第二十九話 初デート そのよん

「今日は本当に楽しかったです!」

 

 辺りにはもう夕闇が迫りつつあった。俺たちの暮らす地域は、他よりも日が暮れるのがちょっとだけ早い。

 俺たちは最寄りの地下鉄駅のバスターミナルの中にいた。並んだベンチの一角に並んで座って、帰りのバスを待っていた。

 その路線は休日でも便数は多い。なので、そんなに待つことはないだろう。


「俺の方こそ、長い時間付き合わせて悪かったな」

「いいえ、とんでもないです。むしろ、まだまだ一緒にいたいというか……」

 

 えへへ、と彼女は顔を赤らめてはにかんだ。それは夕日のせいではないだろう。構造上、ここまで西日は差し込まない。

 ……今日一日で、だいぶ精神的に参った気がする。この女、天然なのか、狙っているのか。ドキッとする仕草や言葉を、突拍子も無くぶっこんでくる。


「でも、こうして帰り一緒になるんでしたら、朝から一緒でもよかったのでは?」

「そこはその、雰囲気を楽しみたかったというか……」

「ユキトさん! そこまで考えていてくれたなんて――!」


 感激したように、胸の前で彼女は腕を組んだ。そして、うっとりした表情を浮かべる。

 ずいぶんとまあ芝居がかっているというか。演劇とかやれば、一番人気になれそう。その見た目も併せて。白雪姫とか似合いそう。髪も白に近い銀色だし。


 本当のところは、気まずいからなんだけど。実際問題、今日も度々会話には詰まってしまった。自分の会話スキルのなさが恨めしい。

 そんな時でも、こいつはニコニコと全く気にした素振りはなく。時にはフォローさえしてくれたり。それが余計に自分の情けなさを上昇させるのだが。


 思い返してみれば、空回りしてばっかだ。今日は。昼飯に入った店では、注文の時に変なこと聞いて赤っ恥をかくし。街を歩けば、無駄に彼女を歩かせるし。

 結局、行きついた先、全国でも著名な公園。この街のトップクラスの観光名所でもある。余談だが、譲位のがっかり観光スポットも近くにある、なんともちぐはぐな場所ではあるが。

 ……え? 用意してたプランはどうしたって? 場に流され続けて、無に帰してしまっただけである。


 考えていたら、恥ずかしくなってきた。ぞくぞくと腹の底から嫌な感じが湧いてくる。耐えきれなくなって、俺は前方に視線をやった

 彼女もまた話しかけてくることはない。俺たちの間に沈黙がやってくる。構内の賑わいが熱くなった血潮を冷ましてくれる……気がする。


「あっ! バス来たみたいですね。行きましょう!」


 俺たちはすくっと立ち上がると、乗り場へ出た。ラッキーなことに並んでいる人は少ない。これなら座れそうだ。

 ピッっと、入口でICカードをかざして、一人席のある前方の方へ――


「どこ行くんですか? こっち、こっち」


 腕をぐいと引っ張られた。後ろに来いという意味らしい。そっちは二人掛けの椅子しかないんだが……。

 乗車口からは人がどんどん乗ってくるわけで、ごねている暇はない。彼女に引かれるようにして、一番手前の席に。

「ユキトさん、奥どうぞ。わたくしの方が先に降りますから」

「ああ、そうだな。悪いな」

 ……と、困惑しながらも窓側へ。


 彼女はピタッと身体をくっつけるようにして座ってきた。確かに、座席はそんなに広くないけれど、これはわざとだ。こいつは細身の体型だし、見ると、やっぱり手すり側には少し隙間がある。


「あの、明城さん? 狭いんですけど……」

「ごめんなさい、」こっちも余裕がなくて」

「いや、あ――」

「余裕がなくて」

 ニコッと至近距離で微笑まれた。有無を言わさない迫力がある。

 俺は肩だけ竦めて前を向いた。隣から、明城の存在感がものすごくよく伝わってくる。身じろぎをしても、全く消えることはない。


 やがてバスが動き出した。ごとごとと揺れる車内。特に何か話すわけでもなく、ただ俺はぼんやりと窓の外の風景に目をやっていた。左から右に絶え間なく、街の景色が流れていく。

