第四十二話 落ち着かない夜

 どうしてこうなったのだろう。どこで俺は道を間違えた。いや、それはよくわかっている。あそこが分岐点だった。しかし、後悔は決して先に立つことはない。俺にできるのは、今ある現実を受け止めるだけ。


「どうします、ユキトさん。ピンチです、わたくしにもそれくらいわかります」

「言われなくてもわかってる。しかし、どうしようもない」

「ああ! 


 ……火力担当キャラが落ちた。これはもう無理だ。回復アイテムも足りないし、ザ・ジリ貧オブジリ貧。賽の河原で石積み上げて、とかっていうやつだ。


 ……はぁ。ため息を一つ付いて、俺は手早くゲーム機の電源を落とした。食後の息抜きにしては、ちょっと熱中し過ぎ。気が付けば、一時間近く経っている。


「やめちゃうんですか?」

「うん。いつまでも遊んでるわけにはいかないだろ」


 俺はすくっと立ち上がった。そしておもむろに学習机に近づく。やや乱暴に、キャスター付きの椅子に腰を下ろす。


 今遊んでいたのは、某国民的RPG、その五作目。別会社の据え置き機でリメイクされたもの。発売日はもう十年近く前。元作品はそこからもう十年程度遡ることになるが。ちなみに、さっきのは裏ボス戦。

 最新のゲーム機も一通りは持っているが、最近はなんとなく昔やっていたものをやり直すことの方が多かった。ただの気まぐれだけども。


 あの地獄じみた夕食会は、とんでもない結末をもたらした。その証拠が、俺の自室に現在進行形で存在している明城アリス。……何が楽しいのか、今もニコニコと興味深そうに俺の部屋に視線を巡らせている。

 その傍らには少し大きめのバッグが置いてあった。彼女曰く『お泊りセットです!』とのこと。食後わざわざ着替えとかを取りに行ったらしい。そのまま素泊まりとはいかないのはわかる。しかしそれは、二度手間、というか。まあ当人が全く気にしてないんだから、とやかく言っても仕方がない。


 とにかく、家庭内ヒエラルキーのナンバー1とナンバー2が言い出したこととあれば、俺の反対など無意味。ここに、彼女の宿泊が決定した。形式上の家主である親父殿もすんなりと許可。それどころか、会社に泊まり込みで仕事するとか言い出したみたいで、母さんが少し怒ってた。……我が父よ、それは余計な気遣いと言うものである。明日が少しだけ怖いのですが。


 そして、現在に至る。当然の権利のように、彼女は俺の部屋に行きたいとか言い出した。そのままリビングで集中砲火を浴びることと比較して、熟慮の末こっちの道を選んだわけである。


 やはり、クラスメイトの女子が俺の部屋にいる、というのは落ち着かない。だから気を紛らわすために、ゲームをしていたんだが……。ああいう結末を迎えると、さすがに続ける気にならない。

 とりあえず机の方を向いて、目の前に並ぶ教科書類から一冊のワークを取り出す。横に掛けてあるスクールバッグの中からを掴み取った。そのまま、勉学を開始する。


「お勉強、ですか?」


 肩越しに明城が手元を覗き込んできた。ちらりと見ると、髪を耳にかける仕草が目に入った。


「テスト前という事実は変わらないからな。それと、お前の出番はないぞ」

 

 すぐに視線を戻して、ぶっきらぼうに答える。そして、ペンを挟めて一度ワークを閉じた。その表紙がしっかり見えるように、少し身体をどける。

 日本史……わからないところは、自分で調べればいいだけ。教科書、用語集、資料集――君だけの武器を手に自由に冒険を進めてくれ、みたいな。


「え~、せっかくわたくしが部屋にいるんですよ。もっと他にないんですか!」

「頼んだわけじゃないし。だいたい他ってなんだよ?」

「……それは、その」

 

 言いかけて黙り込む女。途端不思議な間が出来上がった。部屋の中に、物音はほとんどしない。夜の静けさの中に、彼女のかすかな息遣いが聞こえてくる。それが俺の心拍数を跳ね上げる。

 もともと、平常心でいられてなかった。気まずさに耐えかねて、手が止まる。いいように扱われてるな、と思いながら、今度は彼女の方に身体を向けた――意外とすぐ近くにあいつは立っていた。緊張に顔を強張らせながらも、腕を組みながらその顔を見上げる。


 なぜ黙っているのか。先の言葉の続きは何なのか。激しい胸の鼓動を感じながら、じっとあいつの顔を見つめる。他の科目、という意味じゃないのは彼女の放つ雰囲気から明らか。

