第六十話 答え合わせ
午後二時。あの時と違うのは、待ち合わせ時刻だけだった。またしても市内中心にある鉄道駅南口で、俺と明城は待ち合わせることとなった。今はその五分前。
地下街から上がってくると、あいつの姿がいきなり目についた。周辺最大の目印である変な石のモニュメントの前で、すらっとした感じに立っていた。しかし、本当によく目立つな。じろじろと周りの男たちが、無礼な視線をぶつけているのがわかる。
袖の短いフリフリとした白のトップスに、折り目がしっかり入った
「おう、明城」
俺は近寄りながら声をかけた。
「はい、こんにちはです、ユキトさん」
彼女の方もすぐに気が付いたらしい。声をかける前からニコニコとした笑顔を俺に向けてきていた。
俺が明城の近くに立ち止まると、今度はその不躾な眼差しが俺に向けられた。わかる、言いたいことはわかるぞ。なんでこんなやつと、だろう。俺もそう思う。正直こんなの慣れっこだから、今更なんとも思わないけども。
「早くないか」
「ユキトさんも同じでしょう?」
明城はくすりと笑った。
「いつきた?」
「さっきです」
平然と答えていたものの、それはすぐに嘘だとわかった。こいつの性格を考えた時に、張り切って早く来るのは容易に想像できる。なので、ちょっと遊んでみることに。
「……ナンパされてて大変だったみたいだな?」
「いいえ~、ちゃんと話したら諦めて――って、どうしてそれを?」
「
「うぅ、ほんの三十分前ですよぉ。話しかけられたのもお一人ですし」
それはいったい何に対するフォローなのか。よくわからなかったが、彼女はとっても申し訳なさそうにしていた。もじもじとして少し俯く。
しかし、こんな一地方都市でもナンパなんてあるんだな。明城は群を抜いた美人だから放っておけないのかもしれない。だからって周囲の人たち、俺のことを強く睨むのはやめてもらいたい。
しかし、三十分前に来たんなら、元々待ち合わせを一時半にすればよかったんじゃないか。いやそうしたら、こいつは一時に来るな。そして終わりなき物語――いたちごっこが幕を開ける。
「とにかく、やりますね、ユキトさん。まんまと引っかかっちゃいました」
「そこは、イジワル、じゃないのか?」
いつもの明城の口調に少し寄せてみた。
「だから似てないモノマネはしないでくださいよ~」
口調は軽いものの、その目は全く笑っていなかった。
「で、これからどうすんだ?」
「いいからいいから。わたくしについてきてください」
彼女は人差し指を唇に押し当てると、俺の腕を取った。そして無理やりに自分の腕を絡ませてくる。制服越しにもわかっていたことだが、やはりいいものを持っているというか。二の腕の辺りに柔らかいものを持っている。
「あの、もう少し何とか……」
「ふぇ? 何がですか?」
本当に無意識なのだろうか、それはかなり疑わしい。
とにかく一人で歩けるから、と強めに言ってようやく解放してもらった。初めからこの調子だと、たぶん死にまっしぐらだろう。あんまり心臓殿に負担を掛けたくない。
そのまま目的地も知らずに彼女と一緒に歩きだした。外に出ると、眩い日差しがひたすらに降り注いできた。辺りには白っぽいものが多いので、余計に光り輝いて見える。
しかし、今日はいったい何なんだろうか。その意図は依然不明だ。もしかして、最後のデート、とか。これでお別れみたいな……実は昨日からちょっと心配していたり。
「そういえばユキトさんは前と同じ服装ですね」
「えっ! あ、ああ。……ダメだったか?」
「いえ、よくお似合いと思いますけれど……。それ以外はないんですか?」
「恥ずかしながら……あの、お前が泊まった時の格好だったら――」
「はい。それじゃあ、今度一緒に買いに行きましょう。これからのためにもバリエーションがあった方が良いですしね」
俺の動揺など知らず彼女はにこっとほほ笑んだ。
……とりあえず、次回以降はあるらしい。明城と言葉を交わしながら、一人勝手に安堵していた。同級生の女子に服を選んでもらう、というのはなんとも複雑な話だけれど。というか、そんなにこれ以外の私服はダメなんだろうか、と軽く凹む。
人通りの多い道を何気ない話をしながら進む。程なくして、彼女はふと足を止めた。どこかの店の前だ。見上げるとそれは――
「あれ、この店……」
