第四十六話 すっかり変わった日常
二学年の自転車置き場に二人並んで駐輪して、俺たちは校舎に向かって歩き出した。同じ格好をした集団に紛れて、短いアスファルトの道を進んでいく。
週が変わった月曜日。昨日は久しぶりに家に引き籠った。祭りの後の寂しさ、とでもいうのか、どうも何をしていても落ち着かない気分だった。
……まあしょっちゅう明城が連絡を寄越すから、それも次第に薄れていったけれども。そして、今朝、いつものように迎えにやってきたところで俺のそんなセンチメンタルな気分は粉みじんに破壊された。
「いつもより人が多いですね」
「ああ。ちょうどテスト一週間前だからな、大体の部活が活動停止期間だ」
全て、ではないのは、水泳部のように週末大会やコンクールがある部活があるためだ。なぜ俺がそんなことを知っているのかと言えば、学が最近猛然と張り切っているから。
とにかく、いつもは朝練をしている連中が、思い思いの時間に来ているのがこの賑わいの原因。今はホームルームが始まる二十分くらい前。これがもう少しずれると、この道は慌てた生徒たちでごった返す。
適当に喋りながら玄関へ。話題は流れで部活のこと……と言っても、二人とも筋金入りの帰宅部だから、実体験というよりは、どんな部活があるのかといった表面的なことばかり話す。……俺が中一の時、水泳部に半年くらい所属していたことがあるのは黙っていた。
そのまま短い階段を上って透明なガラスドアを通過する。靴脱ぎ場のところには、それなりに人がいた。一区画に四クラス分詰まっているから、全員知っている顔というわけではない。
しかし、その中に――
「あっ。あの人は……」
「ゆき――湊だろ。同じクラスなんだからいてもおかしくない」
幼馴染の顔を見つけた。こちらには気づいていない。別に挨拶をするような仲じゃないので、その後ろを素通りして自分の靴箱へ。明城は入口側のかなり手前の方だから、そこで別れる。
一足先に靴を履き替え終えた雪江もまた、そのまま校舎の奥に進んでいった。ちらりと見えた横顔は相変わらずの無表情。『名前だけに氷の女王みたいだね』なんて言ったのはどこの眼鏡だったか。明城には軽く会釈をしたくせに、俺の方には視線一つ寄越さない。
「ユキトさん?」
「……いちいち呼びかけないでいいから」
声のした方向を見ると、あいつがすぐ近くにいた。少し薄暗い子の玄関口でも、その姿ははっきりと見える。抽象的な言い方をすれば、眩しいオーラを纏ってた。髪色にそっくり、鮮やかなシルバー。
「湊さんとは同じ中学校なんでしたっけ」
「ああ。後は剛と学もだな」
「……なんだか羨ましいな」
あいつには珍しく消え入りそうな声での呟きだった。
そうか、と言おうとしたがすぐに言葉を呑みこんだ。こいつは一人地元を離れてここにいるんだ。そういう関係が特別に見えるのも無理はない。
本当は学以外は小学校から同じだけど。もっと言えば、雪江とは幼稚園も一緒で――こんな風にとある女子と昔登校していたことを思い出して、落ち着かない気分になった。
「行くか」
「はい」
短く言葉を交わして、俺たちも教室を目指す。昇降口を抜ければ階段はすぐ近く。同窓生たちに紛れて、沈黙のまま歩を進めていく。初めはこの沈黙がちょっと気まずかったけど、今は慣れたものだった。四六時中話しているよりは、断然疲れないし。
教室前方から入室して、教壇を通って自分の席へ。前は近くを横切る度に好奇の目を向けられものだけど、いつの間にか俺と明城が一緒にやってくるのはこのクラスの共通認識となっているらしい。何たることだ。冷やかされないだけましか。
いつかの昼休み、謎に揉めたことももうだいぶ昔の話に思える。あの後こそ、大変だったものの、今では茶化してくる奴は誰もいない。……少なくとも男子(デコボコトリオを除く)に限るが。女子は元々話しかけてこない。
「おう、今日もアツいな、お二人さん」
「じゃあブレザー脱いでもいいんだぞ」
「そういう意味じゃねえよ」
「おはようございます、大力さん」
「ああ、おはようさん。明城はいつもマイペースだな」
すでに我が友の姿がそこにあった。しかし、その隣――つまりは俺の前の席の主はまだ来ていない。きっと、朝練の真っ最中だろう。
席に座る。ふと、明城に目をやると、こちらもすでに登校していた吉永とお喋りを始めていた。学校にいる間、あんまり過度に絡んでこないのは俺を気遣ってのことか……昼休みだけはエンジン全開だが。母さんに話を通したみたいで、彼女が弁当係になってしまった。正直言って、かなり申し訳ない。『二人分作るのも変わりませんから』とあいつは屈託のない笑顔で言うけれど。
「そうだ、剛。ちゃんとやってきたぞ」
暇潰しに、斜め前の友人に話しかける。
「そういう生々しい話は、朝からはちょっと……」
「どういう想像を働かせてんだ、お前は。学じゃあるまいし」
「だってなあ。土曜日、明城泊ま――」
