第六十四話 忙しい放課後

 放課後がやってくると同時に、前の席の男が勢いよく立ち上がった。着席の号令がかかったばかりだというのに。担任の溝口もまだ教壇の辺りで何か作業中だ。


「じゃあみなさん、おっさき~」

 

 奴は俺たちいつもの四人に声をかけると、そのまま教室を出て行こうとした。今日もまた、いつもと同じようにその声は弾んでいる。よほど、部活ができることが嬉しいらしい。


 だが――


「待ちなさい、小峰! 今日からダンス練でしょ!」


 勝気そうなショートカットの女子がその行く手を挟んだ。彼女が部活としてやっているスポーツの一場面の如く、全身を大きく使ってしっかりと妨害している。

 

「帰りのホームルームでなっちが言ってたじゃんか!」


 なっち、というのはきっと寒河江のことだろう。彼女は確かに同級生たちに向けて掃除後に再集合するように要請していた。名前も夏美……だったと思うし。

 用件は学校祭のクラス発表についてのこと。わが校の伝統として、全クラスどの学年もダンスを披露することになっている。その詳細を説明するらしい。


「あはは、やだなー、もー。ちゃんと聞いてたってば、葛西さん」

「……ホントかな」

 彼女の眼光から鋭い光は消えない。

「もち、もち。でも、なんでわざわざ君が、俺のことをとめに来たのさ?」

「それはアタシがチームのリーダーだからよ! メンバーはこの周辺の五人プラスゆっきーと真島ね」

 すると、葛西は俺、剛、アリス、吉永と順繰りに一瞥してきた。


 しかし、ゆっきーって誰だろう? 心当たりはあるような、ないような……。まあ十中八九あいつだと思うが、後でわかることだからあまり気にしない。


「ほら、白波も机下げちゃって。邪魔になるから、さっさと移動!」

「あ、ああ。わかった」


 あまり親しくないクラスメイト女子に急き立てられながら、俺は慌てて荷物を纏めにかかる。そして席を立ってすぐに机を引いた。すると、葛西はぱっぱと学の机をこちらに向かって押してくる。つり目がちな彼女は見た目通り負けん気の強い性格らしい。


 そのままアリスたちと一緒に廊下に出た。葛西は最後まで一緒で、水泳部のクラスメイトが身に着けているブレザーの裾をずっと掴んでいた。きっと逃がさないようにするためだ。


「……はあ。至極面倒だ」

「そういうなよ、剛。決まり事なんだから仕方ないじゃないか」

「だいたいどうしてダンスなんだ? 別に他のやつでもいいし、第一全員参加ってのは納得できない」

「ええと、大力くん。私も苦手だけど、一緒に頑張ろう!」

「……ゆいちーは健気だねぇ」

 しみじみとして呟くは葛西だった。


「でもわたくしもちょっと嫌です。ただでさえ、演劇部のお手伝いもすることになって、幸人さんと過ごせる時間が減っている、というのに」

「いや、どっちも一緒にやるんだからいいだろ」

「そうですけど……。わたくしはその、二人っきりで穏やかに過ごしたいといいますか」

「なになに、アリー。演劇ってどゆこと?」

 

 頭の上に疑問符を灯す快活女に、アリスは昼休みのことのあらましを説明した。どこか不満げな表情のまま。……これは後でしっかりケアする必要がありそうだ。


「へー、二人。文化祭の劇に出るんだ!」

 葛西は目を丸くした。ようやくその雰囲気が少し柔らかくなった。


 俺が出てもいい、と演劇部部長に申し出ると彼は大げさに喜んでくれた。アリスはどこか渋っていたものの『そういうことなら』と最終的には了承。こうして、文化祭二日目の演劇部舞台への出演が決まった。

 ……実際にはもう一度部内で話し合う、とのことだが。また明日の昼休みにでもその続きにを話すことになっていた。


「そういうこと――しっかし、幸人。どういった心境の変化なの? 目立つの嫌いでしょ」

「……別に。瀬田のことが放っておけなかっただけさ。それと、劇の中で躍動するアリスの姿を見てみたかった」

「ゆ、幸人さん。そうだったんですね! そういうことならば、このアリス粉骨砕身の覚悟で頑張りますとも!」


 その場の適当な勢いで言ってみたものの、すっかり奴の機嫌も元通り。後でフォローする必要は無くなった……早くない?


