第六十五話 家デート

 剛や雪江と別れると、もう俺の家はすぐだ。ダンス練習から解放された大集団に紛れて、いつもの四人で校舎を出た。葛西は一階に下りてすぐ、学と真島は裏玄関のところで別れた。


「じゃあアリス。また明日な」

 俺たちは揃って自転車を止めた。

「お待ちください! 放課後はまだまだこれからですよ。まだ、幸人さんと一緒にいたいです!」

 降りたところ、彼女にブレザーの袖を掴まれた。

 

「……何するんだ?」

「なんでも!」

「言い出しっぺはそっちだろうが……」


 言いながらも、俺はちょっと思考に耽る。時刻はもう十七時になろうとしている。正直疲れているから、街に出るのは気が重い。かといって、この近くの娯楽施設って……あんまりよくわからん。友人と遊ぶときは、だいたい誰かの家でゲームだからな。


「家、寄ってくか?」

「いいのですか?」

「大丈夫だろう。母さんたち、しょっちゅうお前がいつ来るのか聞いてくるし」

「ええと、最短で一年後、でしょうか」


 ちょっと空の方を見ながら、彼女はたどたどしく答えた。すでにその右手は俺の身体を放し、自らのほっぺたに当てられている。

 

「……どういう意味だ?」

「だって現行の民法では、男の方は満十八歳にならないと結婚できないですよ」

 何を当たり前のことを、みたいなどこか非難するような顔をしている。

「あのな、嫁に来るって意味じゃねえぞ」

「えへへ、ちょっとボケてみました」

 ぺろりと舌を出して、アリスははにかんで見せた。


 反応するんじゃなかった。時間を無駄にした気分になりながら、俺は奴に構わず家の敷地内へ。そのままガレージの方へと自転車を押していく。


「ま、待ってくださいよ~」

 遅れて彼女もついてきた。


 ガチャリ――


 鍵を開けて家の中へ。玄関の様子を見るに、どうやら家に誰もいないらしい。親父はまあいいとして、女性陣の靴も見当たらない。


「お邪魔します」

「邪魔するんなら帰ってや~」

「へ?」

「……ごめん。忘れてくれ」

「はい。――ふふっ、変な幸人さん」

 くすくすと彼女は可愛らしく笑い声を立てた。


 こういう時のお約束はアリスには通用しなかったらしい。ちょっと恥ずかしくなって顔が火照る。もう二度とやるまい。俺はそう硬く心に誓った。

 そのまま階段の方へ向かう。思った通り、人の気配は全く感じない。


「あの、お家の方ににご挨拶は」

「今、誰もいないみたいだから大丈夫だ」

「で、では、幸人さんと二人きり……」


 後ろから邪悪なオーラを感じて、俺はさっさと二階の自室を目指すことにした。触らぬ神に祟りなし。ひっそりとした雰囲気の中に、少し不気味にタンタンタンという音が鳴る。

 上がってすぐ左手の扉が俺の部屋だ。ここにアリスを通すのは二度目。あの時と今日はその行為が何か違った意味を持つ気がして、ドアノブがやけに冷たく感じられた。


「幸人さんの匂いがします」

 部屋に入るなり物騒な一言が飛び出た。

「どんな匂いだよ……というか、お前さっきからおかしくないか?」

「そうですか? そんなことないと思うんですけど」


 アリスには部屋の中央に座ってもらった。座椅子を勧めた。……彼女はそこに背筋をピンと伸ばして正座して腰を下ろしたが。

 しかし、俺の部屋にこいつがいるというのはやけに落ち着かない気分になる。正直な話、家の中に入ってからずっと緊張していた。

 何のことはない、おかしいのは俺だ。アリスの言動がいつもと変わらないのは、ちゃんとわかっていた。俺が気にし過ぎだけである。


「適当に寛いでてくれ。なんか飲み物持ってくるから」

「そんなお構いなく……」

「そういうわけにもいかないだろ?」


 申し訳なさそうにするアリスを背に、俺は部屋を出て行くことに。あの空気に堪えかねたというのが、本音のところだった。





        *





「――さん。幸人さん、起きてください!」


 誰かに身体を揺すられた。それで意識が覚醒した。薄っすらと目を開ける。まだ少しぼんやりしているけれど。優しく微笑む銀髪の美人の顔が目に入った。傍らで膝立ちをして、こちらを覗き込んでいた。


