第四十一話 地獄の食事会

 今日の献立は和食中心だった。それでは僭越ながら――いかしたメンバーを紹介するぜ!


 まずは定番の白いご飯となめこの味噌汁。主菜は肉じゃがに鶏のから揚げ。最後にバイプレーヤーとして食卓を彩る、白菜の漬物とほうれん草のおひたし!


 ……何を考えているんだ、俺は。息苦しさを覚えながらも、ひたすらにご飯を噛み締めていく。それは、この過酷な現実からの逃避行動のようなものだった。

 空気が重い……いや、そう感じているのはどうやら俺らしいが。他の連中はにこやかな雰囲気を放っている。それがまたなんともしんどいというか……。


 食事が始まって数分。我が家の女性陣は、好奇の充ちた眼差しを少しも隠そうとしない。平然とした様子で箸を進めながらも、抜け目なく俺と明城のことを観察してくる。果たしてその頭の中で蠢いているのは、どんな空想か。考えたらわかりそうな気はするが、思考の権利は放棄した。


「わぁ~。ほんと、美味しいです。お母様、とても料理お上手なのですね!」

「そんなお母様だなんて、まだ気が早いわよ……。お口に合ったのなら何よりだわ」

「あのそういう意味じゃないと思うんだけど……」


 しかし、まだ会話の内容は軽め。学校での話や、近々の勉強の様子、あとは明城の暮らしに関する話題だったり、取るに足らないもの。

 非常に和やかな雰囲気だ。それがまた嵐の前の静けさのように、俺には思えてならない。絶対に、母さんたちは俺たちの仲について、とやかく言ってくると思う。それがわかっているからこそ、この状況を穏やかな心持ちで静観できないでいた。


 けれど、いつまでも気を揉んでいるのも飽きたので、食事の方にぐっと意識を傾ける。確かに彼女の言う通り、今日は特にどの料理も美味しい。

 いつもより手が込んでいるというか……普段はもう少し出来合いのものが混ざるのに。全て手作りとは、どれだけ気合を入れたんだか。相手はただのクラスメイトなのに。俺の方もまた、何かを勘繰らざるを得ない。


 とにかく、俺は今度は中央の大皿に手を伸ばすことに。箸を持ち換えて、自分の小皿に一つ載せる。食べやすい手ごろな大きさ。彼は照明の下、ギラギラと輝きを放っていた。

 カリカリの衣を堪能しながら、あふれ出る肉汁に舌鼓を打つ。鶏肉は柔らかくて、容易く歯が入っていく。噛めば噛むほど旨味が増していく。追撃と言わんばかりに、ご飯を少し投入した。


 その時―― 


「それで二人はどこまで進んだの?」

「ぶふーっ! ごほっ、ごほっ!」


 とんでもないまり姉の一言に、俺は思わず口の中のものを吹き出しそうになる。咄嗟に口元を手で押さえたために被害は最小限。だが大部分は、勢いよく気管に攻撃を仕掛けてきたので、激しくむせて息苦しい。


「だ、大丈夫ですか、ユキトさん!」

 心配そうに明城は俺の顔を覗き込んでくる。

「ちょっとあんた、何してんの! ほらティッシュ」

「……はぁ、はぁ。ど、どうも」


 か細い呼吸を繰り返しながら、なんとか母さんからティッシュ箱を受け取る。念入りに手の中を拭いていく。しかしまだ息苦しさは続いていた……こっちは物理的な意味で。

 ぜーはー、ぜーはー。必死に呼吸を整えにかかる。しかし一向に落ち着く気配はない。やがて、明城が背中を擦ってくれた。


「どうです、落ち着きました?」

「あ、ああ。なんとか……」

 

 食事の時にむせるのが一番しんどい気がする。喉が自分の意思に反して暴れまわって仕方がない。油断していると、すぐにせき込みそうになるし。


 それにしても、あわや死ぬかと思った。肉体的にも、精神的にも。いや、後者においてはすでに瀕死か……紙一重で致命傷だった。あの詮索大好き女子大生の一言はそれぐらいの破壊力だった。


 ……いや、待てよ。ワンチャン無かったことになっているのでは? あの呼吸器の苦しみは決して意図したものではなかったけども、結果的には会話の流れをずたずたに引き裂くことができた、と思う。

 とりあえず、気持ちを落ち着ける意味でも味噌汁に口を付ける。いつもと変わらない味がそこにあった。プライスレス、みたいな。ダメだ、先ほどから思考が荒ぶっている。


 しかし――


「で、さっきの話だけど、チューくらいはしたんでしょ?」


 見事にぶり返された。


「ぶはっ!」


 茶碗の中に少し味噌汁を戻した。……殺される。この従姉は俺のことを殺す気なんだ。さっきから、どうして俺が物を口に含んでいる時に限って、変なことをぶっこんでくるのか。


「もうっ、はしたないでしょ、幸人! アリスちゃんの前で失礼よ!」

「も、文句は隣の姪っ子に言ってくれ……」


 母さんの言うことも最もだが、これは不可抗力。俺は疲弊しきりながらも、なんとかきつく奴を睨みつける。

 しかし、効果はなかった。敵は涼しい顔をしている。口角をわざとらしく上げているのが、非常に憎たらしい。


「で、どうなの?」

「母さんも気になるわ!」


 奴は仲間呼びに成功したようだ。隣にいる生物学上の俺の母親が敵の手に堕ちた。二人して、ぐいと身を乗り出してくる。


 流石に三度目はなかった。口の中は空っぽにしてあるし、余計なものは何一つ手にしていない。追撃が飛んでこないだろう、という楽観は捨てた。


「ど、どうと言われましても……。ねぇ、ユキトさん?」


 明城は顔を赤らめると、ちらりと横目で俺の方を見てきた。そのまま恥ずかしそうに俯く。ちょっとだけ下唇を口の中に巻き込みながら。


 ――待て待て。なんだ、その反応は。なぜ即座に否定しない。それではまるで、俺たちの間に何かがあったようじゃないか!


