第六十六話 動き出す学祭準備
「はー、ここが演劇部の部室かぁ。案外普通な感じなんだね」
感嘆の声を漏らしたのは俺ではない。もちろんアリスでも。
翌日の昼休みのこと。弁当を食べ終えた頃を見計らって、瀬田が話しかけてきた。そして彼に連れられて、四階の片隅にあるこの教室に連れてこられたわけである。
もちろん、当事者は俺とアリスだけなわけで、その時近くにいた連中は関係ないはずなのに――
「逆に何を期待していたのかな、小峰君は……」
「ほら、鹿の頭とか、怖い仮面とか、模擬刀とか、珍しいもので溢れてるのかな、と」
「劇で使う小物はそっちの棚にしまってあるよ」
「――待て、学。落ち着け、勝手なことをするな」
ちょこまかと動き出そうとする例のバカを巨漢が止めた。こういう時、剛のガタイの良さは便利だ。スポーツに活かされることは、永遠にないのだが。
そう、こいつらみたいな部外者もついてきていた。後は吉永と雪江――こいつ昨日に引き続いて昼休み俺たちのところにやってきた――つまるところはいつもの面子なわけだけど。ちなみに動機は暇だったから、と面白そうだったから。うん、単純なのって素晴らしい……はぁ。
まあ部長殿が許可しているのなら、何も問題はないけど。彼は嫌な顔一つ見せず、ここに俺たち六人を連れてきた。人の好さが滲み出ていると思う。
見た感じ、内装は
中央には大きな机と、囲むようにして、年季の入った黒革のソファが設置してある。正面には大きな窓が付いていて、そのすぐ手前に一人用のデスク。後は筆記用具や本のような小物が、ぱらぱらとあちこちに置いてある。
さらに――
「彼らが我が古井戸高校演劇部の部員たちだ」
ソファには七人の男女――女子は一人だけど――が腰かけていた。彼らは部長の言葉に応じて、ばらばらと立ち上がる。おおよそ、大人し目の風貌。なんとなく親近感が持てた。
ぺこりと彼らが頭を下げたので、俺たちもお辞儀を返すことに。顔を上げた時には微妙な空気が部屋に満ちているのがわかった。端的に表現すれば戸惑いだろうか。
「……で、瀬田。結局、どうなったんだ?」
気まずいながらも、俺はおずおずと口を開く。一人、にこにこしたままの部長さんに向きなおしながら。
俺たちが部室に来た目的は、見学では決してない。俺とアリスが客演すること、それが果たして認められたのどうか、確認するため。……別に教室でもいいと思ったが。わざわざここまで連れてこられた、ということは――
「ああ、それね。みんな二つ返事でいいって」
こくりこくりと、全員が頷いている……こういう時、一人くらい『部長、どうしてこんなやつらに!』とかって、言い出す部員いてもおかしくなさそうなのに。見た目通り、中身も温和な感じなのかもしれない、ここの部員は。まあ、ひとまずはよかった。
なんとなく予想はついていたものの、実際に確認するとやはり安堵する。差し出がましいことだとはわかっていたが、それでも自分がしたいと思った。瀬田の考えた物語を自らの手で――昨日ははっきりしなかったものが、今日は鮮明になっている。観客としてでなく、演者として体験したいと思った。……その理由は未だに謎のままだけれど。
「ですが、本当によろしいのでしょうか。主役とヒロインが他所の人、だなんて……」
「まあでも、ヒロインが明城さんにぴったりな以上、相方としてその彼氏さんが相応し――」
「……ちょっと待て。どうして瀬田がその事を?」
「いや、だって学年中に広まってるし」
彼は至極真っ当な顔をして言いのけた。
俺は思わずアリスの顔をばっと振り返る。しかし、彼女はどこか怯えた風にぶるぶると首を振った。その顔は必死に無実を訴えてるよう。
「……アリスさんのせいじゃないわよ、幸人」
「そーだよ、白波君! ずっと前から公然の秘密状態だったし、なにも変わらないよ!」
「……悪かったな、話の腰を折って」
アリスの友人から窘められ、俺としては立つ瀬はなかった。
