第五十九話 告白

 教室前に置いておいた鞄を乱暴に掴んで、俺はそのまま足を止めることなく西階段を目指す。廊下は酷く騒がしいのに、自分の心はいたく冷ややかだった。

 所詮、自分はこんなもんだ。身の程を知った。あいつは文系三位で、俺は四位。順位の上では一つしか違わない。しかしそれが全てだ。才能と努力、果たして足りなかったのはどちらか。


 自らを省みながらひっそりとした廊下を歩く。こちら側は使う生徒の数が少ない。それが今はありがたい。この静けさの中で、より神経が研ぎ澄まされていく。

 明日が土曜日なのはよかった。どんな顔してあいつと会えばいいのかさっぱりわからなかった。二日でまた気持ちを切り替えよう。この結果には真摯に向き合わなければ。……でも、もっとできると思ってた。


 一階まで下りるのに、いつもよりも長くかかった気がする。とにかく角を回ってまっすぐに玄関を目指す。放課後になってしばらく経つからか、人の姿はまばら。

 誰もいない購買、ぽつぽつと人が下りてくる中央階段を順に通り過ぎた時、俺は不意に足を止めた。下駄箱への入口のところに、正面をじっと見つめたまますっと立っている女生徒の姿が目にはいったからだ。


「明城……」

「ユキトさん」

 ゆっくりと、あいつはこちらにその身体を向けた。


 その立ち姿は見紛うわけがなかった。きっちりと着こなした制服姿、腰元まであるゆったりとした長い銀色の髪。しかし、手には何も持っていない。だらんとぶら下がったまま。

 いつも浮かべるような笑顔はそこにはなかった。口元はまっすぐに閉じられ、その瞳は強い光を宿して俺の顔を掴んで離さない。


 しばらくの間、沈黙の時間が続く。俺たちの視線は確かに交差しているのに、どちらも言葉を発することはなかった。まるで時が止まったかのように。

 しかしそうではないことは、この間も俺たちの近くを通る学生が証明してくれていた。彼らは怪訝そうに俺と明城に視線をやって、それぞれの下駄箱の方へ向かっていく。


「……待ってたのか、俺のこと」

「はい、もちろん」

「悪いけど、今は――」

「話したくない、ですか?」


 彼女は平然とした顔で俺の言葉の続きを盗んだ。そのまなざしは、どこか雪江と同じように見えた。あいつと同じように、彼女もまた俺の心を見透かしているかの表情。幼馴染とは違って、そんなことはないはずなのに。


「わたくしの方が順位、上でしたものね」

「……ああ」

 容赦なく、彼女は俺に事実を突きつけてくる。

「あーあこんなことなら手を抜けばよかったかな、なんて」


 鼻から息を漏らしながら、彼女は口元を緩めた。そして少し視線を斜め下に向ける。自虐的で物憂げな表情だ。手を身体の正面で交差させて小刻みにその指を動かしている。


 その一言に、俺はとてもどきりとさせられた。それじゃあまるで、俺の本当の狙いがバレていたかのようじゃないか。

 ……あいつにあんな提案をしたのは目標を明確にしておきたかったから。勝てる見込みはあった。かなりの量、勉強を積んできたつもりだった。

 それでも具体的な順位でもよかったのかもしれない。一けた、とか。今までの俺にしたら、それでも大きな進歩だ。でも、ちゃんと彼女よりも優れた自分を見せたかった。


 だが一番は彼女の気持ちを見極めたかったのだ。そう宣言すれば、もしかしたら明城が手加減するんじゃないか、と思った。だってその方があいつにとって都合がいい。俺と付き合うなら、そっちの方が手っ取り早い。そして、それがなされれば、彼女は俺を見ていないことになる。

 今にして思えば、どれだけ浅はかだったのだろう。手加減したかは確かめようがない。そして、今こうして疑っているように、彼女にこちらの真意を見抜かれていたら意味がない。


「……なんでそうしなかったんだ?」

「だってそれはあまりにも失礼なことでしょう?」

 彼女の瞳がまたしても俺の方に向いた。

「ユキトさんが一生懸命頑張ってたのは知ってますから」


 正直、こいつがそんなことを言うのは意外だった。そして同時に気が付く。相手のことがわかっていなかったのは、俺も同じじゃないか、と。

 俺の中の明城アリスは、こんな時も前世のことを持ち出してくるはずだった。俺の想いなんか無視して、自分の想いを押し付けてくるような奴だった。『今回は残念でしたけど、よく頑張りましたよ、幸人さんは』とか、わかったかのようなことを言うんじゃないかと思ってた。


 でも違う。たぶん、明城は俺の考えを見抜いたうえであえて乗ってきた。それをすることで、もし俺の気持ちが聞けなくなるとしても。白波幸人のくだらないプライドを優先してくれた。


「でも貴方のことを少し傲慢だと思いました。たかが二週間しか頑張っていないのに、よくあんな勝負が挑めるなって。自信過剰、すぐに調子に乗りやすい……昔の話を聞いて、貴方のことが少しだけわかった。自分に過度に期待しているんだって。無意識の内に、どんなことでも一番になれるって思ってたんだって」


