第八十一話 終幕へ
学校祭二日目。午前中、俺はアリスと一緒に校内を色々と見て回った。剛と学と共に講堂に引き籠りだった去年とは違って、かなり充実していた。
アリスは本当に楽しそうだった。考えてみれば、最近はずっと学祭準備にかかりきりだったので、二人で遊ぶなんて久しぶり。俺も正直かなり楽しかった。それを、面と向かってアリスに口にする勇気はなかったが。我ながら、ちょっとどうかとは思う。
それはともかく。午後になり、いよいよ演劇部のビックイベントが講堂にて幕を開けた。いっぱいになっている客席を見た瞬間は、さすがに頭が真っ白になった。
「大丈夫ですよ、幸人さん。わたくしがいますから!」
舞台袖にある控室のような場所で二人きりになった時、アリスは俺の手を握ってくれた。力強い口調とは裏腹に、彼女の手もまた少し震えていた。それが少しだけ、俺の緊張を和らげてくれた。
アリスと一緒に最後まで演じ切る。その果てに、例え何が待ち受けていたとしても。そう決意を新たにして――
「決してかの者を逃すな! あれなるは国を救いし英雄などではなく、邪悪を為す者なり!」
剛の太い声がよく講堂内に響く。彼は登場人物の中でも一際豪華な衣装を身に着けて、ステージの真中で堂々と胸を張っている。
「あろうことか、魔法使いの遺子と手を組み、この国を乗っ取ろうと企てた大悪党だ! そのうえ、我が娘スノーの――」
彼の周りには兵士役の役者が何人か。その中には学や瀬田の姿もある。
場面としては、つい先ほど俺が扮する勇者様が城を飛び出したところ。幾度とないアリスによる襲撃の結果、宮中における俺の立場は悪化した。ついにある夜、アリスと対峙中のところを
もし雪江と――妻と向き合っていれば。国王に弁明をしていれば。そもそも、宮中でしっかりと自分の役割を果たしていれば――それらの
こうして外から見ていると、記憶の片隅が疼く感じがするのだ。何かを思い出しそうで、思い出せない。似たような――
「……あの、幸人さん」
隣にいるアリスの声で、我に返った。そのぎこちない笑みを見て、握っていた手に力を入れてしまったのがわかった。つい、物思いに耽りすぎた。
一足先に出番を終えた俺たちは、舞台袖で一度幕が下りるのを待っていた。この後は十分の休憩時間がある。
手を握っていたのは、お互い極度の緊張感から解放された余韻からだ。周りに人の目がなかったことも、俺たちに躊躇させなかった一因だ。
「ああ、ごめん」
「いいえ」
咄嗟に謝ると、彼女はにっこりとほほ笑んでくれた。
この一月あまりは毎日こんな調子だった。劇によって、自分の中にある不確かなモノが呼び起こされる。その度に、何とかそれと向き合おうとするが、できない。そんなもどかしさ。
自分がかつて、この物語の主人公と同じ立場だったのは思い出せた。前世において、俺もまた邪悪を討つために旅に出た。そして達成後、国に戻って王女と婚姻を結んだ。ここまでは紛れもない実感として俺の中に存在する。
でもその後は? 未だに、アリスの存在は過去の中では朧げだ。しかし、この劇の内容と深く関係するものがある。そういう直感がずっと働いている。
でも、そんな日々も今日で終わりだ。舞台が幕を閉じれば、もう二度と開くことはない。あの謎の既視感とはオサラバだ。
……前世の全てを思い出せないことに、心残りがないわけじゃない。けれど何があったとしても、この気持ちは変わらない。前世のつながりがなくたって、俺はアリスのことが好きだ――改めて、俺はそう強く思った。
「どうしましたか? さっきから、じっとわたくしの顔をみつめてらして」
「ああ、いや何でもないんだ」
「も、もしかして、お化粧、剥がれちゃってたりしますか?」
すると、一気にアリスは狼狽え始める。
俺はその姿に、大丈夫だと声をかけた。それでも、彼女は慌てたまま。目は泳ぎまくって、顔はやや強張り気味。
この彼女の姿を見ていれば、劇中の魔法使いの娘と重なるところは全くない。一途にこちらを慕ってくれるのは同じだ。でも、始まりは違う。アリスは俺に敵意を向けることは一度たりともなかった。彼女にそんな攻撃的一面はない。
アリスの慌てぶりに、俺はつい頬を緩めてしまう。しっかり者のように見えてどこか抜けている。これもまた彼女の魅力だ。
すると、向こうは怒ったように頬を膨らませた。
「やっぱり変なところ、あるんじゃないですか!」
小声ながらも、しっかりと怒っているのはわかる。
「だからなんともないって」
「嘘です、嘘! イジワル言ってます、幸人さん!」
「そんなことないから。ほれ、静かにしないとまずいぞ?」
俺はちらりとステージの方に目を向けた。着実にそのシーンの終わりが近づいている。
アリスもまたそちらの方を見るが、しかめっ面が治ることはない。むしろはぐらかされたように感じたのか、その怒りは増した気さえする。
こんな他愛ないやり取りが、なぜかとてもしっくりきた。ついさっきまで、舞台の中でいがみ合っていたからだろうか。そこから考えれば、なんだか変な感じだ。
その不思議さに笑みを零した時、またしてもアリスから
*
「万が一見つかりでもしたら、もう言い逃れはできないだろうなぁ」
「その時はその時よ。その可能性は限りなく低いと思うけど」
俺とアリスは夜更けの城内を進んでいた。今歩いている通路の存在を俺は知らなかった。アリスが念入りに調べ上げた秘密通路――それほどまでに、かつて俺に対して憎しみを抱いていたことの裏返しでもある。
