第三十話 友達から始めよう
「ただいま」
それはルーチンワークだった。意味はないと知りながらも、家の中に向かって声を出しながら、玄関に入っていく。
そのまま階段を上がって自室に向かおうとしたのだが――
「ふっふっふ、帰ってきたか、我が従弟よ!」
リビングから占いモンスターが現れた。ばたばたばたと駆け足気味に奥の扉から飛び出してくる。そのまま玄関マットの手前辺りで仁王立ち。
化粧家のない顔、艶のない髪、だぼだぼのスウェット――朝予想した通り、彼女は一日引きこもり生活をエンジョイしたみたいだ。しかし、その姿は、明城を見た後だとなおさら……。
俺は驚いて動きを止めたものの、無視することに決めた。付き合っている暇はない。気を取り直して、階段へ……だが。
行く手を塞がれた。しかし回り込まれた、というやつである。……はあ。
「待て待て待て、今日のデートはどうだったんだい? 少年」
「やかましいテンションだな。鬱陶しいことこのうえない」
「いいのかな、そんな態度とっちゃって? おばさまに報告しちゃうぜ」
「その割には声がデカいんだけど?」
俺はリビングの方を見やりながら雑に応じる。
「二人なら買い物に出かけたよ~。だから、モーマンタイ」
「なぜに中国語?」
「
彼女の通っている大学では、一年生の時には英語ともう一つ別の外国語を習うカリキュラムになっているとか。それを第二外国語、とかいうらしいが。
「で、どうだったのさ」
「だからそもそもデートじゃないから」
「ネタは上がってるんですぜ?」
「まるで刑事みたいだな」
俺はそのしつこさに辟易して顔を歪める。首を振って、思わず壁の方に目を向けた。そこには、花束が描かれたタペストリーが飾られている。母さんのお気に入りらしい。
「大力剛と小峰学……この二人の名前に聞き覚えはないかい?」
「まだ続けるのか……まどろっこしいな、あいつらから、きいたとでも言うんだろ?」
「そうよ。ほれ――」
すると、奴はスマホン御画面を突きつけてきた。トーク画面が映し出されている。いくつかのメッセージと、見覚えのあるアイコン。
内容は要約すると、俺が今日転校してきたばかりの美女とでーとしてると、ということらしい。……あいつら、口が軽すぎるだろ。
スマホをしまうと、まり姉はニヤニヤした気持ち悪い顔をしながら、俺の顔を見つめてきた。何か言うまで、開放するつもりはないらしい。
「別に何もねーよ。普通に遊んで帰ってきただけだ」
「チューは? チュー」
「……人の恋愛事情に首を突っ込んでる暇が――」
「なんか言ったかな? 聞こえなかったよ」
顔の横を上段蹴りが霞めた。風を切る音が聞こえて、耳の辺りの髪が一瞬ぶわっと一立つ。正直、かなり血の気はひいていた。
しかし、空手家中津川麻理恵は涼しげな笑顔を浮かべて無防備に立っているだけ。それがより俺の恐怖心を煽る。
「とにかく話は終わりだ、以上!」
俺は彼女の方の辺りをぐいと押しのけて、二階へと上がっていく。
「うーん、やっぱり
後ろからそんな物騒な声が聞こえてきたが、もはや足を止めるつもりはなかった。
――バタン。ようやく部屋に辿り着いて、俺は一つ大きく長く息を吐いた。まさか家に帰ってからもなおつかれることがあるだなんて……。
そのまま少しおぼつかない足取りでベッドに近づき、身体を投げ出す。うつ伏せの姿勢のまま、ズボンのポケットからスマホを取り出した。そのまま首だけもたげる。
一言、二人に文句を言わないと気が済まない。そう思って、電源を付けたところ――
『今日は楽しかったです。ありがとうございました!』
明城からのメッセージ。来たのはほんのついさっき。家に着いたくらいだろうか。
律儀というかなんというか……。悪いと思ったのですぐに俺も返信する。
『俺の方こそ、ありがとな』
さて、そんなことより、今は剛と学。あいつら――
『またどこか連れて行ってくれますか?』
……まあ、来るとは思ってたよ。あいつのことだから。
『ああ、時間が合えばな』
再びメッセージを送ると同時に通知を切った。とりあえず、明城の相手は後回し。今度こそ、例のグループを開く。