「覚えててくれました? 初めて二人で町に遊びに来た時の場所ですもんね」
忘れるわけがない。自分からこいつを誘ったんだ。あの時は単なるお詫びとして。副産物として、少しでも明城アリスのことを知ることができれば、とも思っていたが。
彼女は躊躇いなくその中へと足を踏み入れて行った。俺もわけがわからないままに、大人しく彼女の後についていく――
*
カフェの中では、俺たちはとりとめのない話をした。学校の話、テレビの話、話題になっているニュースの話、その内容は多岐にわたった。でも決して昨日の告白の話にはならなかった。
明城は俺のことをどう思っているのだろうか。幻滅はしていない、そうは言っていたけれど。じゃあ、どうしてあの場で返事をしてくれなかったのか。今日の様子を見ていても、あんなことがまるでなかったかのような振る舞いだ。
不安が募る一方で、しかしこれでいいのかな、と思ってしまう自分がどこかにいた。どっちつかずの関係は今までと一緒だ。まだ、彼女から見捨てられたわけではなさそうだし。しかし、それは弱くて浅ましい考え方でしかない。
店を出る頃には午後五時を過ぎていた。しかし、まだ夜の闇は迫ってきていない。もう六月。日の入りの時間はすっかり伸びていた。
人通りの多いメインストリートを南に進む。『少し歩きましょうか』どこかくすぐったそうに明城が誘ってきたのだった。右手にある三車線の巨大な道路は、車の通行が耐えることはない。
ほんのすぐ左隣を、鮮やかな銀髪を揺らす奇麗な女性が歩いている。ほんの数センチ手を伸ばせばその手には容易に触れることができる。必要なのは勇気だけだ。告白の答えを聞くことにすら臆病な俺には縁遠いものだけれど。
「あの時もこうして色々と歩きましたね」
「……そうだな」
俺の段取りの悪さが露呈したんだった。
「楽しくなかっただろ?」
滅茶苦茶に歩き回ったのを思い出して、少し恥ずかしくなった。
「いいえ。お忘れかもしれませんけど、わたくしつい一月ほど前に引っ越してきたんですよ? だから色々と観て回れてよかったです」
彼女はこちらに顔を向けて、控えめに笑みをこぼした。
そういえばそうだったな。もう一か月。まだ一か月。初めて会ったあの交差点の時点で、こういうことになるとは一かけらも想像していなかった。あの時はただただ変な女としか思ってなかった。
でも今は彼女のことが好きだった。惹かれたところは色々あるけれど、一番は健気なところだろう。俺がつっけんどんな対応をしても、彼女は俺から離れていかなかった。それくらい前世のことが大事だったのかもしれないけれど、その一途なところがまた素敵だな、と思ってしまった。
やがて俺たちは、東西にのびるこの街で一番巨大な公園近くの交差点に差し掛かった。人ごみに紛れて、信号が変わるのをじっと待つ。
今、明城は何を考えているのだろうか。そのすっきりとした横顔はどこまでも美しかった。そのくせ、また子どもっぽく微かに鼻歌を奏でているし。
「どうかしましたか?」
「お前、いつも楽しそうだなって」
「そうですか? ユキトさんと一緒だから、ですかね」
その自重のない笑顔に恥ずかしくなって、俺は顔をそむけた。
「そういう包み隠さない言い方、止めろよな。心臓が何個あっても持たない」
「あれ、ドキドキしてくれました? てっきり、ユキトさんは鋼の心臓をお持ちかと思ってました」
彼女が悪戯っぽく笑った時、前の集団が動き出した。結構今までも動揺していたんだが、こいつは気づいていなかったらしい。どこか、抜けてるよなぁ。
横断歩道をゆっくりと渡る。「あっち行きましょう」と、彼女が左斜め先の噴水を指さした。等間隔に置かれた石の置物の合間を縫って公園に入る。
さすが観光名所。そして市民憩いの場所。この時間でも人通りはかなり多かった。俺たちは噴水のすぐ近くで立ち止まった。
彼女は数歩俺の傍を離れるとゆっくりと俺の方を向いた。すっかり弱くなった日差しの中で、彼女のシルエットが揺れる。
「今日は楽しかったですか?」
「ああ」
「わたくしも……って言わなくてもわかりますよね」
彼女は照れくさそうに笑った。
「好きな人と一緒に休日をして楽しく感じない人はあんまりいないと思うんです。貴方がそうなように。……わたくしがそうなように」