「誰もいないみたいだ」
「みたいね。急ぎましょう」
見知った三階の廊下にようやくたどり着いた。辺りをうろつく兵士の姿は無い。無警戒、というのはありえないから、たまたま巡回中ではないところに行き当たったということだろう。
人気のない廊下を駆け抜けて、俺たちは目的の部屋の前に辿り着いた。素早くその扉を二度ほど叩く。
「どなたですか?」
「――俺だ」
そして自らの名前を告げる。
返事はすぐにはなかった。扉の向こうにいる王女の心情は、はっきり言って全く想像がつかない。俺たちはただひたすらに向こうからの反応を待つだけ。
アリスがぎゅっと服の裾を掴んできた。そちら側に手を回しつつ、俺は緊張した様子を懸命に表現する。
やがて扉が開く効果音が講堂に重たく響いた。
「……何の御用――どうして、貴方が!?」
「説明すると長くなるんだが、どうか俺たちの話を聞いてくれないか」
困惑する雪江をよそに、俺とアリスは深々と頭を下げた。こうすることしか俺たちにはできない。ここまできたら例え人を呼ばれたって構わない――必死さを全身で伝えていく。
「とにかく、入ってください。いつ人目につくかわかったものではありませんから」
再び扉が開く音。雪江の顔には未だ、戸惑いの色が色濃く表れていた。
「――私はこのお二人の言葉を信じます。ですので、どうかお父様。考え直してはいけませんか!」
長い夜が明けて、俺たち三人は国王の前へとやってきた。広い玉座の間には、ただ四人の人間しかいない。
王女は非常に物分かりがよかった。もとより、初めから勇者と魔法使いが密かに通じているとは考えもしてなかった。
彼女はただ知りたかったのだ。勇者のことを。即席且つ短絡過ぎるこの婚姻関係を、彼女なりに理解し自分の役割を何とか果たそうとした。勇者は――俺はそのことを全くわかっていなかった。
「話はわかった。だが、スノーよ。いくら我が娘の頼みと言ってもそれは聞けん。王がそのような理由でころころと態度を変えていては、民に示しがつかぬ」
「しかし、我が国にとっての英雄をこのまま罰することの方が、民衆に悪影響を及ぼすと思います」
舞台上から動きが消えた。緊迫感が講堂内を巡っていく。
「王よ。私がこんなことを言える立場ではないのは重々承知しております。しかし、言わせていただきたい。どうか彼女を――私たちのことをお見逃しいただけませんか!」
一歩前に出て、俺はその場に跪き首を垂れる。すぐにアリスも続いた。
「ふざけたことを。貴様は我が娘を裏切ったのだぞ。儂の顔に、泥を塗ったのだ!」
「返す言葉もございません」
王の激昂が周囲の空気を強く震わせた。ひしひしとその怒りが伝わってくる。
「なぜ逃げたりした? あの場で釈明していれば事態はここまで悪化しなかったろうに」
「それは……あの場において、突入してきた兵士たちはみな話ができるような雰囲気ではありませんでした」
「詭弁だな。何度も、そこの娘に襲撃されていたのならばもっと早く報告があってもよかったはず」
その問いに、俺は黙りこむしかなかった。最初の時点から、アリスとの因縁は簡単に決着がつくと思っていた。自らの命を以てして。
「もういいだろう。これ以上の問答は必要ない」
「お父様!」
剛がのっそりと玉座から腰を上げた。背筋を伸ばして、威光を示すように大きく胸を張る。
「どこへなりとも好きなところへ行くがいい。しかし、もし次に我が領地にその姿を見せようならば、その時はわかっておるな」
それは何度も稽古を積み重ねたというのに。つい一昨日には本番さながらのリハーサルまで済ませたというのに。
剛の――王の態度が、王女の思いやりが、とても身に染みた。思わず涙が溢れだしそうなほど。同時に今まで不確かだったものが、一気に現実感を伴っていく。
――ああ、そうか。やっとわかった。これこそが、あの時の俺たちが目指すべき結末だったのだ。世界に背を向けるのではなく向き合う。
その道は難しく、当時の俺の頭にはなかった。あの頃は、世界がもっと苛烈で、俺とアリスのことを決して許さないように思った。
些細な行き違い、意地の張り合い、強迫観念による思い込み――様々な要素が絡み合って、俺たちは最悪な結末を迎えた。
なんのことはない。世界が悪いんじゃない。運命が決まっていたんじゃない。ただ俺ができなかっただけだ。唯一胸に抱いた、
でも今は違う。それは劇中の話だけではなく、
「お心遣い、感謝いたします」
かの国王と、現在の親友の姿がぴたりと重なる。脚本上のセリフだったけれど、そこには確かに俺の真なる感情が籠っていた。
俺はゆっくりと立ち上がった。舞台の上から客席の方をぐるりと見渡す。そこは暖かな光に包まれているように見えた。
「行こう、アリス」
すっと、俺は最愛の女性に向けて手を伸ばす。彼女もまたこちらに向かって、おずおずと手を差し出してくるのだが。
「危ないっ――!!」
果たしてそれが誰の声だったのか、それはわからない。
でも、自分たちの身に危険が迫っていることはすぐにわかった。頭上から物騒な音が聞こえてきて、思わず天井を見上げる。
巨大な照明がこちらにゆっくりと落下してくるのが、はっきりと視界に入った――
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