「……悪い、寝てた」

「いえ、いいんです。だいぶお疲れみたいでしたから」


 俺はベッドから起き上がった。ふとテレビに目を向けると、黒い画面が広がっている。そして、カーテンはぴたりと閉まって、いつの間にか蛍光灯が灯っているではないか。


 アリスはこの間やっていたゲームの続きがやりたい、と言ってきた。特に思いつきもなく家に連れてきた俺としては、願ったり叶ったりというか。とにかく、せがまれるままに準備して、コントローラーを握らせてやったわけである。

 初めのうちはベッドに寝転がりながら、ぼんやりと彼女のゲームをする姿を眺めていた。今日あった学校でのことや、ゲーム内のことを適当に話しながら。しかし、やがて微睡んで――


「最低だよな、俺。せっかくお前が来てくれてるのに」

「いえ、一緒に過ごせるだけで幸せですから。それに体育とダンスの練習が重なったら仕方ないですよ」

「……そっか。もういいのか、ゲーム?」

「ええ、そろそろいい時間だと思いますし」


 机の上にある時計を見ると、時刻は六時を過ぎていた。そろそろ母さんが帰ってきてもおかしくはない。……改めて、自分が長く眠っていたことを思い知る。


 すぐに静寂の時間がやってきた。しかし、気まずいわけではなく。なんとなくこう、気分がふわふわするというか。ぽかぽかするというか。


「……なあ、こっち座れよ」

 俺はぽんぽんと隣の部分を叩いた。

「では、失礼しますね」


 そう言うと、彼女は遠慮なく腰を下ろしてきた。容赦なく密着してくる。その身に纏うすっきりとした甘い匂いが俺の鼻をくすぐった。

 そのまますぐ近い距離で、アリスと向き合う。間違いなく、俺は今幸せを感じていた。こいつのことが好きだ。改めてそう思う。

 どちらともなく顔を近づけて――


 ドタドタ、バタン!

「アリスちゃん来てる……って、お邪魔だったかしら」

 騒がしい闖入者が全てを台無しにした。


 一瞬にして部屋の空気がおかしなことに。俺とアリスは少しの間見つめ合った後、慌てて身体を離した。どこか照れたように顔を背ける彼女をよそに、俺は入口の方に顔を向ける。


「まりねえっ……!」


 招かれざる侵入者――中津川麻理恵のことをきつく睨んだ。百歩譲って部屋に来るのはいい。せめてノックをしろ、心の底から怒りを覚えた。


「アハハ、ユキトクン、オコラナイデー」

 さしもの従姉も少しは申し訳なく思っているらしく、その目は泳ぎっぱなしだ。

「……ご、ご無沙汰しておりました、麻理恵さん」

 アリスの口調はどことなくぎこちない。


「ええと、その、あれよ。健全なお付き合いを――」

「やかましいっ!」


 俺は勢いよく立ち上がって、奴の方へ。その姿を廊下に追いやると、少し力強く扉を閉めた。何か喚いていた気がするが、気のせいでしょう、そういうことにします。


「なんかごめんな。うちの従妹が」

「き、気にしないでください。……あ、あの、続きは――」

「いや、さすがに、なぁ」

「ですよね……」


 改めて促されると、ちょっと恥ずかしい。あれは、寝起きで少し頭の回転が鈍かったからできたことでもあった。しかし今、俺はすっかり元通りなわけで。

 しばし、無言の時間が続く。お互いに居た堪れなさを感じているようだった。俺もアリスも互いに顔を合わせることはない。


「お開きにするか。いい頃合いだし」

「……そうですね」


 滅茶苦茶気まずかった。まり姉め、今日こそは流石になんとか反撃を! ……と思ったが、やっぱりやめよう。暴力事件が発生するだけだ。

 俺は机の方に近づくと、水着が入ったバッグを手に取った。玄関までアリスを見送った後、洗濯機にぶち込んでおこうと思ったからだ。


 アリスはぼんやりと俺の方を見ていたようだが、俺が荷物を手にした時、はっとしたような顔をした。


「そうだ。実は、幸人さんに一つお願いがあるんです」

「……キスはしないぞ?」

「いえ、あの、そのことではなく……あんまりいじめないでください」

 少し子どもっぽく、彼女は唇を噛んでみせた。


「悪い、悪い」

 変なタイミングで恥じらいを覚えるのは相変わらずらしい。

「で、何だ?」

「わたくしに泳ぎを教えて欲しいのです」


 告げられた一言は思わず耳を疑うほど突拍子のないものだった――

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