第七十六話 相応しい結末

 薄暗い牢屋。石畳の上に無造作に仰向けに寝転んで、俺は天井をただひたすらに見つめていた。段々と目がなれてくるが、その中に見出すのは過去への想いだけだった。

 そんな風に台本に書いてあった。いや、本じゃないな。俺が持っているのは数枚の紙束だ。ここは牢屋ではなく、カーテンがぴたりと閉まった演劇部室。あくまでも、仮採用みたいなものだった。

 前回の稽古から僅か二日後。アリスがすぐに物語の結末を用意してきた。それをためしに実行してみようというのが、今現在の状況。


「ユキト様、ユキト様。起きてくださいませ」

「……アリス!? どうしてここに」

「あなた様を追いかけて参りました」


 声のする方身体を向ける。鉄格子代わりの、椅子でできたバリケードの前にアリスは立っていた。その目の端には少し涙が浮かんでいる。心細さと安堵感が同居したような顔色だった。


「どうして来たんだ――いや、そもそもまずどうやってここまで入ってきた?」

「私は魔法使いの子ですよ? これくらいなんてことはありませんとも」

 泣き笑いの表情のまま、彼女は少し胸を反らせた。


「こんなことをしたら、また君の立場が悪くなるだろう」

「私の立場……なんです、それ? 今まで一度たりとも、そんなことは気にしたことはありません」

「しかしだな。俺はこんなことを望んじゃいなかった。俺は――」

「それはこちらのセリフです、ユキト様!」


 その叫びは思ったよりも大きくて、俺はついドキリとさせられた。アリスの顔には、少し怒りの色が浮かんでいた。


「どうして、一人勝手に行ってしまわれたのですか! あの夜、これからも共に暮らしていこう、とおっしゃったのは嘘だったのですか!」


 境界ギリギリまで迫ってくるアリス。芝居とは思えないくらいに、鬼気迫っている。この結末を考えたのは彼女だから、何か気負うところがあるのかもしれない。


 あるいは――


 一瞬浮かんだ、この場に全く無関係な考えを振り払うように、俺は大きく息を吸い込んだ。この後の流れを反芻しながら立ち上がる。


「嘘じゃない。そうしたいと思ってた。でも、それは不可能だ。俺も、君も、この世界のはみ出しものさ。俺たちにとっての安寧の地なんて、どこにもない。でも、君一人だけならば生きていける。俺はそれに望みを託すことにした」

「だから、自ら城に戻ってきたと? おかしいじゃありませんか! 貴方様はこの世界をお救いになったお方。にもかかわらず、どうしてこんな仕打ちを……間違っているのは世界の――」

「それ以上は言うべきじゃない、アリス」


 彼女ははっとした顔をすると、慌てて口元を両手で押さえた。視線が少し不自然に泳ぐ。


 そのまま俺たちは見つめ合った。まるで時間が止まったかのように、空間には何の動きもない。ひたすらに静寂の時間が続く。


 逃避行の果てに、ついに結ばれることになった二人。しかしその幸せは長くは続かず。当てのない旅を続ける中で、次第に男――俺の方が疲弊する。


 自分たちはただひっそりと二人だけで生きていきたい、ただそれだけだった。だが、人々が、世界がそれを赦してくれない。祖国からの追っては止まず、待っていたのは穏やかな日常などではない。常に戦いに明け暮れる日々。しかもそれは、おおよそ無意味といっていいものだった。


 だから、選んだ。彼女だけを生き残らせる道を。そもそもの始まりは贖罪。魔法使いとの約束を果たすため。


わたくしは納得できません! 貴方様がいないこの世界に、いったい何の意味がありましょうか!」

「だが、このままいけば俺たちは共倒れだ。明るい未来なんて何一つ待ち受けていない。それでも、君は――」


 彼女の目を見て、俺は言葉を飲み込んだ。強い決意がそこには秘められていた。とても作り物には思えない。彼女の心の底からの言葉のように、芯に迫っていた。


 瞬間、俺の脳裏に不思議な絵が浮かんだ。アリスそっくりの女性が、鬼気迫る表情で俺に詰め寄っている。フラッシュバック、そして既視感。未だ空白のままの前世の記憶の中に、似た出来事があったのかもしれない。

 俺はただ、彼女の顔を見つめることしかできなかった。次にいうべきセリフはすっかり吹っ飛んで。これが劇の練習ということすら頭から消えて――


「幸人さん、幸人さん。次、幸人さんの番ですよ?」

「……あ、ああ。悪い。えっと――」

「ここです、ここ」


 アリスの声で我に返った。そして次のセリフを教えてもらう。だが、いくらセリフ合わせといってもこんなこと許されるはずもなくて。


「ストップ、ストップ! どしたのさ、白波君?」


 部屋の電気がついた。そして、演劇部部長が俺たちのところにやってきた。少し困り顔で、怪訝そうにこちらを見てくる。


「悪い、悪い。ちょっとぼーっとして……」

「もしかして、今日の体育で疲れてるのかい? 足もってたみたいだし」

「……なんです、その話?」


 少しくぐもった声音で、アリスが詰め寄ってきた。その大きな瞳で、俺の顔をしっかりと見つめてくる。劇中の姿はどこにもない。いつも通りの、直情的な彼女に戻っているようだった。

