変わりゆく二人の関係

第三十一話 新しい日常

 あの謎のカフェデートから一週間以上が過ぎた。今日は月曜日。また新しい一週間が始まる。

 起床して、学校に行く準備を済ませて、俺はのんびりと朝食を食べていた。食卓には、親父の姿だけがない。変わらず、あのおっさんは忙しいらしい。

 俺たち三人に特に会話はなく、朝の情報番組だけが静かにその存在感を示し続けている。あと少しすれば、まり姉がそのチャンネルの主導権を握ることになるが――


 ピンポーン! 落ち着いた雰囲気を打破したのは、インターホンの音だった。


「俺出て――」

「わたし出るから。あんたは残り片しちゃいなさい」


 腰を浮かせたところ、母さんにいきなり制された。来客は十中八九予想がついていたから、俺が応対したかったのだが。彼女がさっさと出て行ってしまったので、俺は仕方なしに座る。


「あの娘、まだあんたにお熱なのね~」


 従姉が冷やかしてきたが無視。すると、脛を蹴られた。暴力反対とここ度の中で唱える。


「あら、アリスちゃん! おはよう」

「おはようございます、お母様!」

「毎朝毎朝、ほんとえらいわね~」

「いえ、好きでやってることですから」

「ちょっと待ってね。まだあの子食べてるから。ほら、上がっちゃって」


 玄関から聞こえてくる物騒な会話と物音に耳を傾けながら、橋を進めていく。別にそのスピードを速めることはしない。


 いくら通り道とはいえ、よくやるよ、ほんと。先週の月曜日以来、これで六連続目。途中の雨の日ですら、バス停二つ分の距離を彼女は歩いてきた。


「なに、のろのろ食べてんのよ」

「いいのかよ、そんなに俺にかまって。占い見逃しても知らねーぞ」

「へーきよ、へーき」


 しっかり味噌汁を一滴残らず飲み干して、俺は席を立った。しかし、なぜ母さんは戻ってこないんだろうか。あの人の朝飯もまだ半分くらい残っているんだけど……。

 その答えはすぐに見つかった。鞄を持って玄関に出ると、談笑する二人の姿があった。すっかり、打ち解けてんな、こいつら。


 そりゃ、毎日押しかけてくるもんだから、明城はすっかりうちの家族と顔見知り。ただ一人、親父を覗いて。その見た目、さらにしっかりとした中身が合わさって、すっかりうちの女性陣は牙を抜かれている。


「あ、ユキトさん! おはようございます」

「おう」

「おう……じゃないわよ。ちゃんとあいさつしなさい!」

「おはようございます、明城さん。今日もご機嫌麗しゅう」

 俺は胸に手を当てて、恭しく腰を折ってみせた。


「はあ。まったく、うちの子ときたら……少しはアリスちゃんを見習ってほしいものだわ」


 呆れたように首を振りながら、母さんはリビングに戻っていった。

 俺はその姿を見送りながら肩を竦める。


「もうご飯はいいんですか?」

「おかげさまですっかり食べ終わりました」

「じゃあ行きましょー」


 楽しそうに拳を天に突き上げる明城。ふわりとその肩にかかった髪の毛が揺れる。

 ただ一緒に登校するだけっていうのに、何がそこまで嬉しいのやら。そのテンションの高さに苦笑いしながらも、俺は靴を履いた。






        *






「はあ、はしんどいなぁ」

「ほんとだよ。こんなんやる意味あんのかよ! 抗議してくる!」

「待ちなよ、剛……それ、去年も同じこと言ってたじゃないか」

「お前らによって止められたがな。こんなもの、走りたい奴だけ走ればいい」

 彼の魂の底からの叫びがお見舞いされた。


 それは激しく同意だが、授業の一環として行われることならば、拒否権はない。そこに学校教育のおかしさがあると、この体格のいい大男は言うが、そこまでの頭がない俺にはいまいちぴんと来なかった。


 よく晴れており、風はほぼ無い。光あふれるグラウンドには、文系四クラスが招集されていた。そんな月曜日の三時間目。

 春の体育の授業は本当に憂鬱だった。陸上、体力測定……別名、運動苦手な奴の晒し上げ。幸い、それを本気で揶揄する様な性格の悪い奴は見たことがないが。


 今日はその中でも、一番しんどい中距離走というわけである。一周四百メートルのトラックを、四分の十五周するらしい。その数字に、学はぴんと来ていなかったが。

 俺たちは来るべき自分たちの番に備えていた。陰キャらしくあんまり目立たない場所で。


「別に走ったら終わりなんだから、楽でいーじゃん」

「そりゃお前は得意だからいいけどさ」

「運動部じゃない俺と幸人にとっちゃ重労働なんだよ!」

「剛はホント見掛け倒しだよね~」


 けらけらと、楽しそうに笑う鬼畜メガネ。さすが水泳部の期待のホープとあって、これくらいなんともない。

 それとは対照的に頭脳自慢のゴリラは一層、顔色が悪くなったようだ。気持ちはよくわかる。俺もこいつと同じほどではないが、センゴは嫌いだ。


 まもなく俺たちの番が来るだろう。トラックでは、最後の一団がゴールに近づきつつある。それを見て、俺は少しだけ身体をほぐす。


 すると――


「よお、学! 今日は負けないぜ」

「望むところさ。負けた方がジュース奢るってのはどう?」

「乗った!」


 学と盛り上がってるのは、隣のクラスの野球部のエース。去年の学年二位。そして、かなりのイケメンで、女子人気も高い。

 今も、彼のことを見ている女子がちらほらと。その一部が、こちらの方に寄ってきた。

 

 俺と剛は気まずさから、そばを離れた。お互いに、なんともいえない表情を浮かべながら、彼らの様子を横目に見ていた。楽しそうにおしゃべりをしている。学がその輪にいることが面白い。


「よしっ、後半組準備しろ!」


 その声で、ぞろぞろと次の男子組がスタートライン周辺へ。はぁ、ただひたすらにめんどくさい。


「頑張って~」

「負けんなよ~」


 黄色い声援や野太いヤジが飛ぶ。それを受けているのは、クラスの中心人物。先ほどのエースも、そうだし、他にも運動自慢の面々。

 あとは、イケてる男子に対してとか。柳井とか。まあ、彼らの場合は揶揄の方が大きいんだろうけど。


 パンっ!

「ユキトさん、頑張って~」

 スタートの合図と同時に、気合の入った声が耳に飛び込んできた。虚を突かれて、つい咳こんでしまう。俺はすっかり周りから遅れて、走り出すことになったとさ。


 あの野郎……覚えとけよ。まだ走り出して間もないのに、顔がどんどん熱くなっていくのが分かった。

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