第三十八話 魅惑の手料理

「お邪魔します」

「はい、どうぞ……なんか照れますね、こういうの」

 

 そう言うと、明城ははにかんだように笑った。ふわりと揺れるご自慢の銀髪。暖色のライトの下で、魅力的に煌めいた。そして、香水じみた甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 それがより、俺の気持ちを落ち着かなくさせる。ここに来るのは二度目だが、前に来た時よりも俺は緊張していたといえるかもしれない。


 彼女に続いて、俺は突き当りのドアをくぐった。大きな窓からは燦々と日光が入り込んで、部屋の奥をピカピカに輝かせている。彼女の手入れがよく行き届いているということか。いつも清潔感溢れる彼女らしいな、俺はふとそんなことを思う。


「ユキトさんは奥でゆっくりしていてください」


 彼女は細い通路の途中で折れた。キッチンに入っていくその姿を見送って、俺はどぎまぎしながらリビングへ。つい手持無沙汰にさっと周囲に視線を巡らせる。


「どうぞ、お座りくださいな」

「あ、ああ」

 俺はどぎまぎしながらもソファ適当なところに腰を下ろした。

「テレビつけてもいいか?」

「構いませんよ」


 一応許可を得て、俺はリモコンを操作した……前も同じことをした記憶がある。とにかく二人きりということで、ひたすらに気まずい。

 適当なチャンネルに合わせた。いわゆるワイドショー。それもバラエティ寄りに舵を切っている番組だ。普段は見ないから、新鮮な気持ちになる。


「なにかリクエストはありますか、ユキトさん」

 キッチンの方から声が飛んできた。

「いや、作ってもらうんだから、なんでも食べるよ」

 俺はテレビに視線を固定したまま答える。

「じゃあわたくしとか――」

「普通の食事を頼む!」


 俺は慌てて、彼女の方に顔を向けた。奴はニコニコと、余裕綽々と言った感じに笑ってやがる。


 ほんと変なこと言わないで欲しい。一気に心拍数が跳ね上がった。心臓は胸を突き破らんほどに脈打っている。さっきから変な汗が止まらない。


「うふふ、そんな照れなくても」

「照れとかじゃないから!」

 強めに否定して視線を戻す。これ以上、あいつのことを見ていられなかった。

「では、カルボナーラなんていかがでしょう? 得意なんです」

「じゃあそれで。ちょうど麺類の気分だったんだ」

「では腕によりをかけちゃいます!」


 気合のこもった可愛らしい声が右手の方からやってきた。そして、ばたばたと作業が始まる音がする。


 しかし待っているだけというのは、なんとも落ち着かないというか……液晶に目を向けていても、内容は頭に入ってこない。ただ物理的に視線がそちらに向いているだけである。

 そんな俺のことなど気にすることなく、彼女はテキパキと調理を進めている様だった。冷蔵庫を開け閉めする音が数回。そして、今はトントンと小気味いい音が部屋中にこだましている。音だけで察するに、なかなかに手際は良さそうだ。


「なあ、何か手伝うことあるか?」


 堪えきれなくなって、俺は明城の方を向く。思った通り、彼女は具材を刻んでいた。高いカウンター越しに、包丁を動かす仕草が見える。

 彼女は、シンプルなデザインの紫色をした無地のエプロンを身に着けていた。制服の上から。なんとなくそのアンバランスさが、俺の目には魅力的に映った。


「いいえ、ゆっくりしていてください」

「そういうわけには……」

「それはこっちのセリフです。ユキトさんはゲストなんですから、どっしりと構えていればいいのです!」


 手を休めると、家主は満面の笑みを浮かべるのだった。そして、満足そうに頷くとまた作業に戻る。


 そんな風にされると、俺も引き下がるしかなくて。また、ぼんやりとワイドショーに目をやるという作業を再開せざるを得ないのだった。今は、女性タレントがファッションの話でキャッキャと盛り上がっている。全くわからん。

 

 やがて、彼女の奏でる音の種類が変わってきた。かちゃかちゃという攪乱する音がしたかと思えば、ぐつぐつと水が沸騰する音。さらにジュージューと何かが焼ける音まで。いよいよ本格的な作業工程に入ったらしい。

 やがて換気扇が回りだした。そして、香ばしいベーコンの匂いが鼻に届いてくる。……やばい、なかなかにお腹が減ってきた。それでより気分が落ち着かなくなる。

 ちらちらと、俺は彼女の方を見ていた。麺が茹で上がったらしい。今は水を切っている。そして、それをフライパンに入れた。すかさず、慣れた仕草で予め作ってあっただろうソースも投入する。


「あの……あんまり見られてると、恥ずかしいです」

「悪い。つい、そのお腹減っちゃって……」

「ユキトさん、意外と子どもっぽいですねー」


 悪戯っぽく微笑しながら、彼女は麺とソースを菜箸で巧みに絡ませていく。やがて、用意してあった二つの白い皿に、出来立てのカルボナーラを盛り付けてた。そこに、ぱっぱとブラックペッパーを振る。

 飲食店のウェイトレスみたいに、それらを両の掌に載せて彼女は運んでくる。制服のスカートが、またなんともそれっぽい。


「お待たせしました」


 ことこと。ちょうどいい高さのガラスのテーブルに並べる。しっかりと縁があって、中央がくぼんでいる西洋皿からは湯気が立ち上った。それに混じって、クリーミーな香りが俺の花を襲う。それがなんともまあ、俺の食欲を駆り立てるのだ。

