第四十七話 とある一面

 教室は程よい喧騒に包まれていた。俺たち以外にも勉強している奴がちらほらと。だいたいが女子のグループ。うちのクラスの男子は不真面目な奴がおおいということか。


「あの大力君、ここはどうやればいいのかな?」

 おずおずと吉永は隣の男子に話しかけた。

「ん、どれどれ。ああ、これはな――」


 これで何度目だろう。剛がまたしても吉永の質問に対応している。隣同士だからか、その距離はかなり近く見えた。まあ机を四つくっつけて、大きなを作っているからそうなるのも無理はないけれど。


 教える能力的には、明城の方が上。しかし、実際の学力は全然剛の方が上みたいだった。全国模試の偏差値は十くらい違った。……俺と吉永のことは気にしないでください。

 そして、明城の方が同性で質問しやすいだろうに。にもかかわらず、なぜ剛が相手をしているかと言えば、彼女もまた特別――化学選択だからだ。


「なんか心なしか、丁寧に見えるな……」


 教科書や問題集の一部分を指さしながら、耳に届く言葉も柔らかい。これが俺の場合だったら『お前これ、解説読んだらわかるだろ』や『教科書ちゃんと読んだか? どこに目つけてんだ』など。うん、なかなかに辛辣。

 だが、本当に難しいところはしっかりとは教えてくれるから文句は言えない。おざなりにされる部分は確かに俺が悪いことの方が多いし。基礎レベルの理解が甘いとか。

 思えば、剛に勉強を本格的に教えてもらったのは初めてだ。小学校の勉強は、まあなんだ、そんなに難しいもんでもなし。中学と高一の時はそもそも頑張るということをしなかったし。なんとなくむず痒い感じがする。


「ユキトさんも唯さんも、大力さんにばかり……。わたくしだって、化学の一つや二つなんともありません!」

 なぜかこの女、対抗心を燃やしている。

「じゃあこれ、教えてくれよ」


 それは簡単なイオン式に関する問題だった。基礎中も基礎。たぶん剛に訊いたら鼻で笑われる。そして、教科書を読み直せ、と押し返されるだろう。

 

 しかし――


「……ごめんなさい、わからないです」


 軽く首を振ると、肩を落として見るからに落ち込んでしまった。悔しそうに唇を噛んで、ちょっと下を向く。居た堪れない感じに目を細めている。

 なんとなく俺の方が申し訳ない気持ちになった。しかし、とするこいつの姿はなかなかにレアだ。基本的にへこたれないからな、明城。打たれ強さには定評がある。


「あの、ずっと黙っていたんですが、恥ずかしながらわたくし、物理と化学はどうも中学生の時から苦手でして……」

「意外だな。あんなに『なんでも聞いてください、ユキトさん!』とか誇らしげだったのに」

「へ、下手な物まねは止めてください!」


 なぜか怒られてしまった。その形の良い眉がぐっと寄っている。ちらりと見上げてくる視線は、思いの外強い。

 力作だと思ったんだが。しかし、目の前の二人組もわざわざ手を止めて、俺に怪訝そうな視線を送ってくるため、どうやら認識を改める必要があるらしい。


「……とにかく、大人しく、自分の勉強してろって」

「はい、そうします……」

 すっとブレザーの袖に包まれたその腕がこちらに伸びてきた。

「――待て。なんで、俺の化学の教科書を持ってくんだ。お前は地学選択だろうが!」

「頑張って今日中にマスターしますので! このアリス、貴方様のためなら苦手科目の一つや二つ、なんとかしてみせますとも!」

 その目にはメラメラとやる気の炎が灯っている。

「なにくだらないこと言ってんだ!」


 余計なことをしようとする奴から力づくで本を奪い取った。全く気を抜いたらすぐこれだ。何を考えているんだか。

 不服そうに頬を膨らませる明城。その意外と子どもっぽい中身のギャップにはそろそろ慣れてきたが、破壊力は未だ健在。慌てて勉強に戻る。


「ほら、お前もちゃんと自分のことやんな。現代文やってるんだろ?」

 あいつの方は見ずに窘めた。

「は~い。あーあ、化学やりたかったなー」

 未練がましさたっぷりの声。ちらちらと横目で見てくるのはやめて欲しいものだ。


「余裕かましすぎだろ……。嫌味か」

「す、すみません、そんなつもりじゃ……。お気に障りましたか?」

 その声音はかなり落ち込んでいる風に聞こえた。

「冗談だよ。気にし過ぎだ」

「……ユキトさんって、結構頻繁にイジワルになりますね」

 

 前はたまにとか言ってた気がするからランクアップした。喜ばしいことかどうかは不明。聞こえない振りをして、ひたすらに問題を解いていく。


「――こうかな?」

「ああ。いいんじゃないか? 呑み込み良いな、吉永さんは」

「えっ、そうかな。大力君の教え方がうまいんだよ」


 剛たちの方が一段落着いたらしい、謎に盛り上がっている。なかなかの雰囲気の良さ。そして、そんなことより――


「お前、俺に対してはそんなこと言わないよな?」

「言ってもしょうがないからな」

  

 心底嫌そうな顔をこちらに向けると、奴はわざとらしくため息をついた。そして大げさに肩を竦めて見せる。古い洋画の登場人物みたいに。おまけに唇まで過度に前に突き出してきた。


