第七十九話 学祭準備
「全く、こんな迷彩は非合理的だな。労力と釣り合わん」
剛はさっきからずっと文句を言っている。それでも段ボールをレンガ色に染める手は止めない。ダンスもそうだが、やりたくないと言いながらも、彼はきっちりクラスのことはこなす。昔から、そんな馬鹿真面目な男だった。
いよいよ文化祭当日が二日後に迫り、今日明日と一日授業が潰れ、その準備期間に突入した。今はこうして、クラスの模擬店であるお化け屋敷の設営に取り掛かっている。俺たちの作業内容は壁づくり。
机を全て廊下に出すと、さすがにいつものこの教室も広い。同級生たちは、四方に散らばってそれぞれの作業に集中している。最も賑やかなのは、クラスの中心的グループだ。
去年は剛と同じように、俺もまたはこういう作業を煩わしいとだけ思っていた。でも、今は違う。なんとなく、気分が華やかというか――
「幸人さん、ハサミ取ってもらってもいいですか?」
「ああ。――ほれ、アリス」
それはきっと、彼女がいるからだろう。変わり映えしない日常ですら、何か違って感じられた。
こんなことは、人生で初めてのこと。強く思う。この時がずっと続けばいいのに――と。
「手、止まってるよ、幸人?」
その声で、俺は我に返った。一瞬、身体がびくついた。ゆっくりと、話しかけてきた友人の方に顔を向ける。学はニヤニヤしながら、俺のことを見ていた。
意味のない物思いに耽っていたことが、瞬間恥ずかしくなる。顔が熱を帯びていくのを感じながら、俺はすぐに彼から視線を外した。
「完全にみとれてたね、明城さんに」
「二人はラブラブだもんねぇ。まったく、やんなるわぁ」
「ら、ラブラブって、葛西さん!」
クラスメイトの言葉に、アリスは顔を真っ赤にする。さすがに彼女も恥じらいを――
「そんなに褒めないでください」
「……ズレてるねー、アリスちゃん」
冷ややかな吉永の声が、この場の雰囲気をよりいたたまれないものにした。そして、俺に対する無言の圧力を感じる。
気づかない振りをして、俺は作業に戻ることに。そもそもは自分に原因があるのはわかっているが、これ以上関わると墓穴を掘るだけな気がした。
気まずい沈黙が続く。いっそのこと、早く俺たちのダンス練習の番が来さえすればいいと思う。この模擬店準備の裏で、順番に個別練習が行われている。今は、女子グループの番。
だからこそ、ダンスのメンバーで固まって作業をしているのだった。その割には、間島は別のところに顔を出しているが。それは柳井のいるイケイケ軍団(学命名)だ。
「実際、羨ましいな~、アリスちゃん」
「何がですか、唯さん?」
「アリスちゃんは転校生だから知らないかもだけど、古井戸高校の文化祭にはね、面白い伝説があるんだよ?」
「あんた、それ、古井戸マジックのこと言ってんでしょ。二日目の夜に上がる花火を見たカップルは、ずっと一緒にいられるってやつ! ロマンチックだよね~」
女子連中が謎の噂話で盛り上がっている声が聞こえてきた。そんな胡散臭い話、初耳なのだが。渋い思いになりながら、黙々と手を動かしていく。
「ねっ、アリスちゃんと白波君にぴったり。わたしも誰か相手がいれば……」
「でも、ゆいぴょんは色々と頑張ってるんじゃないの~?」
「ど、どういう意味かな、玲奈ちゃん!」
俺はちらりとあぐらをかいてその巨体を丸めている男の姿を覗き見た。彼は女子の話など全く意に介さない様子で、ひたすらに作業に没頭している。彼には、意外と凝り性なところがあった。
心の中で、吉永も大変だな、と軽く同情する。俺の想像はたぶん間違いではない。似たような推理を、アリスから聞かされていた。
「そんなのただの迷信でしょ」
「雪江ちゃんは全然興味なさそうだね……」
「ゆっきーはクールだもんなぁ」
「だって、何の根拠もないじゃない、そういうの。続く人は続くし、別れる人は分かれる。……アリスさんと幸人はそんなのなくたって大丈夫だと思うけど」
「……雪江さん! わたくし、あの、すっごく嬉しいです!」
アリスのテンションは最高潮に達していた。教室の中に、感激に満ちた声が響いて――
「できた!」
「お前それ……」
その余韻をかき消すように大声を上げたのは学。堪らず俺は、友人に顔を向ける。
彼は段ボール箱を大事そうに両手で抱えていた。ある一面には、大きな丸い穴が。中には、ただ闇が広がっているばかりで、その様子はよくわからない。
「くうきほ~」
「下手くそな真似はやめろ」
だみ声の間延びした口調は、某青いロボットを思い起こさせる。
「じゃあ、エアキャノン!」
「なぜに英語……」
「待て、学。それはエアキャノンと呼ぶにはあまりにも威力が低すぎる」
「剛、なんかズレてないか?」
学の手から空気砲を取り上げると、剛はしげしげとそれを観察し始めた。ぶつぶつと何かを呟いて、その目は意外とマジだ。
なにしてるんだ、こいつらは……。明らかに遊んでいる。こんなことしてたら、実行委員の連中に――
「お、小峰! 面白いもん作ってんじゃねーか」