 相変わらず、彼女は無遠慮な言葉をぶつけてくる。それでもその口調は柔らかい。そして、その中身は決して的外れではなかった。


「だってそうでしょう? 初めての定期テストで学年五位とか、部活の他の一年生よりも速い方だったとか。それって、凄いことだとわたくしは思います。でも貴方は上にしか興味がなかった。そして高みの存在と自分を比べて勝手に自分に才能がないと決めつける。それは他人から見れば横柄な態度でしかありません。鼻につく嫌な奴です!」

 

 明城は悪戯っぽく顔を歪めて、おどけるように肩を竦めた。そして少し口元を緩める。言葉は直接的だが、心の底から軽蔑しているわけではないようだった。


 ……雪江と同じようなこと言ってる。たぶん、剛も学もずっと気づいてたんだ。俺のそんな烏滸がましさに。気付いてないのは俺だけだ。『自分のことしか見ていない』確かにそうだ。他人を諦める理由にしか使ってなかった。


 今ならよくわかる。俺はずっと自分のことがわかっていなかったんだ。何のことはない、本当の自分を見ていないのは俺の方だ。本気で自分に向かい合ってない。勝手に挫折した気になって、浅いところで結論を出している。なんのことはない、上手くいかなくて癇癪を起すただの子どもだ。それをずっと正す機会――悟る瞬間がなかった。


 自覚のない自信家。それは今もそうだ。自惚れている。だから、勝ち筋の薄い勝負を明城に挑んだ。身の程知らずとはまさにことをいうんだ。そして勝手に絶望してる。見事なまでに同じことの繰り返し。


『何言ってんだ、お前! たかが一回のテストで!』

『いやいや、まだ俺ら中一だよ? これからじゃん!』


 あの時はこいつらいい気になって、と反感を持った。それは圧倒的な才能があるから言えることだって。馬鹿だ、俺は。二人に縁を切られてなくて本当によかったと思う。

 二人は俺のことを認めてくれていた。だから、俺もそうすればよかった。ここまではできた。だから次は頑張ろうって、そう思えばよかった。それを勝手に未来を覗き見て何かを分かった気になっていただけ。


「……どうです? これでもまだ、わたくしがユキトさんのことを見ていないとおっしゃいますか?」

 くすりと彼女は静かに笑った。

「いや、まさか……」


 俺はかぶりを振る。この期に及んで、明城が俺の前世のことだけを見ているなんて、とても言えなかった。彼女はしっかりと俺のことを観察していた。だから、こうもこちらの心の機微を指摘できている。


 しかしそうであれば――


「幻滅しただろ、こんな俺に」

「いいえ。それこそ、、です」

「……もしかして、前世の俺もそんないけ好かない奴だったとか」


 俺はもう自分のことが嫌になっているというのに。だから彼女もまた、俺のことなどなんとも思ってないんじゃないか。そう思った。でもそれでも俺に固執するなら、それこそ本当に前世のことにしか興味ないからだ、と不安になってしまった。

 口にした瞬間に、それが愚かなことだということには気が付いた。でも確かめずにはいられなかった。この期に及んでまだ、自分が卑怯な奴だと思う。


「全く逆です。自分が本当に無力と知ってなお、諦めることなくあの人は目的のために凄惨な努力を重ねました」

「確かに、全然違うな」

 俺はつい自虐的な笑みを浮かべてしまう。

「だったらどうして……」

「――ユキトさんこそ、こうしてわたくしに負けちゃいましたけど、どうなさいますか?」


 俺の質問などまるでなかったみたいな振りをして、彼女はぐっとこちらに近づいてきた。大股気味に数歩――もう俺たちの距離は数十センチしかなかった。彼女の息遣いや細かな身体の震えが伝わってくる。とても近距離から、彼女は慈愛に満ちたような優しい瞳を俺に向けてきた。

 こいつは俺に真剣に向かい合おうとしているんだ。こんな我儘なガキみたいな俺の性根を知りながら。俺は確かに明城には届かなかった。だから今回も逃げるのか? それこそかっこ悪いことこの上ない。同じことを何度も繰り返すのは、愚の骨頂でしかない。


 今度こそ、俺もちゃんと明城に向き合わなければ――


「俺はお前のことが好きだ! 恋人になりたいと思ってる」


 それが俺の本当に伝えたいことだった。やっと言えた。こんなどうしようもない俺だが、明城と付き合いたい。


 またしても廊下に静寂が訪れる。俺と明城は見つめ合ったまま。その黒々とした瞳の中に自分の姿が見える程に、俺はあいつの顔に見入っていた。

 ……やがて周囲が騒がしくなる。俺はこの時まで、ここが玄関前だ、ということを忘れていた。それでもあいつの答えを聞くまでは顔を背けるつもりはない。


「やっと言ってもらえた……ところで、ユキトさん、明日はお暇ですか?」


 長い間があった後、ちょっとはにかんで嬉しがる明城。しかしすぐに真顔に戻って、そしてなぜか突拍子もないことを言いだす。


「はい?」

 予想外過ぎて、つい素っ頓狂な声が出た。

「デート、しましょう! 久しぶりに!」

 あいつはがしっと両手を掴んでくる。


 またしても彼女の口から紡がれた言葉は、告白の答えなどではなくて。俺は困惑しながら、ただただ呆然とするしかなかった――

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