『問.まり姉に告げ口した理由を十字以内で簡潔に述べよ』
すぐに既読マークはついた。それも二人ほぼ同時に。あいつら、暇なのか……。まあ、夕食時よりちょっと前だから、そういうこともあるだろう。
『答.こわかったから』
『答.おもしろそうだったから』
ちょっと時間差で返事が返ってくる。示し合わせたかのように、共に小学生感溢れている。学にいたっては変にひらがなにしたせいで字数オーバーしてるし。
『問.告白はしたのか?』
『してないし、俺から始めてなんだが普通に話してくれ』
『えーどうしてしないのさ!』
『タイミングというか、なんというか……』
『彼女のこと、嫌いになったのか?』
『いや、そういうわけじゃあないけど』
『ちゃんと何か言ったの?』
『何かってなんだよ』
『向こうはきっとあんたからの言葉、待ってたと思うよ~。
自分のこと、どう思ってるか不安になるものだよ』
……って、なんでまり姉がいるんだよ!? 違和感を覚えて確認したら、グループに異物が混入してるじゃねえか。
入室したのは、俺が二つ目のメッセージを送った辺りのこと。思いの外、会話の流れが速くて全く気が付かなかった。
しかし、そこは流石に女性。その言葉にはそれなりの説得力がある。
俺だって、ちゃんと伝えようと思ったんだが、できなかった。やっぱり、追いかけて、俺も同じバス停で降りればよかったか。でもなあ……。
別れた時の姿は、神秘的だった。俺なんかがとても触れちゃいけないと思うほどに。ただひたすらに、その優雅さに目を奪われていた。
悩むながらも、明城とのトークルームを確認する。やはり、間を入れずに返信は来ていた。
『はい、楽しみにしてます』
文末にはハートマークがついて。あいつの曇り一つない笑顔がありありと脳裏に浮かんでくる。
本当に健気というか、なんというか……。こんな平凡な男に よくもここまで好意を持てるものだと、感心する。その姿に、少しも迷うところはなさそう。
そんなあいつも、やはり心のどこかでは不安を抱えてるんだろうか。思い返してみれば、俺ははっきりと彼女の好意に対する返答をしていない。今日にいたっては、それをすっ飛ばして二人で出かけたりなんかして。
――耳に当てたスマホから無機質な通話音が聞こえてくる。ほとんど、反射的に俺は通話ボタンを押していた。
「ユキトさん? どうしました?」
いつもより、その声は高い感じがした。ちょっと固い……緊張しているんだろうか、明城も。
そんな彼女の言葉を聞いて、心拍数が一気に跳ね上がる。呼吸するのが少ししんどくなって、顔が徐々に熱を帯びていく。
「ああ、いや、その……今時間大丈夫か?」
「わたくしは二十四時間三百六十五日、大丈夫ですよ」
「おおげさだな……」
その言葉に俺は苦笑を漏らす。
向こうからも、微かに笑みをこぼす音が聞こえてきた。
「……友達から始めてもいいか?」
自然とそんな言葉が口をついた。息がつまりそうなほどに、心苦しい。
「はい?」
「いきなり、その、付き合うとかは――」
「いいですよ、もちろん」
その声はとても優しかった。
「今のわたくしたちには、あの頃に比べて、時間は無限にありますから。ゆっくりと、距離を縮めていきましょう」
「そうだな。ありがとう。それだけ伝えたかっただけだから、それじゃあな」
「友達らしく早速たくさんお喋りしても――」
俺は彼女の言葉を待たずに電話を切った。いつものろくでもない冗談めかした雰囲気が伝わってきたからだ。
何が友達から始める、だ。俺はどんだけヘタレだよ……自分で自分が情けなくなるものの、それでも白波幸人なりに頑張ったともいえる。
俺はそのまま顔を布団に押し付けた。胸の動悸は収まらないし、顔の赤みはまだ引けない。直前の会話を思い出すと、どんどん恥ずかしくなってくる。
月曜日、どんな顔をしてあいつにあえばいいのやら――明日が日曜日なことを、俺はかつてないほどに感謝していた。
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