柳井と、その後ろから二人ほど男子がやってきた。所謂文化祭ガチ勢のクラスメイト達。しかし、学を責めるわけではなく、心の底から興味を持っているようだった。
「いや、面白いもんって……ただのガラク――」
「わかってない。わかってないよ、幸人。やっぱり、彼女ができて君にはロマンってものを無くしてしまったんだね」
「お前は、明城とずっとイチャイチャしてろ。その間に俺たちは、次のステージを目指す」
「いや、なんでそこまで言われなきゃいけないんだ……」
そんな風に言われて仲間外れにされるのも面白くはなく、俺もまた彼らの謎の話し合いに加わる。騒ぎながら、あれやこれやとアイディアを出し合っていく。
――その後、男子の輪が巨大化した結果、女子たちに盛大に怒られたのは言うまでもない。俺たちが苦心して、作り上げた空気砲は焼却炉の中に吸い込まれていった。
*
「どうですか、幸人さん?」
「ん、ああ――」
ドアが開く音がして、俺はそちらの方を振り返った。そこには、黒いドレスに身を包んだアリスの姿があった。 首には、シンプルなデザインのネックレスがかかっている。
放課後の演劇部室。本番は文化祭の二日目、劇の準備はクライマックスを迎えていた。今日はこうして衣装合わせをして、劇の稽古を行う。明日はいよいよ、講堂を使ったリハーサルだ。それが終われば後は当日を待つだけ。
アリスはただじっと俺が何かを言うのを待っていた。どこか恥ずかしそうに顔を伏せている。かすかにその頬が紅潮しているのがわかる。
俺は完全に、彼女に目を奪われていた。何か誉め言葉を口にしようと思うのだが、上手く声にならない。言いたいことは積み重なっていく一方で、どれも稚拙で薄っぺらい内容だと実感してしまう。今だけは、剛の語彙力が純粋に羨ましかった。
黒のドレスは、彼女の大人っぽさをより引き立てている。さらにそのスタイルの良さをまじまじと見せつけていた。とても同じ高校生だとは思えないほどに。
「……変、でしょうか?」
「いや、そんなことない。すっごいよく似合ってる」
結局、そんな他愛ない表現にとどまってしまった。それでもアリスは嬉しそうな顔をした。パーッと顔がほころんで、いつもの無邪気な部分が表に出てくる。
「当然さ。手芸部、珠玉の逸品だからね!」
「下手に文句でも言おうものなら、来年以降協力してもらえないですもんねー」
「大垣、そういうことは言わない。僕は本心から、かの部活の実力を――」
「はいはい、あんまり二人の邪魔をしない」
瀬田の言葉を皮切りに、演劇部室が一気に騒がしくなる。そう、別に俺たちは二人きりではない。さっきからずっと、この二人の男子はいた。そしてアリスには、中谷が付き添っていた。
「邪魔ってなぁ」
「明城先輩、着替えてる途中、ずっと気にしてたんですよ? 『幸人さんに気に入ってもらえなかったら、どうしよう』って」
ニヤニヤとこの噂好きしそうな後輩女子が、アリスの顔を覗き込む。
「そ、それは黙っててくださいよ~」
「アハハ、ごめんなさい、つい揶揄いたくなっちゃった。――でも、ホントよく似合ってますよ。どこかのお姫様かと思ったくらい!」
「ふふ、お姫様役は雪江さんの方ですけどね」
楽しそうに笑い合っている二人を眺めていると、小腹をつつかれた。ゆっくりと顔を向けると、犯人――瀬田寅彦は意地の悪そうな笑顔を浮かべていた。
「どうする? 一回、二人っきりにした方がいい?」
「余計な気は回さなくて結構だ。そんな時間、ないだろ」
「よかった、ちゃんとわかってくれてるみたいで。――ってことで、そこの女子二人! さっさと移動するよ」
ちらりと腕時計に目を落としてから、彼はアリスたちに声をかけた。
「はぁ。部長は女心ってのをわかってませんねぇ……そんなんじゃ、いい脚本家にはなれませんよ?」
「そうかい? 全てを知ってしまえば、想像の働く余地がなくなると思うけどね」
「またこの二人は……」
演劇部の面々が軽口を交えながら、部室を出て行く。俺とアリスは並んでその後ろに続いた。やはり、彼女のいつもとは違う格好についドキドキしてしまう。
それにしても、アリスは意外と黒が似合うんだ、と変に納得していた。制服はもちろん、私服を考えてみても、彼女がそんな色を身に着けるのはあまり見ない。
「なんだか緊張しますね。いつもは制服とかジャージ姿ですから」
「確かにな。……まあ俺はそこまで変わった格好じゃないけど」
強いて言えば、青いマントくらいだが、それは今手に抱えている。服装としては、平凡なシャツとズボン。一応腰には、小道具の剣をぶら下げてはいるけれど。
「そうですか? とってもかっこいいと思いますよ!」
「またお前は照れるようなことを臆面もなく……」
「だって言わないと伝わりませんから」
にっこりとほほ笑むアリス。どこか悪戯っぽい言い方。
ちょっとたじたじになりながらも、俺は心底彼女のそんな様子に安堵するのだった。最近は、ちょっと元気がないように見えていたから。
そんなことを思いながら、今日の練習場所である教室を目指すのだった。
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