 やはり同様のことを、目の前の二人も思ったらしい。よりその顔のにやつき具合が激しくなった。にたぁと口を横開きにし、その目がぐっと細まる。低俗なワイドショーでも前にしているような雰囲気。


「あらあら、最近の高校生は進展が早いのね。母さん、ビックリ!」

「え~、これくらい普通だよ、おばさん。というか、この感じ……それ以上まで――」

「違う、断じて違う! この先だからはっきり言っておくけど、こいつはただの友達だから!」


 勝手に盛り上がる母さんたちに、俺は狼狽えながらも強く否定の言葉を口にする。このまま放っておいたら、根拠のない既成事実がどんどん出来上がってしまうことだろう。


「何言ってるの。毎朝迎えに来てくれるは、ここずっとお昼を作ってくれるは、その上勉強まで見てもらってるは。友達以上の関係なのは、自明の理じゃない」

「いや、それは勝手な勘違いと言うか……」

 そうやって冷静に事実を並べたてられると、自然と語気が弱くなる。


「ああ、もうじれったいわね。この際、はっきりと言っちゃったほうが気分が楽になるわよ? かつ丼、頼む?」

「あんたは俺をどうしたいんだ……刑事ドラマの見過ぎだぞ。何度も言うように、俺とこいつは一友達でございます」

 

 虚勢を張って、誤魔化すように味噌汁を呑む。味なんてろくに確かめず、手早く喉をくぐらせた。警戒をしてしすぎる、ということはない。


「またまた~。男女の間に友情は成立しないっていうのは定説よ?」

「んなアホなことばっかり言ってるから、その歳になっても彼氏できないんだろ、まりね――」

「なにか言ったかしら?」


 パシリ、と箸をおいて、にっこりとほほ笑む空手有段者。その姿はただひたすらに恐ろしい。有無を言わさない迫力――殺気が滲み出ていた。

 俺は顔を引きつらせながら、慌てて言葉を引っ込める。ごくりと唾を一つ飲み込んだ。これから発する言葉如何によっては、俺が食卓に上ることになるだろう……。


「と、とにかく。俺と明城はそんな関係じゃないから。……キスなんてのも以ての外だ!」

「この子ったら照れちゃって。こんなこと言ってるけど、どうなの、アリスちゃん?」

「はい、わたくしとユキトさんは――」


 奴が滅多なことを口にする前に、慌てて目でいなす。かすかに首を振って、変なことは言うな、と必死に訴えかける。

 一体何を理解したのか。とにかく、彼女は一瞬目を大きく見開くと、わかってますよともったいつけた様に首を縦に振った。


「ただのお友達です」

 満面の笑みで、しれっとそんなことを言った。よしよし。

「……今は、ですけど」

 少し間を取って、はにかんで付け加えやがった。おうふっ。


 その答えは、二人には効果てきめんだったらしい。見る見るうちにその顔が紅潮していく。


「なんていじらしいのかしら、アリスちゃん! 私、ファンになっちゃった」

「本当に不思議だわ。こんな愛らしい娘が、どうしてあたしの冴えない従弟なんかと……」

「つまらない息子ですけど、これからも仲良くしてあげてね」


 身内から冷ややかな視線が浴びせられる。その本人がいることなど、まるでお構いなしということらしい。俺は居た堪れない気分になる。


「いえ、そんな……ユキトさんは、わたくしには過ぎた人ですから」


 当然のように、明城が味方をしてくれるものの、正直あんまり心に響かないというか……。頭の中にいるのは、前世の俺に違いないだろうから複雑な気分である。


 そのまま盛り上がる女たちをよそに、俺は黙々と食事を進めていく。女三人寄れば姦しい、というのはよく言ったものだ。今ここにそれがまさに体現されている。


 そして――


「そうだ、今日せっかくだから泊っていったら? ほら、麻理恵ちゃんの部屋。アリスちゃんが寝れるスペースあるでしょ」

「わー、それグッドアイデアね、おばさん! 夜が更けるまで、ガールズトーク決定!」


 とんでもない提案を口走る母。底抜けの明るさで賛同する従姉。どうしたらそんな結論に至るのか、爪の先程も理解できない。


「待て待て、さすがにそれはどうかと……」

「はい。わたくしもご迷惑だと思うのですけれど」


 そうそう。流石のこいつでもちゃんと弁えていたか。神妙な面持ちで、そのまま黙り込んで下を向く明城。しかし、すぐに顔を上げると――


「でもありがたく、お受けいたします!」

「なんでだよ!?」


 そんな俺の抗議の言葉は、虚しく宙に溶けていくのだった。

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