「どうせ相手が女子だからだろ。全く楽しそうに勉強しやがって」

「お言葉を返すようだがな、お前らの方がよっぽどだからな?」

 その眉間にぐっと皺が刻まれ、より顔が厳つくなる。

「そ、そうそう。さっきのやり取りとか、本物の恋人みたいだったよ?」

 吉永の方は気の毒なことにちょっと狼狽えてるみたいだが。

「そ、そんな恋人だなんて……やりました、ユキトさん!」


 こちらを向いて嬉しそうにガッツポーズをする明城に、俺はただただ呆れるしかなかった。うんざりした気持ちで首を振る。

 そして前の席に座る二人もまた、しょうがないな、という感じに笑いを漏らす。

 一人不思議そうな顔をして首を傾げている明城を放っておいて、俺も剛たちもそれぞれの作業に戻るのだった。




        *





「アリスちゃん、ここもわかんないや……」

「またですか、唯さん……仕方ありませんね、見せてください」


 やれやれといった様子で一つため息をつく明城。しかしどこか嬉しそう。そして、ぐっと身を乗り出した。動きに合わせて揺れる銀髪が、いつもの甘い香りを辺りに振りまく。

 なぜ剛に頼まないのか。それは、吉永が今コミュ英を勉強しているから。初めのうちは、化学の時と同様剛に質問をしていた。しかし、それを明城が横どったというか……とにかく、ある時を境にいつの間にかあいつが自らの友人を相手にするという構図が出来上がっていた。


「ここはほら、仮定法だからそのまま訳しちゃダメですよ?」

「あ、そっかー。気づかなかった……」

「まあちょっとわかりにくい形にはなってますから、仕方ありません。他には何かありますか?」

「えっとねー」


 こうしてこいつと吉永のやり取りを見ているとなかなか面白い。今までも、剛や学と事務的なやり取りプラスαをしている姿を見てきたが、そのどれもがとても素っ気ない。

 吉永に対する時も基本時には同じ感じだが、それでも優しさというか思いやりというか、そういうものが滲み出ていた。ちょっと不器用な感じ。

 というか、俺に対する接し方が別なのか。悪い言い方をすれば猫を被っている……いや、なんか違う。どちらも明城の本当の姿なのだろう。いつもとは違ったこいつの面が窺い知れるのはなんだか新鮮だった。


「おい、バカ。聞いてるのか?」

 暖かな心持ちで二人のやり取りを見守っていたら、前から鋭い声が飛んできた。

「うるせーバカ。聞いてるバカ」

「じゃあ、ここの答えは?」

「……明日の俺ならわかる」

「化学の回答欄に、そんなことを記入する機会は絶対ないぞ」

「言葉をそっくりそのまま受け取るな。融通の利かないロボットか!」

「お前、ロボットを馬鹿にしてるのか? いずれ、そうした機知にも富むことになるだろう。お前と違って」


 ふふっ、とその場にいた女子二人がくすりとほほ笑んだ。そんなに面白いところがあっただろうか、少し居心地の悪さを覚えた。


「ほら、時間ないぞ。さっさと手、動かせ」

 剛の方はなんとも思ってみたいだけど。

「本当に厳しいな、お前……」


 ――改めて解説を聞きなおして、ノートに解答を記していく。答えだけでなくしっかりとその過程まで。一問一答形式じゃない限り、そうしないと目の前の大男に叩かれる。


「はい、オッケー」

 至極あっさりとした反応。

「もうちょっとなんかないのかよ」

「やだよ。どうして、男相手にテンション上げないとなんないんだ?」

「小学校からの付き合いじゃねーか」

「だから?」

 ……薄情である、この男。


「へー、大力君と白波君、そんな前からの友達なんだ。なんか、凄いね」

「それって凄いのか? まあ、高校まで一緒になるとは思ってなかったけどな。お前、もっといい高校行けただろ?」

「だってここ以外どこも遠いじゃん。それにある程度は自分で何とかなるもんさ」

 とまあ、こいつの進学理由はこんな感じ。頭のいい奴が考えることはようわからん。


「そろそろ帰りましょうか?」

 

 気が付けば、時刻は十八時に近くになっていた。確かにそろそろ完全下校時間が迫っている。明城の提案に従って、俺たちは片づけを始める。


 教室を出る時には俺たちが最後だったので、しっかりと電気を消した。廊下はひっそりと静まり返り、もはや不気味ともいえるくらいの雰囲気だった。


「それにしてもアリスちゃんと白波君は本当に仲いいんだね」

「……そうか?」

「うん。見てるこっちが居た堪れなくなるくらいには」

「吉永の言うこと、よくわかるぞ。俺と学もいつも心に殺意を忘れていない」

「ぶ、物騒すぎだろ……」


 友人の目が意外と本気だったので、俺は思わずぞくりとしてしまった。そんなにアレだろうか……我が身を顧みてみるものの、思い当たる節はない。

 そして、二人が変なことを言うせいで、あいつはとても楽しそう。ニコニコ、ルンルン。ともすれば、この廊下でスキップを披露するんじゃないか、ってくらいに。


「じゃあ私、こっちだから。また明日ね、アリスちゃん、大力君、白波君」

「はい、お気を付けて」

 こんな時でもしっかりと深々頭を下げる明城。

「おう、じゃあな」

「ああ、しっかり復習するんだぞ」

 俺たち男連中はあっさりと手を上げるだけにした。


 校門の手前で、俺たち三人は吉永と別れた。バス通学らしい、そして家の方面からして逆っぽい。艶のある長い黒髪を揺らしながら歩いていく。

 クラスメイトのそんな情報を、もし明城がいなければ知ることはなかっただろう。そう考えれば、俺の日常は少しずつ、でも確実に変化しているのか。


 夕焼けの中、俺たちも駐輪場へ向かって進み始めた。この時間に学校を出るのは先週の火曜日以来。とても不思議だった。隣には否が応でも視線を集める程のクラスメイトの女子と、あと昔からの友人。そんなちぐはぐな組み合わせに、俺はつい苦笑いをしてしまうのだった――

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