 

 それなりに進んだところで、肩のところに重さを感じた。耳元で、穏やかな息遣いがする。

 ふと視線を向けると、そこに明城の顔があった。その目はそっと閉じられている。とても安らかで奇麗な寝顔だ……黙っていれば、文句のつけようのないくらいに美人。俺には決して手が届かない程に。


 よくもまあ、こんな無防備を曝け出せるな、と思う。こいつは本当に俺が前世の恋人の生まれ変わりだと信じて止まないんだ。そんなにも――思い浮かべた言葉を直ぐに引っ込める。いくらなんでも自分に酔い過ぎだ。

 俺はまた顔を元に戻す。すっかりと黄昏に染まる街並み。どこかもの悲しくもある。一日が終わってしまう。この時間帯が、俺は一番嫌いだ。今日は特に――


 そして、バスは彼女の最寄りのバス停へと迫る。アナウンスがその名前を中ほどつげたところで、ボタンを押した。運転手がそれに答える声が、虚しく車内に響く。


「起きろ、明城。もう着くぞ」

 俺は肩口の辺りを優しく掴んで、その身体を揺すってやった。

 すると、ゆっくりとその目が開く。寝起き特有のちょっとボーっとした表情を彼女は浮かべる、

「ん、ユキトさん……? あ、あれ……やだっ、わたくし寝ちゃっていましたか?」

「ああそりゃぐっすりと」

「うぅ、寝顔を見られちゃった……涎とか垂れてませんでしたか? あるいはイビキとか」

「どっちも凄かったぞ。もう大迷惑さ」

 俺は不愉快そうに眉を顰めて、むすっといた表情で腕組みしてみせた。


「えっ!?」

 明城は完全にフリーズ状態。ぽかんと口を開けたまま。そして、見る見るうちに血の気がいていく。

「冗談だよ、冗談」

「もうっ! ユキトさんのイジワルっ!」

 一瞬ふくれっ面をしたが、すぐに彼女は、うふふと可愛らしい笑みを漏らした。


「あーあ、もったいないことをしました。せっかく、こんな間近に貴方様がいたのに」

「俺としては、隣が大人しくいおかげで、とても平和だったけどな」

「むっ、わたくし、いつもそんなに鬱陶しいです?」

「さあ、どうだろうな」

 俺は曖昧に笑った。そしてそっぽを向く。


「でもほんとに名残惜しいです。もっと一緒にいたかったなぁ、なんて」

「別に学校でまたいくらでも顔を合わせるだろ」

 俺は彼女の方を見ずに答えた。だから、どんな顔をしているかは全くわからない。それでも、くすりと小さく笑う声が聞こえてくる。

「そうですね。永遠の別れじゃないですものね」

「永遠ってな……大げさだぞ?」

 そして静寂が訪れた。

 バスの走行音だけが、小気味よく車内に響いて、疲れた身体に良く染みる。明城が身体をゆだねてくることはもうなかった。


 ほどなくして、停留所についた。運転手の無機質な声がその名を告げて、前方の扉だけがゆっくりと開く。

 それと前後するように、彼女は素早く腰を上げた。淡い光の中に輝くその長い髪が、俺の頬をごく僅かに掠める。


「それじゃ、ユキトさん。また学校で」

「ああ。また学校で」

 彼女の方に少しだけ顔を向ける。目が合うと、彼女はにっこりとほほ笑んだ。


 髪を揺らしながら、彼女は姿勢よく歩いていく。淡い夕日の光の中で、その姿はよく映えている。その背中は遠ざかっていき、やがて車内から完全に消えた。

 俺はそれを自然と目で追っていた。流れで反対側の窓の方を見る。そして、同時に扉は閉じてバスは動き出す。

 明城は俺に向かって手を振っていた。俺はそれにちょっとだけ口角を緩めて応じる。あいつの方から見えたかはわからない。


 本当は、言いたいことがあった。言わなければならないことがあった。ただ、俺には勇気がなかった。彼女に応える覚悟がなかった。

 ユキト様――お前は本当に俺の前世なのか? 窓の方に頭を持たれながら、俺は心の中で静かに、誰かに問いかけた――

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