第六十七話 恋愛劇

 俺は一人、与えられた小さな書室で本を読んでいた。灯りと呼べるものは、机の片隅に置いてあるランタンのみ。手元のみが明るく、それ以外は闇が広がっている。

 教養をつけるために、最近は色々な書物に手を出している。……いや、出さざるを得ない、というべきか。俺は自嘲気味に笑う。


「この国の民はみんな、俺に期待している。この俺をかの邪悪な魔法使いを倒した英雄だと、本気で称賛している。しかし、それは間違いだ。俺はただの殺戮者――そうだろう? 使さん」


 灯りを持ちながら、くるりと椅子を回す。すると、暗がりの中から新人侍女の姿が現れた。入り口近くにそっと立っている。眉間にぐっと皺を寄せて険しい表情をしているが、どこか驚きを隠せていない。

 この娘がやってきたのはちょうど一週間前のことか。新しい侍女として、王女である俺の妻が直々に採用した。長い銀髪が特徴的などこか気品あふれる雰囲気を纏った奇麗な娘であった。


「気づいていたの?」

 化けの皮が剥がれたからか、その口調はぞんざいだ。

「殺気、駄々洩れだぞ?」


 浅く笑いながら、俺は彼女が右手に握る探検をちらと見た。ぐっとその柄を握りこんだのがわかる。不自然に力が入って、少し震えていた。

 音を立てないように、細心の注意を払って入ってきたようだが、部屋の中の空気の流れが僅かに変わったのを感じた。わずか数分前の出来事である。


「そっちの話じゃない。なぜ私が、魔法使いの娘、だと?」

「さあ。なぜだろう?」

「はぐらかさないで!」

 その声にはかなりの怒気が籠っている。


「果たして、それを知ることに意味はあるのか? 君は俺を殺しに来たんだろう?」

「そ、それは……」


 唇をぐっと噛んで悔しそうな表情を見せる侵入者。少し顔が赤いのは、恥辱に堪えかねているからか。父の仇を討とうと忍び込んだのに、こうしてむざむざと見つかったそのばつの悪さは限りないだろう。


 俺はそっと立ち上がった。手を大きく横に広げる。


「ほら、早く刺したらどうだ?」

「あなた……何を言って――」

「その短剣は飾り、というわけではないだろう?」

「……馬鹿じゃないの? そんな安い挑発に乗るわけないじゃない」

「本気で言ってるんだ。君になら殺されてもいい。それをする権利がある」

 そのまま俺は一歩近づいた。


 しかし、彼女はなぜか後退した。短剣を胸の前で構えながら。かなり警戒しているらしいことはわかる。その顔にはかなり強張っている。


「……やらないのか? 俺のことが憎かったんじゃないのか?」

 言葉は彼女から返ってこなかった。


 そのまま睨み合い、静寂の時間が続く。こっちは覚悟はできていた。向こうが正面から殺しに来たら、喜んでこの命を捧げようと。あの男から、例の頼みごとをされた時に覚悟を決めていた。


 ――コンコンコン。誰かが扉を軽くたたく音がした。それで、彼女はびくっと身体を震わせた。その顔が少しだけ後ろを向く。


「あなた、まだ起きていらしてるの?」

 妻の声がした。

「ああ、そろそろ寝るよ」


 言いながら、俺は無言で彼女に対して行動を促した。広げた腕を強く前後に振る。そして、また一歩その距離を詰めた。


 意を決したのか、彼女の胸が一つ大きく隆起した。そしてやや間があって、ぐっと身を縮めると――


「……誰かいるの?」


 こちらに突っ込みかけた足が止まった。またしても、部屋の中に緊張感が訪れる。


「まさか」

「ねえ、入ってもいいかしら?」

「ちょっと待ってくれ。すぐ出て行くから」

「いいえ、我慢なりません」


 ガチャリ――


「あ、あなた、なにしてるの!」


 妻が叫ぶのと彼女が走り出すのはほぼ同時だった。


 彼女はそのまま俺を強く手で押しのけると、そのまま奥の窓から飛び出してしまった。


 妻の悲鳴がうるさく反響する。俺はたまらず窓の方に寄った。しかし、眼下に広がるのは深い闇だけであった。ここは城の三階、とても無事で済むはずがない。





        *





 読み合わせが終わって、俺は一つ大きく息を吐いた。流石に緊張した。なにも、みんなで見守ることはないと思うんだが……。おかげで全身に嫌な汗が流れている。暑くなりすぎて、途中からブレザーは脱いだ。