「ま、とにかく。娯楽劇なわけだし、そんなに気を揉むことはないよって話さ。うちの部員たちもみんながみんな、役者志望な訳じゃないし」
またしても、ふんふんと首を縦に振る部員一同の皆さん。どうやら打ち解けるまではまだ時間がかかりそうなようだ。
「――ということで、改めて二人には劇の方、よろしく頼むよ」
部長さんと部員さんたちが深く頭を下げた。
「……あの、一つお願いがあるのだけれどいいかしら?」
会がお開きになろうとしたところ、水を差したのはまさかの雪江だった――
*
「へぇ、ゆっきーも劇に。そういうのやりたがる人だとは知らなかった」
放課後のダンス練。その休憩時間。だらしなく床に座りながら、俺たちは昼休みの出来事の一片を、我らがリーダーに説明していた。
「アリスさんの手助けが少しでもできればいいな、と思ったのよ」
「ゆ、雪江さん……! 嬉しいです!」
アリスは雪江の手をがっつりと握った。あの幼馴染といえど、さすがに照れているらしい。ちょっとその頬に赤みが差している。
瀬田もかなり喜んでいたな。脚本の細部まではまだ詰まってないらしいが、現状もうすでに人手不足が明らかになっているからといって。その余波で――
「なぜ俺も手伝わなければならないのだ……」
「まあまあ、いいじゃない。俺もやるんだし」
「うぅ、みんながやるんなら、私も……」
「唯さんは仕方ないですよ、吹奏楽部ですもの」
「は~、なんか面白いことになってんのな~、白波」
たぶん、演劇部部長のタガを外したのは雪江だろう。彼はここぞとばかりに、俺の友人たちにも応援を要請。学の方が乗り気で、引き摺られる形で剛も加わった。『いやぁ、実は大力くんのこと狙ってたんだよね~』とか、謎のカミングアウトがあったせいで現場の空気は凍り付いたが。……身長高いから、舞台映えするっていう意味らしいですよ。
こうして、徐々に人員が集まってきたこともあり、明日までに脚本を仕上げると瀬田も張り切っていた。明日の放課後から、稽古が始まるらしい。
「まあこっちはこっちで頑張ってもらわないとね。大力とアリー! 昨日の振り付け、いつになったら覚えていただけるのかしら?」
「うぅ、すみません。ちゃんと復習したんですけど……」
「いや、動きは覚えたんだが、身体がついていかないというか……」
葛西は二人への憤りを隠そうとしない。腰に手を当てて、その目はいつも以上に吊り上がっている。そんな彼女を前にして、当人たちもたじたじのご様子だ。
それもそのはずで、アリスは主に振り付け自体のミスを担当。そして、剛はタイミングが遅れるという部分を担当。それぞれ、守備範囲が違うのだった。
……などと思っている俺も、もちろん全てがこなせるわけではない。運動部三人衆くらいなものだろう、その出来が問題ないのは。
「意外だねぇ。剛はともかく、明城さんも苦手だなんて」
「ほんとほんとー。私、アリスちゃんは何でもできると思ってた。頭いいし、料理も美味しいし」
「……まあ、人それぞれ向き不向きはあるからな」
吉永の指摘を俺は少し後ろめたさを感じながら聞いていた。『実はわたくし、泳げないのです!』昨日の帰り際のあの一言はインパクトがあった。結果、今週末プールに行くことになった。『このことは二人だけの秘密です!』とかなり念を押されたから、決して口外はできないんだけど。
しかし、こうして考えると、明城アリスという人間もそこまで完璧な人物ではないのだ。ちょっと安心した。知り合って間もない頃は、雲の上の人だと思ってたからなぁ。
「さて、そろそろ始めましょうか――さ、初めから行くわよ!」
リーダー殿がびしっと立ち上がったため、俺たちも仕方なく続くことに。あとニ十分――それは今の俺にはとてつもなく長いものに感じられた。
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