勝者なのかは明白で


だからこそ、俺はこの剣道という明確でないでなら最強を目指せる


切られても死なず

発声、姿勢、刃筋どれが欠けても有効でなく

防具以外を打ってしまえば得点にならない


ひどく曖昧な、それは


裏を返せば

痛みに耐える覚悟があり

そのどれか一つでも欠かし

防具を打たせない技術があれば


この剣道というスポーツは勝てるとも言える


その当たり前を理解するのに

時間を必要とはしなかった


何故なら

多彩な技も技術も気迫すら

何一つ持ち合わせ無かったから


…だから全国大会に出ていようと

小暮千秋という人間には才能が無いのだ



自分の部屋の机の上で

全国大会の組み合わせ表を睨む


ほぼ去年からメンバーの入れ替わりは無い

トーナメント表を見れば

正直反対ブロックでなくて良かった


如何に全国大会がレベルが高いとはいえ

やはりその中にも格が有る


俺が格上だと思っている相手は

ほぼ反対ブロックに散っていた


机の上のパソコンで去年の大会

俺が対戦する可能性のある相手の試合全てを再生しながらイメージする




顧問には勝つための明確なビジョンを持て

なんて言われるがそんな事をイメージした

ことは一度もない


俺がいつもイメージするのは

負けないためのビジョン


相手が何が得意で何が苦手なのか


どんな戦い方なら

負けないかをイメージする




いつも判定勝ちしかできない俺が

一本という得点を取ることのできない俺が

勝つためには


如何に相手よりも積極性を見せて

如何に相手の刃を鈍らせて

有効打を取られない


武道という概念から逸脱した小細工を弄して

相手を自分と同じ土俵まで引きずり降ろさなければ勝てない


防具以外に竹刀を打ち込んでしまえば

思うように有効打を取れなければ


相手だって、中学生

些細なミスに怯え

うまくいかないことに苛立つのだ


「ちぃーす」

ノックもせずに姉が部屋に入ってくる。

「姉貴、ノックくらいしろよ?」

パーマががった髪に、くりくりと大きい目

動物で例えるならリスって感じの

背の小さい合法ロリ


それが俺の姉、千早ちはやだった。


「なになに、真剣な顔でエロ動画でも視聴中だった?」


「そうだから、さっさと出てってくれない?」


面倒くさい事この上ない

適当な返事で、姉を追い払おうとする

「動画じゃなくて、リアルがここにあるんだからこっち見ればいーでしょ?」


風呂上がりでタオル一枚の千早

「お前の裸に欲情出来るやつはストライクゾーンがデッドボールだろうが?」


…出塁というか、もはや出頭だろ


「私の可愛い千秋ちゃんが冷たいよー」

「酷くない?ねぇ酷いよね?」


酷いのはお前だろ

人のコレクションコーナーに姉弟物と

ロリ物ばっか追加しやがって


お陰で、母親からの目線が凄まじいんだよ

この前なんか直接

「ソレだけは勘弁してね」

なんて涙を浮かべながら言われたんだぞ?


小学校のプールの時、休みたくて欠席理由に「生理」って書いた時と同じくらい空気冷えてたからね?


恥の多い人生を送ってきましたなんて

モノローグ付ければ名作っぽくなるかな?


「もう全国大会近いのは知ってるけど、あんまり気負い過ぎないでね?」


急に、千早が真面目な顔をするので

しょうがなく、俺も真面目に返す。


「分かってるけど、負けたらこれまでの全てが無駄になるから、気負わないなんてのは無理な話だ」




ここで負けたら、それこそ俺の全てを否定することになってしまう


決して、褒められた

戦い方じゃ無いのは理解している

誰もが納得できる強さで無い事も


ここまで勝ち進んで来た

それまでの相手の中に

どれだけ敗北を認めた選手が居ただろうか?


試合中に審判に抗議する者

苛立たしげに舌打ちする者

試合が終わった後に礼すらなく立ち去った者


反則負けでも良いと

執拗に防具以外に打ち込む者


そのどれも決して

褒められた事ではないけれど


俺と彼らの違いはルールに則っていたか

その違いでしか無い


弱いのに諦めきれず

みっともなく、浅ましい。


自分がそんな人間だと

心の底から思っている


だからこそ、勝利という絶対的な価値に

しがみつくしか無くて


そんな事でしか、自分自身を肯定できない。

彼女と居て良い理由を見いだせない


そんな俺を弱いと笑い

負けたと認められないというのなら


自分が特別だなんて幻想を

練習は裏切らないなんて綺麗事を

そんな奴にすら勝てなかったという事実を

弱かっただけという現実を


証明する為にも勝たなければ

もう、俺には何も無いから

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