第七十七話 演劇と記憶と夢

 ――夢を見た。それははるか遠い過去の記憶を写し取ったもの……確証はないけれど、俺はそう思っている。似たようなことはこれまで何度もあった。

 それでも、前世の記憶をあらかた取り戻した最近は、そんな夢を見ることも全くなかった。だからずいぶんと久しぶりなその感覚に、こうして寝そべったまま余韻を感じていた。


 俺は血塗れで荒野に倒れていた。どくどくと、腹部から血が流れだしていく感覚は妙にリアルで、今も頭に残っている。俺は思わず、腹に手を当てた。当たり前だが、なんともない。


 そんないきなり意味不明な状況に置かれながらも、自分が着実に死に向かっていることだけはわかった。あれはきっと、死ぬ間際の瞬間なのだろう。未だ知らぬ、俺の終わりの時――


 霞む視界の中に、アリスが横たわっていた。息はあるものの弱々しく、身体は微弱に隆起しているだけ。そこに至るまでの経緯は不明だが、俺とアリスは一緒にいた。


 何かを約束した覚えがあるのだが、それは感覚だけ。中身はまるで覚えていない。それがとてももどかしくて、苦しくて、こうしてつい身じろぎをしてしまう。それでもすぐ起きる気にはならない。謎の倦怠感に襲われていた。


 ボーっと天井を見つめる。ここは確かに自分の部屋なのに、その実感がひどく薄い。場違い感、疎外感、空虚感、ともすればこのまま意識が眠りの世界に溶けてしまいそうな――


「幸人、いつまで寝てんのよ! アリスちゃん、とっくの昔に迎えに来てんぞ!」


 荒っぽく階段を上る音が聞こえたと思うと、けたたましい声と共に扉が開いた。ゆっくりと顔を向けると、すっぴんの従姉が部屋の入口に立っていた。むすっとした表情で、どこか怒った風に俺を見下ろしている。


 今日は土曜日なのに、どうしてあいつが……少し考えて、今日は学祭準備があることを思い出した。とてもそんな気分にはなれない。しかし、行かないという選択肢はないわけで。


