第二十二話 積極的な彼女

 住宅街のはずれにある大きなマンションに、明城は住んでいるようだった。三年くらい前にできた比較的新しい十一階建て。徒歩圏内に電車の駅があるから利便性はいいだろう。


 自転車を入口の前、邪魔にならなそうなところにおいて、俺はエントランスの中へ。そこには部屋番号を入力する機械があった。オートロック完備らしい。


 俺はさっと周囲に目をやった。奥の方に集合ポストを見つけた。彼女の部屋番号を探す。しかし入口は塞いであった……えぇ、あれかな。悪質なチラシとか断るためか? 嫌それにしても不便だろうよ。


 これじゃあどうしようもない。やはり直接渡すしかないか。諦めて、呼び出し器に目的の部屋番号を打ち込んだ。……剛なら、この機会の名前を知っているんだろうか。


 無機質な呼び出し音が鳴る。すぐに誰かが出た。


「あの、俺、あきし――アリスさんのクラスメイトなんですけど。プリントを届けに来ました」

「ええと、ごめんなさい。もう一度言ってくれますか?」


 女の人が出た。母親だろうか。それにしては声が若いような。もしかすると、姉妹かもしれない。とにかく、あいつのものでは無さそうだ。

 しかし、向こうの声はばっちり聞こえるというのに……。まあ仕方ないか、間髪入れずに俺は同じ言葉を繰り返す。さっきよりも少し大きめな声で。


「アリスさんのクラスメイトで、プリントを届けに来ました」

「ごめんなさい、ちょっと機械の調子が悪いみたいで。もう一度いいですか?」

「は、はあ――」


 困惑しながらも、俺は三度同じことを言った。このご時世、そう簡単に開けるわけにもいかないのだろうけど。でも、ちょっとだけうんざりする。

 というか、あいつが話を通しておいてくれよ。最初から彼女が出ていれば話は解決したのに。


 そもそも、そっちからこっちの様子は見えないものかねぇ。俺は高校の制服を着ているし、なんとなく察しがつきそうなものだが。まさかカメラまで故障していることはあるまい。


 そして、一つ思った。一番いい身分を明かす方法があるじゃないか。ちょっと恥ずかしいけれど。模試ダメだったらそうしよう。そして――


「うーん、なんなのかしら、このインターホン! ごめんなさいね、やっぱりダメみたい」

「自分はこういうものです!」


 カメラと思わしき場所に、俺はやや怒りながら生徒手帳を突き出した。ちゃんと身分がわかるページを開きながら。刑事ドラマの主人公か、俺は。


「ああ。あの子のクラスメイトさんですか。今開けますね~」


 ようやくオートロックが開いた。全くこんなことで時間を食うなんて……。辟易しながら、自動ドアをくぐる。

 

 彼女の家は七階。エレベータはぐんぐんと上昇していく。それに比例するように、段々と気分が重たくなっていく。

 あいつは昨日のことを気にしてないのだろうか。メッセージの返信も早かったし、どれも特に不機嫌そうなところは見当たらなかった。

 まあ、親に渡してすぐにお暇すればいいか。なるべく気楽に考えて、エレベータが止まるのをじっと待つ。


 ベルの音が一つして、ようやく目的の甲斐についた。左右に一つずつ部屋がある。俺は右の方の扉に立った。

 ……インターホンを押すっていうのは何かドキドキするよな。それはさっき一回でも思ったけれど。短く息を吐いて、思い切ってそのボタンを押した。


 すると、間髪入れずに――


「ユキトさん!」


 ガチャリと大きく扉が開いた。出てきたのは明城。いつか街で見た時同じ白いワンピース姿だった。その顔色はいいように見える。


「こんにちは。わざわざありがとうございます」 

「ああ、こんにちは。ほらこれ――」


 俺は鞄の中を探って、封筒を取り出そうとした。しかし、右腕を彼女に強く捕まれる。


「せっかくですからあがってください。お茶淹れますから」

「いや、いいよ、俺は」


 こいつ、やっぱり昨日のことはまったく気にしていないらしい。その姿は全く変わりがない。

 それでも俺としては想うところはあって、すぐにはその誘いに頷くことはできなかった。


「……わたくしと二人きりはやっぱり嫌ですか?」

 彼女は少しだけ肩を落とした。寂しそうな顔をする。

「そういうことじゃなくてさ……二人きりって、家の人いないのか?」

 だとしたら、さっきのエントランスでの謎の問答は……。

「一人暮らしですから」

 えへん、と彼女は胸を張った。その顔はとても誇らしげである。


 一人暮らしって……まあ家庭の事情は人それぞれか。うちだって、従姉のまり姉が居候してるわけだし。それよりも――


「おい、ということはさっきのは」

「ごめんなさい。ユキトさんが名前を呼んでくれたことが嬉しくって、つい……」

 ちろっと舌を出して、可愛らしくばつの悪そうな顔をする明城。そしてちょっと目を伏せる。

「つい、じゃねえよ! 全くくだらないことしやがって」

「本当は呼び捨てだったら、なおよかったんですけどね」

「言ってろ、勝手に。とにかく、手を離せ」

「……どうしてもですか?」

 彼女は上目遣いに俺のことを見てくる。


 そのまま、見つめ合う時間がしばらく続く。まるで時間が止まったかのような錯覚さえ胸に抱く。


 ……ここはマンションの廊下。このままあまり騒ぎすぎるわけにもいかない。

 それは言い訳だ。明城の家に上がり込むのに、もっともらしい理由を探しているだけ。俺にだって、話したい事がないわけじゃなかった。


「わかったよ。ちょっとだけな」

「はい! でも、ささ中へ――」


 パーッと明るくなる明城の表情。そのまま彼女は俺の身体を引き寄せた。そして、ぱっと手を離すとに散歩後ろに下がる。

 俺が玄関に入ったところで、ゆっくりと扉が閉まった。電灯がついているので暗くはならない。

 靴を脱いで、一歩家の中に足を踏み入れてみる。すると、芳香剤のようないい匂いが俺の鼻腔をくすぐるのだった。

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