「――ってかさ、白波とアリーって付き合ってんの?」

「はい、お付き合いさせていただいてます!」

「……アリスさん、だれかれ構わず言いふらすのやめて欲しいなぁ……なんて」


 そんな遠慮がちな俺の嘆きはすぐに廊下の雑踏の中に消えてしまうのだった――





        *





「はい、そこ! ステップが違うよ!」


 人影の多い三階廊下。うちの教室の前にて、葛西の鋭い声が飛んだ。


「アリ―って、こういうの苦手なの?」

「ええと、そうですね……恥ずかしながら」

「この間の千メートルはすごかったのに?」

「持久走は得意なんです」

「へー、てっきり何でもできるのだと思っていたわ」


 ミスをしたアリスを中心に同じグループの女子連中が盛り上がっている。そんな放課後ダンス練習での一幕を俺はぼんやりと眺めていた。


 掃除が終わったらしく、教室に戻ると机は壁際に追いやられたままだった。ほどなくしてクラス全員が集まって、教壇に文化祭準備の中心人物たちが登壇した。

 全員で一曲踊る形式……ではなく、メドレーらしい。確かに例年(と言っても去年しか知らないが)そちらの方が主流だから驚きはない。……そもそも葛西から半分教えてもらってたようなもんだし。

 そして、曲目とグループ分けが発表。全部で四グループあった。男女別と混合とが二つずつ。曲の方は流行りのものが適当に。持ち時間は全体で五分だから、一つ一つのチームに与えられる時間はそんなに長くはない。


 ――ということで、今こうして散り散りになって練習中なわけだ。ちなみに俺たちの課題曲は国民的女性アイドルグループの少し前の作品


「しっかし葛西さんは張り切ってるなぁ」

「あいつ、あんなにキツイ性格だったんだな。知らなかった」

「まあ怜奈れいなはいつもあんな感じだよ」


 さすがイケメン。女子をサラッと名前呼びするとは……俺は密かに、間島のことを尊敬した。今日一日でようやくアリスと口にするのに慣れてきた自分とは大違いだ。


「……なあ葛西。休憩したいのだが」

「大力は仕方ないなぁ。アリー以上の問題児だし」

「面目ない」

「気にすることないよ、剛君! ちゃんとやればできるようになるって」

「余計なことかもしれないけど、簡単な部類だからね、これ」

「真島、それは励ましてるのか、それとも煽っているのか……」


 表情を見る限り前者っぽいけれど。まあ剛はそんなことを気にするほど繊細ではないからいいか。


 とにかくも、頭脳自慢の友人により、俺たちに休憩時間がもたらされた。喉が渇いたので、飲み物を買いに行くことに。女子連中は与太話で盛り上がり、剛は体力切れで死亡、残った二人は運動ガチ勢だからか、また踊り始めていた。ということで、俺は一人賑やかな校内を進む。

 まだ一月以上あるものの、動き出すクラスはかなりあるようだった。特に三年生は盛り上がっている。彼らに残された学校行事はこれと球技大会くらいなものだから、そうなるのも無理はないということか。きっと最優秀賞でも狙っているのだろう。ちなみにうちは、とりあえず学年一番を目指すらしい。


 やはり購買部は閉まっていた。いつかの時みたく自販機に金を投入。悩まずにスポーツドリンクのボタンを押す。一応周りを確認しながら。


 短いとはいえそれでも一分少々あるわけで、ダンスを覚えるのはそれなりに骨が折れそうだ。とりあえず今日のところは映像で全体像を確認した後に、初めのパートの部分練習。まだなんとかついてけているが、果たしてどうなることやら。


 身体中にスポドリが染み渡っていくのを感じながら、教室前に戻る。練習時間は一時間と言っていたから、もうその半分以上は過ぎている。それは学校で指定された時間でもある。部活動に影響が出ないようにするための配慮らしい。……帰宅部にも気を遣ってくれないかなぁ、なんて去年も同じことを思ったが。


 適度な疲労感を覚えながら、再び階段を上がる。水泳の授業もあったから、かなり身体にガタが来ていた。……やっぱりそこそこ身体づくりでもした方がいいかもしれない。


「あっ、お帰りなさーい、幸人さん!」

「いちいち大げさだな……」


 教室前に近づくと、アリスの方からぴょんぴょんと寄ってきた。まるで磁石に吸い寄せられる金属みたいだな。周りの連中はだいぶ呆れているみたいなのが心苦しい。


「……あの、わたくしも喉乾いちゃって」

 何かを求めるような表情で、彼女はしおらしく見上げてきた。

「先に言ってくれたら買ってきてたのに」

「いえ、あの、それはそうなんですけど。……でも、そういうことでもなくて」

 ちらちらと俺とペットボトルを交互に見比べている。


「……一口、いるか?」

「はいっ!」

 

 ぱあっとその顔が光り輝いた。目前に突きつけられたスポドリを手に取ると、アリスは躊躇うことなく口を付けた。遅れてその細い喉が上下する。


「キャー! 間接キスだよ、湊さん、葛西さん!」

「わ、わかったから、あんまり振り回さないでくれるかしら、吉永さん……」

「しかしベタというか……まあ純情な感じだもんねー、あの二人」

 遠くで女子たちが騒いでいる。聞こえないふりをしよう。


「幸人さんも飲みますか?」

「あのな、それ、俺のだからな……」


 強引に彼女の手からペットボトルを奪い取ると、俺は少し強めにふたを閉めた。

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