「化学の話だ、化学の。それ以上余計なこと言うと、口を縫い合わすぞ」
壁に耳あり障子に目あり。どこで誰が聞いてるかわからない。しかもこの大男、その見た目に違わず声が大きいし。余計なお話はノーサンキュー。
『教科書、ワーク、プリント。片っ端から全ての問題を解いて疑問点を明らかにしといてくれ』
衝撃の真実が明らかになった後、俺はすぐに剛にメッセージを送った。『化学の面倒を見て欲しい』と。その返答がこれ。
『大力さん、スパルタですね……』
一緒にメッセージを見た明城は気の毒そうな顔をしてくれた。
「ふぅ、ユキトさんは冗談が通じなくていけねえや」
剛はおどけた感じに肩を竦める。
「冗談っていうのは、朗らかに笑えるもののことだけを言うんだ」
「いや、そうとも限らないぞ。ほら、アメリカンジョークなんか――」
そして謎の講釈が始まってしまう。それがやんだのは、とても爽やかな笑顔を浮かべた別の友人がやってきた時のことだった。
*
今週は俺の班が掃除当番だった。全く運が悪いことこの上ない。来週だったらどんなに良かったことか。テスト期間中、掃除は免除される。
うちのクラスは男子十八、女子二十三(少し前に一人増えた)の総勢四十一名で構成されている。出席番号順に六つ、掃除用のグループが作られている。
男子は学ともう一人瀬田という男がいた。演劇部、だったかな。背の低い人懐っこいマスコットタイプ男子……いじられキャラともいえる。
女子は四人……その中には俺の苦手とする寒河江がいた。今も違う班の女子と大げさに盛り上がりながら適当に手を動かしている。その相手もイケてるグループの一員だった。樋上……だったかな。やはり、髪を染めて派手派手しい見た目と性格をしている。
教室からかき集められたごみをちりとりに収め、それをゴミ箱へ。週の初日だからか、まだまだ余裕はある。ゴミ捨てに行くのがこれまた面倒なんだよな、臭いし。
「白波くん、ありがと~」
「いつもよーやるね、幸人」
「じゃあ僕、先生に報告行ってくるね」
……ということで、放課後の清掃活動は幕を下ろした。一か所に集まった俺たちはすぐに解散する。そして思い思いの場所へ。
「ぶっかつだ、ぶっかつ~!」
「……大会近いのはわかるけど、勉強の方大丈夫なのか、お前?」
「勉強……? 知らない言葉だなぁ。それじゃ、幸人、また明日!」
学が一足早く教室を飛び出した。あいつはいつも楽しそうだな。二週間後が楽しみだ。テスト返却日、阿鼻叫喚の地獄に叩き落されるだろう、
俺もまた教室を出て行く。廊下には約束通り剛が待っていた。……ちょっと離れたところに明城の姿も。おかしいなぁ、何も言ってないのに。吉永と話しているようだが、一瞬目があってしまった。
「待たせたな」
直ぐに目を逸らして友人に話しかける。
「ほんとだぜ。なんか奢れよ?」
「へいへい。高い授業料だぜ」
「冗談だ」
「今日はジョークデーなのか?」
「エイプリルフールのことを言ってるなら、先月終わったぞ?」
軽口を叩き合いながら、俺たちは廊下に置いてあった鞄を持って再び室内へ。その際、明城たちが近づいてくるのがちらりと見えたけども、気づかなかったことにしよう。
教室には、寒河江たちがまだ残っていた。教室の方で、なにやら話している。もう掃除は終わったというのに、あいつはまだブラシを持っていた。
とりあえず、俺たちは後方の入口からすぐの近くの椅子に縦に並んで腰かける。その本当の主は置き勉をしているらしい。ちょっと机が重かった。俺もやるけど、あんまり詰めるのもどうかと思う。掃除当番の時、意外としんどいんだよな。
そして、当然の権利みたく明城が俺の隣に座った。あいつの正面に吉永が。こちらは少し躊躇いながら。どこか気まずそうな顔をしている。
「なんとなくわかるが、どういうことかな?」
「今日も居残り勉強していかれるんですよね? お付き合いします!」
「……頼んでないんだけど」
「ほ、ほら、アリスちゃん。迷惑だったんだよ」
「いいえ、これはユキトさんなりの照れ隠しです。だから心配いりません、唯さん」
おどおどしている友人を安心させるように胸を張ってみせる明城。
そうか、照れ隠しだったのか。知らなかった。俺にもわからないことがわかるなんて、さすが明城だなー。そんなちょっと白けた気分になる。
「別にいいんじゃないか、幸人。男二人で勉強しあうことほど、悲しいことはないぞ」
「まあ確かにな。じゃ、今日もよろしく明城。それと、吉永さんも」
「はい! 張り切っちゃいます、わたくし」
張り切ってるとこ悪いが、今日は化学なのでこいつの出番はない。
「ええと、こちらこそよろしくね、白波君、大力君」
吉永はちょこんと慎ましく頭を下げた。
こうして新しい仲間が一人加わりながら、しばらくぶりに放課後の勉強会が始まっていくのだった――
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