「起きてるよ。今から着替えるから」

「全くなにが、よ。だったら早く、下りてこいっつーの……」


 ぶつくさ文句を言いながら、まり姉が部屋を出て行った。せめて扉くらい締めてけよ、と思いながら、俺はゆっくりとベッドから起き上がるのだった。



 体育館の中に、爆音のBGMが鳴り響いている。それを聞きながら、俺は同じグループのメンバーと顔を突き合わせていた。


「やっぱり、ステージだとどうしても立ち位置がずれるねぇ……」

 葛西が顔を顰めて、頭を掻いている。


 文化祭までいよいよ、二週間ちょっと。この時期になると、土日の午前中は体育館が解放され各クラスに割り当てられる。うちのクラスは今日がその日だった。

 ひとまず個別練習を終えて、最後の全体練習に向けて反省会の最中。輪の中心には、剛が持ってきたタブレット。そこに先ほどのダンスを録画してあった。


「ゆいぴょんは照れてるのか、動きが小さい」

「……うっ、だってみんな見てるから」

「何言ってんの! 本番はこの比じゃないよ!」

「手厳しいな、葛西は……」

「大力も! あんた、いつになったらステップ覚えるのよ! また間違ってたわよ」


 映像を見ながら、リーダーがメンバーに指導を入れている。なかなかに熱が入っているようだった。俺は控えめにそれを眺める。


「葛西さん、張り切ってんねー。おお、怖い怖い」

「お前、あんまりおどけてると――」

「小峰! あんたは動き過ぎ。もうちょっと周りと合わせて」


 いきなり彼女の顔がこちらの方を向いた。そのまま二人のマシンガントークが始まる。矛先が自分たちから外れて、剛たちはちょっとホッとしている様子だった。


 俺はアリスの方をちらりと見た。彼女は雪江と何か言葉を交わしている。どちらも真面目な表情。もしかすると、自主的にさっきの反省をしているのかもしれない。


 そんな穏やかな日常風景に、俺はどうしようもなくほっとしていた。朝、変な夢を見たせいだろうか。ひどく現実離れしていたせいで、反動でこんな時間が心に染みる。

 アリスには夢の話は伝えていない。俺が少し遅めに起きたせいで、無駄話をする時間は全くなかったからだ。


「おやおや、幸人君は自分の彼女のことが気になるみたいだねー?」

「……別にそんなんじゃねーよ、間島」

「あーあ、俺だけ仲間外れかー」

「だけってことはないだろ。剛や学だって」

「どうかなー。君も少しは気づくところがあるんじゃないの?」


 そう言うと、間島は意味ありげな視線を、吉永、葛西と向けていく。……まあ、その意味することは分からないでもない。あんまり考えたくないことではあるが。


「さて、次はそこで他人事みたいにしているお二人さんね」


 なんとなく、葛西さんの顔は一際険しく見えたのは気のせいだろうか。





        *





「――いやぁ、ないない。そんなの、部長以上のバッドエンドじゃないですか」


 俺の思い付きに、真っ先に中谷が非難の声を上げた。いきなり槍玉にあげられた瀬田は、なんともいえない微妙な表情をしている。


 昼下がりの演劇部室。午前のダンス練の次は、午後の劇の稽古。多忙なスケジュール。でも、不思議と嫌じゃない。


 未だに劇の結末は決まっていない。何本か、この中谷や大垣が代案を出してはくれた。だがどれもしっくりこず。ずるずると、この土曜日まで来てしまった。


「逃げ続け、最後には追手の手によって二人、命を落とす。まあ僕好みだけどさぁ」

「あまりにも救いがなさすぎません、それ。そんなに二人は悪いことをしましたかね」

「人生とは、思い違いと誤解の連続だよ、大垣君」

「えぇ、なんなのこの人……」

 もっともらしい瀬田の言葉に、一つ年下の男子部員は渋い表情で首を振った。


 俺が提案したのは、朝見た夢の話を元にした結末。それが本当に前世であったことかはわからないが、俺とアリスはあえなく追いかけてきた兵士たちに倒されてしまう。

 二人は最後まで互いの愛を貫くことに決めた。それは実りはしなかったが。不思議と俺は、その幕引きがしっくり来ている。まあ考えたのは自分なわけだから当たり前か。少しだけ、瀬田やアリスの気持ちがわかった。


「アリスは、どう思う?」

「えっ、わたくしですか? ……そうですねぇ」

 どこか気のない返事だ。

「やっぱり、明城さんは嫌ですよね。ねっ!」

「こらこら中谷、誘導はしない。――とりあえず、僕は興が乗ったよ。それでちょっと考えてみよっかな」

「はあ、また始まった……」

 中谷は苦々しい顔でため息を一つつく。


「文句があるんだったら代案を、だよ」

「……スパルタだなぁ、部長は。――私的には、王女様をもう少しうまく使うのはどうかと思ったり」

「上手くってどうさ?」

「王様にうまいこと取り入ってもらうとか」

「とか、って……だったらその線で固めてみたら?」


 軽くあしらう部長に対して、一年女子は明らかに不満顔を見せた。それをもう一人の演劇部員が窘める。それはここ数日で、よく見た光景だった。

 そんな彼らの様子に苦笑いしつつも、俺はアリスの様子が気になっていた。どこか上の空、というか。俺が話している最中も、あまりその内容に聞き入っている風ではなかった。だから、さっき話しかけたのもそれを気にしてのこと。


 アリスには何か心当たりがあるのかもしれない。彼女はまだ何かを隠している。それははっきりとしている。その空白に、果たしてどんな意味があるのか。


「ま、とにかく今日は他のシーンの練習だね。小峰君がいないのは残念だけど、それでも前半から中盤までは通しでできるはずさ」

「あー、ずるい、部長! ちょっと追い込まれ気味だからって、そうやって――」

「ほら、いこう、二人とも!」


 やや強引な感じに、瀬田は立ち上がった。それで、俺とアリスも遅れて立ち上がる。


「中谷は自分の案を進めておいてくれ。そして、大垣は……どうする?」

「僕もどちらかといえば、先輩の――白波さんの案が好みかもですね」

「そっか、じゃあこの後二人でブレストしよう」

「あー、ずるーい!」


 それ以上、部員たちの相手をすることなく、瀬田は扉へと向かっていく。俺たちも、ちょっと気まずさを感じながら、後に続いた。今日の稽古場は、三階の空き教室に用意してある。


 前世の出来事については気になるが、今はこっちに集中しなくては。改めて、アリスの顔を見ると、先ほどのどこかぼんやりとした感じはどこかに消え去っていた。


 当日までもう時間はない。にもかかわらず、この劇の結末はいまだ不明のまま。それでも、ただ俺は集中してやっていくだけだ。このどこか既視感のある物語を最後まで演じ切る。その先に、きっと何かがある。そんな予感を胸に秘めながら――

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