彼女から儚げな雰囲気が漂っている。目をちょっと伏せて、いじらしく手を前で組み合わせて。その方が小さく上下して、あの素敵な銀髪が微動している。
「……なぁ、明城。昨日の話なんだけど――」
「この間、雪江さんにこう聞かれました。『幸人があなたの前世の恋人じゃなかったらどうする?』って」
俺の言葉を、明城は強い口調で遮った。昨日の放課後見た時と同じ、あの真剣な表情をした彼女がそこにいた。その目はまっすぐに俺の顔を見ている。
がらりと変わった雰囲気に、俺は最悪の結末を覚悟する。緊張感が蘇って、嫌な汗が噴き出す感覚に襲われる。胸の底に嫌な感情の塊を感じながら、静かに口を開いた。
「知ってるよ。あいつに聞いた」
すると明城はかなり驚いた顔をした。
「えっ! そ、そうだったんですか! うわっ、だとしたら、とても回りくどいことをした気が――」
「ちょっと待ってくれ。なんでそんなに狼狽えてるんだよ?」
彼女は少し顔を赤らめて、見るからにどぎまぎしていた。露骨にまばたきの回数が増えて、口元は慌ただしく動いている。そこに先ほどまでの凛とした姿はない。
――調子狂うなぁ。俺はちょっと頬を緩めた。
「だって、知っているんでしょう? 『どうもしません』って答えたこと」
「……いや、その答えは訊かなかったんだ」
「あ、そうだったんですね。わたくしの早とちりでしたか」
今度は安堵をする明城。本当に感情表現が豊かだな。
「でも、どうもしないってどういう意味だ?」
「そのまんまの意味ですよ。わたくしは貴方が、あの
その姿に嘘はないようだった。しっかり胸を張って、微塵にも揺らがずに彼女は俺の顔を捉えて離さない。その黒い瞳にはキラキラとした眩しい光が宿っていた。
「初めは貴方があの人の生まれ変わりだから近づきましたけど、わかったんです。幸人さんって、素敵な人だなぁって。なんだかんだいってわたくしに付き合ってくれる優しい人だし。落ち着いていて自分をしっかり弁えているし……まあ、自己評価が低すぎるとは思いますけれど。後は地頭いいし、頑張り屋だし、わたくしにすぐ靡こうとしなかったし、後は――」
「待て待て待て。もういい、もういいから。いいか、俺の心臓は生身、だ。こう矢継ぎ早にそんなこと言われると、さすがに恥ずかしい」
まったく鋼の心臓を持っているのはどっちだよって話だ。彼女は淀みなく、平然とした様子で俺を照れさせる言葉を紡ぎ続ける。
どこまでいっても、明城アリスは純真なんだな、と改めて思い知らされた。とにかく、何度か呼吸を繰り返して、昂る鼓動を必死に押さえつける。顔から火が出るかと思った。
「でもいいのか、前世のことは」
「……前世の記憶って、ある意味では物語みたいなものなんですよ。強く主人公に感情移入できる点だけが特別な。あの話は今でも大事ですけれど、明城アリスとしての気持ちも大事なので」
よくわからない話のはずなのに、俺はどこか共感を覚えてしまった。ふと、ここしばらくずっと謎の夢を見ていることを思い出した。
「……そうかなんだ。――じゃあ昨日の答えは?」
ごくりと大きく唾を飲み込んだ。
「もちろんです! 最初に言いましたよね、絶対好きになってもらうんだって。だから願ったり叶ったりです。これからもよろしくお願いしますね、幸人さん!」
明城は今まで見たことのないくらいパーッと明るい笑みを浮かべると、躊躇いなく俺に抱き着いてきた。その手が俺の背中を強く握りしめる。
だから、俺も躊躇いつつも彼女の背中に手を回した。柔らかく温かい存在が胸の中にあった。とても心地よかった。……すぐに、周囲の人間が向けてくる好奇の眼差しに気づいたけれど。
「なあ最後に一つ訊いていいか?」
俺はぐっと彼女の身体を押し剥がす。
「なんですか?」
彼女はキョトンとした顔で首を傾げた。
「今日の目的は何だったんだ?」
「意趣返し、です! 今までのわたくしの気持ちを少しでも味わってもらおうと思って。結構不安だったでしょう? 自分が告白した相手とはっきりしないまま過ごすの」
その悪戯っぽい笑みはたぶん俺は一生忘れることはないだろう。そして――
「アリス、好きだ」
「わたくしもですよ」
どちらともなく交わしたキスのことも。
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