 水曜日の放課後の演劇部の部室。ダンス練が終わるや否や、瀬田は俺たちの前に立ち塞がった。『脚本が出来上がったから見て欲しい』そう、見るだけだと思ってたのに――

 

「まだちょっと固いね~、白波く~ん」

「悪かったな。こちとら、素人なもんで。それに初めてだし!」

 冷やかすように声をかけてきた瀬田を俺は強く睨み返した。


 部屋の中のものを全て廊下に出して、即席の稽古場が部屋の中に出来上がっていた。窓辺には、三人の演者。それを手前でギャラリーになっているのは演劇部員と剛。みんな、片手に部長が用意してきた台本代わりのA4用紙を握っている。


「まー、明城さんと湊さんはよかったよ~」

「そ、そうですか……? 自信なかったんですけど」

「それはどうも」


 アリスはヒロインだから侍女役。そして、雪江は王女役を演じることになった。唯一の女子部員さんは、果たしてそれでいいのだろうか。控えめな性格らしく、自分はとても王女役なんて……と言っていたが。


 二人ともどこか晴れやかな感じなのがなんとも言えない。まあ、確かにいい朗読だったと思うけど。

 アリスはわかりやすく喜んでいる。雪江も、一見するといつもどおり平成を装っているが、ちょっとだけ上気しているのがわかる。


 今のでちょうど前半の四分の一くらいらしい。ここから数回、アリス演じる侍女による暗殺未遂劇が繰り返されて、二人で逃避行をする羽目になるんだとか。


「――そのうちに、やがて恋が芽生える」


 身も蓋もない言い方で彼は物語をまとめた。後半部の細かいところは詰められてないそうだ。いいのか、そんなんで。昨日の今日で難しいのはわかるけど。この間もぼかしてたし。


「先輩! そんなこと本当にあるんですか? だって、相手はの仇なわけでしょう?」

「白波さんだって、奥さんいるじゃないですか!」

「……待て。それは俺じゃないだろう?」

「そこはちゃんと、明城さんが白波君を見直すシーンをいれるさ。そして、湊さんの方には愛情はない」


 演劇部が白熱の議論を開始した。なんかようやくそれっぽい感じに。

 しかし、こいつら。わざと俺の名前使ってるな。仮の名としてはわかりやすいのはわかる。が、ドキッとするからやめて欲しい。


「そうなの、幸人?」

 たちまちこちらを見上げてくる幼馴染Y。

「無表情のまま悪乗りするのはやめろ! ――アリスもそんなに強く腕を抱きしめるんじゃない!」

 ここぞとばかりに、ぐっと身体を寄せてくる恋人A。


 手前には、たくさん人目がある。彼らはみな一様に、どうしようもなさを感じているみたいだった。ここは、まさに地獄。


「ラブラブねぇ……」

「はい! 絶対に譲りません、誰にも!」

「こういうのを女の闘い、というんだろうな」

 

 剛がしみじみと総括した。途端に、室内に微妙な雰囲気が流れ出す。俺はただひたすらに居た堪まれなかった。


「――と、とにかく、この続きはみんなでしっかり話し合いたいんだ!」

「うまく逃げましたね、トラちゃん部長……」


 不満そうなのは、控えめさに定評のあるあの女子部員。一年生で、笹倉と言った。眼鏡にセミロングと、絵に描いたような優等生らしさ。

 やはり女子なだけに、恋愛には一家言あるのかもしれない。こちらの女性陣も同じような顔をしているし。


 とにもかくにも、まだまだ大変なことだらけなようだ。ここにクラスのダンス練習も加わるわけで――余談だが、アリスと剛は今日もまた葛西に怒られていた。


 しかし、去年の学祭前のことを考えれば、これもまたなんかいいな、と思える。やることがないより、やることがあった方がいい。それが気の合う仲間ならなおさらで。


 喧騒に身を任せながら、俺はぼんやりとそんなことを思い浮かべるのだった。

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