第七十八話 ズレ

「それであたしが呼ばれたわけね」


 うんざりしたような口調で言うと、雪江はパイプ椅子背もたれにぐっと寄りかかった。腕組みをして、その瞳は少し困惑している感じだ。


 全体練習を終えて休憩に入った時、傍らに中谷がいることに気が付いた。彼女はすぐに俺たちの方にやってくると、そのまま雪江に話しかけた。そして事情を特に説明しないままに、こうして演劇部室まで連れてきたというわけだった。俺とアリスは成り行きで、参戦することに。

 

 部室にはあと、瀬田と大垣もいる。瀬田はずっと劇の練習に付きっ切りだったが、大垣の方はずっとこの部屋でシナリオ考案の作業をしていたようだ。それは中谷も一緒なのだが――

 

「王女役は湊先輩です。だから、何か思うところがあるんじゃないかなーって」

「はっきり言ったらどう、中谷? いい案が浮かばなかっただけだってさ」

「ぐぬぬ、部長は黙っててください! だいたい最初からアンフェアなんですよ。そっちは二人、こっちは一人」

「中谷さん、わたくしは味方です!」

「あ、ありがとうございます、明城さん。百人力です!」


 二人はがしっと固く握手を交わした。遠巻きに見ている俺たちにとっては、もはや異様な光景だ。だが、当事者はそんなこと気にしてないらしい。


「しかし、これはいよいよ間に合わないんじゃなくて、瀬田演劇部部長さん?」

「ははは、手痛いところを……」


 丁寧な口調で詰め寄る雪江には、かなりの迫力がある。部長殿はちょっと気圧されている。たじたじといった様子で頭を掻いた。


 今でもたまに思うが、昔と大きく性格が変わりすぎだと思う。その原因の一端である自覚はあるから、なんとも言えないが。


「まあ基本線は変わりないから。それに、さっき白波君から参考になる意見をもらったしね」

「ふうん、この人がねぇ」


 雪江は今度は俺に、疑るような視線を向けてきた。口元には冷ややかな笑み。信じられないような反応。まあそれは自分でもよくわかっている。

 俺が少し強く睨み返すと、幼馴染みはおとけたように肩を竦めた。しかし、余裕そうなのは崩れない。


「そうだ、瀬田先輩。原案は組み上がったので、チェックしてもらえます?」

「ああ、もちろん。――誰かとは違って、優秀だねぇ」

「ムカッ! あたしだって頑張ってます! バッドエンド至上主義組は黙っててください」

 嫌味な言い方に、さすがに中谷もキレる。


「それで、湊先輩。お手伝い、してもらえますか?」

「……まあ、あたしで力になれるのであれば」

「頑張りましょう、雪江さん!」


 こうして、部室の中は完全に二分されるのだった。俺は当然のように瀬田たちの方を手伝う羽目にーー




       *




 夕暮れの帰り道。オレンジ色の光を背に受けて、俺はアリスと一緒にのんびりと自転車を走らせていた。土曜日のこの時間に通学路を通っているのは、少し不思議な気分だった。


「よかったですね~、とりあえず、なんとかなりそうで」

「ああ、そうだな。瀬田と雪江の大激論も見物だったしな」


 信号が赤になって止まる。俺はゆっくりとアリスの方を振り向く。彼女の白い肌は、夕焼けによく映える。前髪を押さえて、心地よさそうに目を細めている。


 二人の話し合いのテーマは王女の心情について。監督の瀬田と、演者である雪江の間にはいつの間にか齟齬が生じていたみたいだ。

 男女別々に違う結末について話し合い始めてから、数十分後。中谷が率いる形で、彼女たちが俺たちのテーブルに乗り込んできた。


 瀬田的には、王女は主人公のことが好きだったらしい。国王に命じられての結婚だったが、そこに愛はあった。それが裏切られたわけで、国王共々激怒。主人公とヒロインを迫害するに至った。

 しかし、雪江は別に主人公のことを好きだったわけではないというのだ。確かに彼は、国を救った英雄。嫁ぐことに対して光栄だと思いつつも、そこまで積極的に受け入れられるものではなく。そこに含まれる政治的意味合いを嫌がった。そんな風に、雪江は考えた。