 しかし彼女は俯いたまま、俺の方を見ようとはしない。何度も繰り返されるまばたき、ほのかに力がこもる口元……よほど、言いにくいことらしい。その頬はどこか赤いし。


『チューとかはしたんでしょ?』


 不意に、脳裏に浮かんだのは食事中の従姉のそんな一言。珍しくしおらしい姿をみせる明城に、俺の調子は狂うばかり。

 果たして、こいつは何を考えているのか。その憂いのある表情の奥底に眠るのは、いったいどんな企みなのか。


 やがて、長い沈黙の果てに――


「アリスちゃーん、お風呂どーぞ!」


 バタンッ! 部屋の扉が力強く開け放たれた。途端に空気がガラッと変わる。明城がとても驚いた風に、そっちの方に顔を向けた。


 ずかずかと無遠慮に俺の部屋に入ってくる女が一人。ノックはどうした、文句を言おうにも、口がうまく動かなかった。

 奴もまた、室内の異様な雰囲気に気付いたらしい。怪訝そうな顔で、俺たちの顔を見比べる。


「あれ? なに二人とも顔を赤くしちゃって……ははーん、そういうことね。それは、オジャマしました」


 闖入者は顎に手を当てて、どこか納得がいったようにしきりに頷いている。何度も見過ぎて、食傷気味ともいえるおちょくるような表情を浮かべて。


「ほどほどにしなさいよー。おばさんも下にいるんだし」


 冷やかすように言葉を吐き捨てると、彼女はそのまま踵を返して、部屋を出て行こうとした。俺は彼女の腕を反射的に掴む。


「待て。全然そんなことないから。誤解だ、誤解!」

「誤解、ねえ。ま、そういうことにしておきましょ。だいじょーぶよぉ、他言はしないから。ほら、手離して」


 納得は全くいってないが、とりあえず言われたとおりにした。すると、どこか白けた顔をまり姉はこちらに向ける。


「とにかく、明城。先に風呂入っちゃえよ」

「キャー、幸人ったら大胆ねぇ。どこで覚えたのかしらそんなセリフ」

「まり姉っ!」


 全然懲りてねーな、この女! 思わず、勢いそのままに叫んでしまった。

 だいたい、今のどこがおかしなセリフだというのか。俺には特に思い当たることはなかった。


「ジョークよ、ジョーク。余裕がない男は嫌われるわよ? ねえ、アリスちゃん」


 いきなり話を振られた彼女は、「は、はあ……」と、曖昧な返事をするだけ。相当動揺しているらしい。首元に垂れる髪をしきりに触っている。その表情ははっきりとはわからない。


 さすがの明城もこの展開は予想外だったらしい。あんまり狼狽えるところを見せない彼女がそうすると、なんだか新鮮だ。それで、俺の方は少しは落ち着きを取り戻すことができた。


「余計なことを言わなくていいから。さっさとこいつを連れてってくれ」


 俺は椅子から立ち上がって、軽くクラスメイトの背中を押した。ポンと押し出されるようにして、その身体が前へ。それで緊張が解けたのか、その肩は大きく隆起した。


「はいはーい。でも大丈夫、アリスちゃん? なんだか、ボーっとしてるみたいだけど。もしかして、具合悪い? それともあの男になんかされ――」

「まーりねーえっ!」

「おほほ、怖い怖い。でも、本当に平気?」

「は、はい。大丈夫です、ちょっとびっくりしたというか、なんというか……」

「やっぱり変なことを――」

「それはないです! ユキトさんは優しい人です!」


 大きくに髪を振り乱して、大げさに叫ぶ明城。その身体をぐっと前の方に傾けている。


 その勢いに一瞬気圧されるまり姉。しかし、すぐに余裕たっぷりの顔つきに戻った。何かを見透かしたように、口元をちょっと緩める。


「あらあら、お熱いわね~。ほんと、二人きりで何をしていたんだか。まあいいわ、後でたーっぷり聞かせてもらうわよ、アリスちゃん」

「ええと、それはその……。とにかく、行きましょう」


 彼女は床に置いていた荷物を持ち上げると、まり姉を急かした。そのまま二人が部屋を出て行こうとする。

 明城は最後、しっかりとこちらの方を向いて、丁寧な仕草でドアを閉じようとする。もれなく、目が合ったがすぐに逸らされてしまった。間をおかずに、視界から廊下の姿が消える。

 

 なんだったんだ、いったい……。再び静まり返る部屋に一人取り残された俺は、どっと疲れを感じながらのろのろと椅子に腰を下ろす。

 ――はあ。それは、トラブルからようやく解放されたことからくる、安堵のため息だった。だらりと、力なく腕をぶら下げる。


 もし……明城が言おうとしたことに頭を巡らせる。あいつが、本当の恋人がするようなことを口にしていたら、俺はどうしていただろう?

 その答えは出なかった。そのまま雰囲気に押し流された気もする。あるいは、確固たる意志のもと拒絶……考えても仕方ない。

 くるりと椅子を回して、机に向かう。とりあえず今はこっち。次のテストを頑張ろう。少しでも、あいつとの差が埋まるように。五日前に固めた決意を改めて思い出し、俺は少し背中を丸めた。

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