第八十話 辿り着いた幸せ
「これより、第四十一回古井戸高校文化祭開会式を執り行う。みんな、盛り上がってるかーい!」
壇上にいる眼鏡の生徒会長のコールで、体育館全体が大きく揺れ動いた。溢れんばかりの歓声が耳をつく。周りの生徒たちは大盛り上がり。
俺も自然と手を挙げていた。こういうのはノリが大事――そんなことを言うと、剛の奴はきっと苦い顔をするだろうけど。
気をよくしたのは、生徒会長はステージを飛び出し、中央から突き出たアルミの通路へと陽気に進んでいく。それは普段はない、今日のためだけに設けられたものだ。
会長は軽快に生徒たちを煽っていく。館内のボルテージはどんどん上がり、熱気が濃くなる。十分だと感じたのか、再び彼女はステージの方に戻った。そのまま式の進行役を務め始める。
これが終われば、クラスステージという名の各クラスのダンスの発表会が行われる。それが昼食を挟んで夕方ごろまで続く。その後、帰りのホームルームの中で投票が行われ、上位三クラスは後夜祭でのステージ発表へと進めるという流れになっている。
これが我が校の文化祭一日目の内容だった。二日目は模擬店の一般公開日。基本的には、放課後も残ってそれに向けての作業が行われる。うちのクラスも当然のように、最後の仕上げを残していた。
開会式最後のイベントである、校長の話が終わった。いつもの堅苦しい内容とは違い、とてもノリが軽いもの。やはり今日この日というのは、一年で一番学校が賑やかになる日なのだ。
校長と入れ替わるようにして、ステージ中央に生徒会長が戻ってきた。いつ着替えたのか。ブラウス姿からTシャツ姿に変わっている。『古井戸祭高!』と書かれたそれは、生徒会オリジナルのものだ。ちなみに観客側である一般生徒は初めからクラスTシャツを着ていた。
「えー、ではこれより、本日のメインイベント――クラスステージ発表を行うよ! さて、まずは新進気鋭の一年生のみんなからだ! はい、盛大に拍手!」
パチパチパチ――さらに、指笛。そして野太い男の叫び声。それに一層気をよくした表情をする生徒会長。そう、いよいよ学祭が幕を開けたのだった。
「これより少しの間、準備時間となります。二三年生の皆さんはしばらくお待ちください」
透き通るような女性のアナウンスが聞こえてきた。涼やかな声色はいくらかこの熱を和らげる。後ろで一年生たちが動き出すと同時に、残された生徒たちがざわざわし始めた。どこか間延びした空気感。
「ゆーきとさんっ!」
隣にはいつの間にかアリスがやってきていた。ゆったりとした黒いクラスTシャツ姿。フロント部分には謎の絵が描かれ、背中部分はクラス全員の名前がローマ字で記されている。それは彼女によく似合っていた。さらに右手に持つ学祭うちわがいい感じで爽やかさを出している。
彼女が近づいてきているのはわかっていた。視界の端に、あの印象的な金髪がちらりと映っていた。
開会式の時はさすがにしっかりとした列をなしていた。しかし、もう学祭は始まっている。お行儀よくする時間は終わり。クラスの垣根を越えて、人がごちゃ混ぜになっていた。
「それにしても、凄い盛り上がりですね」
「そうか? どこの高校もだいたいこんなもんだと思うけど。アリスの前いた学校は違ったのか?」
「うーん、もうちょっと大人しかった気がしますね」
アリスが顎に人差し指を当てながら答える。目線は少しだけ上を向いていた。
そんな風に話していると、突然体育館の照明が全て消えた。元からカーテンは閉じられていたため、午前中とはいえ館内はかなり薄暗くなる。
「大変長らくお待たせいたしました。それでは、クラスステージ開幕です! まずは、一年三組から。テーマは『元気さ!』――いいですねぇ、こういうシンプルな感じ、わたくしは大好きでございます。それでは、どうぞ!」
放送委員のアナウンスが終わると、代わりにスピーカーから大音量の音楽が流れてくる。同時に、ステージにスポットライトが灯った。舞台袖から、生徒たちが現れる。
「楽しみですね、幸人さん」
「そうだな」
去年と違った気分で、ステージ発表を見ることができるのは、きっと学年が上がったせいだけではないだろう。一年生たちのダンスを前にして、俺の胸は高鳴っていた。
*