 だからこそ、アリス――ヒロインが二人の暮らしをかき乱したことに対して、どこか仕方ないと思うのだった。王女が主人公のことに目を向けていないのと同様、主人公もまた王女のことを見ていない。そんなすれ違った結婚生活に意味はない、と彼女はわかっていた。


 そう考えれば、まだヒロインと王女が結託する可能性は十分ある。それを軸に構成したのが中谷案。主人公とヒロインは、王女との対話を果たし、ついには国王と和解する。そして、辺境の地で二人幸せに暮らすのだった。


「うーん、やっぱり素敵ですね!」

「……だな」


 改めて思い返して、一人喜ぶアリスをよそに、俺は自分の中に未だ納得がいかない部分があるのを感じていた。

 やがて信号が変わって再びペダルを漕ぎ始める。二本目の角を左に曲がれば、もう我が家近辺。アリスに心の機微を悟られないように、平気な様子で自宅を目指す。


 瀬田も、大垣も、その女子部員の作り上げた結末に満足がいっているようだった。ただ部分的に甘い部分や、これまでもシナリオと整合しないところがあるため、本日中の感性には至らなかったが。

 それでも、明日の練習には間に合うと、瀬田は断言していた。それができてようやく、この劇のシナリオは完成。後は本番に向けて芝居の精度を上げていくだけ。

 残っているのは、最も大事な要素だが、さっきあの場にいた全員が、劇の成功を予感した。いや、ようやくその像が見えかけてきた、というべきか。


 それでも、俺一人だけが――


「じゃあ、アリス。また明日な」


 家の前で自転車を止めて、俺は彼女の方を振り返った。サドルには跨ったまま、顔だけを向ける。


「……待ってください。実はずっと訊きたかったことが」

「訊きたかった、こと……」

「幸人さんは、どうしてあのような話を思いついたのですか?」


 予期していなかったといえば、嘘になる。俺が夢の話をした時のアリスのあの微妙な反応を見て、彼女には何か思い当たる節があるのだと、直感した。


 それがまた、俺が中谷案にいまいち賛同できない理由に、間接的に繋がっていた。には相応しくないと、感覚的に思ったのだ。俺が見た夢の方が、本当にあったことーー


「夢を見た。あれはやはり過去の――」


 核心に迫ろうとした時、彼女がボロボロと涙を流し始めた。彼女はそれを拭おうともしない。ただ呆然としたまま見つめてくる。


 それを見た俺はそれ以上、なにも言うことができなくなった。困惑のままに、自らの恋人の様子を見守る。記憶が不完全な俺は、かける言葉を持ち合わせていなかった。


 そのまま、微妙な間が続く、気まずいなか、ゆっくりと自転車から降りようたら――


「ゆきとさんっ!」


 いきなり突風が吹いてきた。不安定な体勢だったため、俺は自転車ごと大きくよろめいてしまった。


 ガシャンーー大きな物音が、閑静な住宅街の中に響き渡る。かごにいれていたバッグが飛び出し、自転車がそのまま倒れかかってきた。


 間一髪、俺は巻き込まれずにすんだ。ダメージは、尻餅をついた時に手首を強く地面についた程度。そんなに痛みはない。


 慌てた様子で、アリスが駆け寄ってきた。


「だ、大丈夫ですか? お怪我は」

 彼女の手をとりながら、立ち上がる。


「いや、なんともないよ。アリスの方は?」

「わたくしはなんとも……」

「しかし、最近ついてないなぁ。この間のプール授業といい。――そんな不安そうな顔するなって。ほんと、平気だからさ」

「で、ですが……」


 この前も思ったが、ちょっと過度に心配し過ぎな気がする。元々、アリスは俺にとても気を使っているような気がするが、それにしても、だ。大怪我をしたわけでもないし、運が悪いと軽く笑い飛ばしてくれる方が。


 結局、話はうやむやになってしまった。そのまま、また明日と、アリスと別れた。彼女は最後まで浮かない顔をしていた。


 そこに含まれている意味を、この時の俺は全く理解していなかった――

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