 おそらく、心配してくれているのだろう。瞳がやや不安そうに揺れている。口元に、妙な力が入っているようだった。


「なんてことはないよ。ちょっと泳いでる時に、足が攣って――」

「えっ! 一大事じゃないですか! 溺れたりしなかったんですか」

「ああ、それは大丈夫……って、大袈裟すぎやしないか」

「だって水の中ですよ。一歩間違えれば大変なことに……。幸人さんに、何かあったと思ったら、わたくし……」


 アリスは少し涙ぐみながら詰め寄ってきた。けなげというか、なんというか。そんな反応をされると、俺としてもかなり困る。


 実際、そこまで激しく足が攣ったわけではない。泳ぎ切る寸前での出来事だったので、すぐにプールサイドに上がることができた。剛や学なんかは、そんな俺を見て大笑いしていた。

 一方で、それは人生初めての出来事だった。曲がりなりにも十年近く水泳をしていて、今までそうした事故とは無縁だった。だからその瞬間だけは流石にびっくりはした。念入りに準備体操はしたつもりだったのだが。


 とりあえず、俺は彼女の肩をぽんぽんと優しく叩く。すると彼女が僅かに顔を上げた。その目が真っ赤なのが、真っ先に気になった。


「おうおう、アツいね~、お二人さん……ボクのこと、忘れてない?」

「なわけないだろ。ちゃんと稽古の途中だってのはよくわかってるさ」

「す、すみません、瀬田さん。関係ない話を……」

「まあなんでもいいけどさ~。――で、どう? 続けられそう?」

「はい、もちろんです!」


 力強く答えるアリス。対して俺は、とても億劫な気分になっていた。この先に対する謎の不安感。何があったわけでもない。それは、初めて彼女の草案を読んだ時から、漠然と感じていたものだ。理由はわからないが、彼女の描いた結末に、得体の知れない違和感を覚えていた。


 それが、実際に演じてみた結果、ぐっと強まった。こうして間を置いていなければ、きっと無視して最後までやり切っただろう。しかし、俺は気が付いてしまった。自分の感情に。それがどうしてか、俺の身体を重たくさせる。


「おや、白波君には何か不満があるみたいだけど」

 それが顔に出ていたのか、瀬田は意地の悪い顔を俺に向けてきた。

「そうじゃないけどさ……」

「でも、さっきちょっと上の空でしたよね?」


 アリスもまた切り込んでくる。ちょっと困ったように、その眉は八の字に曲がっている。


 ばつの悪さを感じて、俺は少し顔を背けた。果たしてはっきり言っていいものか。軽く思い悩んだものの、結局指摘してみることにした。謎の違和感を無視することができなかった。


「正直な話、この後、二人がまた逃げ出して一緒に旅をつづけるってのはどうにも」

「どうしてですか? 最後には二人にとっての楽園の地が見つかって穏やかに余生を過ごす。とてもすてきなハッピーエンドです!」

「若干僕への当てつけにも聞こえるんだけど……。まあ確かに、ちょっと都合はいいけど話としてはまとまっている。様々な困難を乗り越えて、二人は愛を貫くことに成功するわけだ」

 その通りと言わんばかりにアリスは大きく頷いた。


「でもねぇ、だったら主人公の最初の自己犠牲はどうなんのって話にならない?」

「別にわたくし……ヒロインの深い愛が主人公様の御心を動かした、ということです!」

「私情が入ってるね」


 呆れたように瀬田は首を振った。きっと彼にもまだ納得のいってない部分があるのだろう。だからこうして、本採用は保留して、俺たちに読み合いをさせている。


「そんなことは……ただ今の結末よりも、こっちの方が大衆受けするとは思いませんか?」

「それは大事なことだけどねぇ」


 瀬田はやはり渋い反応を繰り返す。そもそもこの脚本を作り上げたのは彼だ。だから、その結末にも当然自信を持っているわけで。


 主人公がその身を犠牲にしてヒロインを生かす。彼だって本当は彼女とずっと暮らしていきたかったはず。しかしそれが無理だと悟った。だからせめて、最愛の人だけは――納得できないわけではない。ただ、もしそれが俺だとしたら――


「おーい、聞いてる、白波君?」

「えっ……あ、ああ、悪い。ちょっと考え事を……」

「大丈夫ですか? やはりどこか悪いんじゃ」

「そうじゃないから。心配し過ぎだ、アリス。――で、何の話だっけ?」

「とりあえず今日のところはお開きってことで。もしかしたら二人が名案を持ってくるかもしれないし」

 二人というのは、シナリオ班の男女コンビのことだろう。


「でもそれで間に合うのか?」

「もちろん、期限は設けさせてもらう。何もなければ、元のまま行くから。ところで、白波君はどう? なにかないかな」

「俺? うーん、そうだなぁ」

「ちょっと考えてみてくれよ。主人公を演じるのは君だ。明城さんみたく、何か思いつくことがあるかもしれない」

「わたくしのは、見事に却下されそうな感じですけれど」


 ちくりとした物言いに、演劇部部長は困ったように笑うだけだった。少しだけ、部屋の中の空気が緩んだ気がする。


 この物語に相応しい結末、か。それも大事だが、俺としてはもう一つ気掛かりなことがある。前世の空白の記憶、こうして演劇の練習をしていると、なぜかそのことが気になって仕方がなくなるのだ。

 これはやっぱり――ちらりとアリスの方に目を向けてみるが、彼女はにっこりとほほ笑むだけだった。たぶん彼女に聞いても、何も教えてはくれないのだろう。

 俺は一つ大きく息を吐いた。この心のもやもやを一気に晴らす何かがあればいいのに――

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