 少し白っぽくなった黄色の麺と、卵とチーズが合わさったソースが見事に絡み合っている。具材は、ベーコン、マッシュルーム、それにスライスした玉ねぎ。荒削りのブラックペッパーは存在感たっぷりだ。なんとも見栄えがいい。唾液がどんどん染み出てくる。


「あっ、いけない。フォークを忘れていました!」


 そう言うと、慌てた様子で彼女はキッチンへ。ガサゴソと音が聞こえると、間もなく二本のフォークを手にして戻ってきた。その顔はどこか恥ずかしそうなのが面白い。そして、当たり前のように俺の隣に座ってきた。肩をぐっと近づけるようにして。十分な広さがあるというのに……前回の時と同様わざとだろうけど。

 思わぬ形でお預けを食らった身としては、もう我慢の限界だった。そんな身体的接触など気にしている余裕はない。フォークを受け取ると、そのまま顔の前で手を合わせる。


「いただきます」

「どうぞ、召し上がれ。お口にあえば、よろしいのですけれど」

 明城は自信がなさそうに目を伏せた。


 俺はくるくるとパスタを巻いて、口の中に放り込んだ。咀嚼を繰り返すこと数回――


「……美味しいよ」


 麺は固すぎず柔らかすぎず。噛めば噛むほど、口の中に卵のコクとチーズの風味が広がる。ソースは少し濃い目だが、それが妙に俺の下にマッチする。基本まろやかな味わいだが、香りのよい荒削りの黒胡椒は噛み締めると、それなりの辛さを感じさせた。だが、玉ねぎの甘みがそれをかき消してくれる。そして、カリカリのベーコンは食感がよく、肉の旨味が詰まっていた。マッシュルームはマッシュルーム。

 正直な話、ちゃんとしたカルボナーラを食べたことは数回程度しかない。家族でパスタをあんまり食べに行ったりしないし。だが、そんな少ない経験の中でも、これは一番のできだ。よく食べる母さんお手製のカルボナーラもどきとは比べ物にならない。まさに別次元。


「本当ですか! よかったぁ、ちょっとだけ不安だったんです。それじゃ、わたくしもいただきますね」

 ようやく彼女もフォークを動かし始めた。


 室内に穏やかな時間が訪れる。音を発するのはテレビだけ。俺たちは黙々と食事の手を進めていた。その沈黙は決して気まずいものではなく、なんとなく心安らぐ感じがする。

 時折、俺はかちゃかちゃと音を立ててしまうが、明城の方は全くそんなことはない。横目でその姿を窺うと、本当に丁寧な所作で口に麺を運んでいた。育ちの良さが滲み出ている。俺は、がっついている自分が少し恥ずかしくなった。


「ごちそうさまでした」

 手を合わせて少し上半身を折る。

「本当に美味しかったよ」

「お粗末様でした。それは、わたくしには過ぎた言葉ですが、謹んで受け止めさせていただきます」


 すいぶん、古めかしくて、回りくどい言い方だったけれど、彼女が喜んでくれているのはわかる。だって、その顔は笑みを隠しきれていない。

 俺は食器を持って立ち上がった。そのまま遠回りしてキッチンの方へ行こうとするが――


「どちらへ?」

「食器下げようと思って」

「ああ、別によろしかったのに。ユキトさんは寛いでいてくだされば……」

「あのな、俺は赤ん坊とかじゃないんだ。そんなあれこれしてくれなくてもいいんだぞ? まあ、キッチンに入られたくない理由があるんなら別だけどな」

 俺は冷やかすように彼女に微笑みかけた。


「ええと、そうですね。実は秘密の日記が――って、ダメですね。あんまりいい冗談が思いつきません」

 

 珍しく困ったような表情をする明城。その笑みはどことなくぎこちない。


 例えば、流しの下に人の死体が――って、これは流石に悪趣味だな。推理小説の読み過ぎか、サスペンスドラマの見過ぎ。

 俺は自分の貧相な発想力に苦く笑いつつ、キッチンへの初侵入を試みた。明城は、また食事に戻っているから、無事に成功。シンクに食器を置いて、水道のレバーを上げた。軽く水に浸しておくことに。


「ありがとうございます、ユキトさん」

 再びソファに戻ると、彼女が話しかけてきた。

「これくらい大したことじゃないだろ。それに、それは俺のセリフだ。こんな素晴らしいものを振舞ってくれて、いつも弁当まで、本当にありがとう」


 それは心の底からの感謝の気持ちだった。しっかりと、彼女の方に身体を向けて、膝に手を添えて、深くお辞儀をする。


「そんな……好きでやってることですから。でも、お気に触っていないのでしたら幸いです」


 彼女はそっと目を細める。普通の仕草のはずなのに。なぜか俺にはそれがとても儚いように思えた。どこか寂しげというか……気のせいかもしれない。彼女は再びパスタを口元に運んでいる。

 

 彼女の食事が終わるまで、俺は自作の単語帳をチェックしていた。昨日でテスト範囲の部分は粗方終わった。残ってるのは授業でまだ触れていない部分。

 お腹を満たしたからか、すぐ横に明城の存在を感じるからか。いつの間にか、俺の中の居心地の悪さは消えていた。これからの勉強に向けて気合を練り上げていく、そんな穏やかな昼下がりなのがここにあった――

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