ステージの上手側に繋がる小部屋。クラスの約半分程度が集まる中、実行委員の一人が中心となって円陣を組んでいた。
「さあ、行くよ。にねんにくみ~ファイトっ!」
「オーっ!」
即席にも関わらず、俺たちの声は揃った。結構なボリュームだったが、外に漏れ聞こえることはないだろう。ステージでは、前のクラスが絶賛踊っている最中だ。
「……はあ。いよいよ、か」
次に来る自分たちの番を、グループごとに待っていた。こっちの方にいるのは、剛と葛西、あと雪江。残りのメンバーは下手側。
「なに? 大力、緊張してんの?」
「そうじゃない。この格好のことだ!」
今、剛の生足は膝上から剥きだしだった。しかも、しっかりとムダ毛処理をされている。半袖から伸びる腕もまた同様。
――俺たちが踊るのはアイドルソング。必然的にその衣装は……。
「いいじゃん、よく似合ってるよ。もち、白波もね」
「そんなこと言われたって、全く嬉しくないけどな」
アイドルっぽい格好。半袖シャツの上に飾りのついた派手なベスト。そして、スカート。……スカート。しかも問答無用で男女共通。さっきから、足がスース―して落ち着かない。
さっきから雪江はそっぽを向いたまま。なんとなく笑いを堪えているように見えるのは気のせいだろうか。そんな彼女には、ダンスの衣装は当たり前だが違和感は無し。
「色物は一つは入れておかないと」
「そんな決まりはないはずだ。俺は三回はクラスステージ、注意事項を読み返した!」
「剛、相変わらず真面目だな。てか、色物って……」
「やっぱりアタシの目に狂いは無かった。大力はガタイがいいから、その分映えると思ってたんだよね~」
「お前が元凶なのかよ」
ちょっと顔を険しくしてみるが、葛西は全く意に介してくれない。
「まね~。本当はさ、トラちゃん入れたかったのよ。めちゃくちゃ似合うと思ったんだけど。あんたたちとは違って正統派枠ね」
面白がる葛西に俺はなんとも言えない気分になっていた。童顔で、小柄な瀬田は確かにそれっぽくはなりそう――やめよう、これ以上考えるのは。
ちらりと、その人物の方に目を向けると、同じグループの人間と談笑していた。彼は、イケイケダンスグループだ。
「でもダンスのバランスが――って話になって。それなりに上手い奴がいてこそ。ってなわけで、小峰にした。あと間島も運動神経いいし」
「……俺は?」
「三バカはセットにしないとって、ゆっきーが」
「久々に聞いたぞ、それ。そして、お前、余計なこと言いやがって」
今度は幼馴染のことを睨むが、涼しい顔でスカされた。
まさかこんなタイミングで、このメンバーの由来が明らかにされるとは……。俺はどうしようもない気分になっていた。俯くと、より惨めな気分になれた。
「――続いて、二年二組の皆さんの発表です。テーマは『優雅に、華憐に、かっこよく!』またまた、捻りのないものできましたねー」
「この人のコメント、結構辛辣だな。湊みたいだ」
「大力くん、あなたのその格好、ネット上に拡散してもいいのよ」
「犯罪行為を仄めかすな、通報するぞ!」
謎の応酬を繰り広げる二人に続いて、俺もまたステージに向かう。小さな階段を上って扉をくぐれば、幕の後ろに出る。
この格好のことは置いておいて、人前に立つのはやはりかなり緊張する。去年もあったはずなのに、その時のことはあんまり覚えていない。
幕に隠れて、真っ暗なステージの方を見る。ぱっとライトが灯ると同時に音楽が鳴りだす。そして、まず俺たちアイドル――色物グループからパフォーマンスが始まる。
なんとなく、俺は正面に視線を戻した。この暗さ、そして距離では見えるはずないのに、アリスの姿を感じることができた。そこにいて、彼女もまたこっちを見ている――そんな気がした。
スポットライトが空っぽのステージを照らし、もう何百回と聞いた曲のワンフレーズが流れてくる。自然と身体が動く。笑顔のまま、みんなと一緒にスキップで移動していく。
――その最中のことはよく覚えていないけれど、終わった後のアリスの火照った笑顔と、衣装をばっちりと着こなしたその姿を、俺は忘れることはないだろう。
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