第二十三話 密室、ふたりきり
俺は、玄関を入ってすぐのリビングに案内された。縦に長い洋間だ。キッチンが手前にあって、奥に向かって部屋が広がっている。突き当りには大きな窓が付いていて、レースのカーテンが外からの日差しを防いでいる。
明城に続いて進んでいくと、キッチンとの境目のところの左手の壁に扉があった。そして奥の方にも,
もう一つノブが見える。
そして、中央よりもちょっとキッチン側にソファとテーブル、壁にはテレビとそのラックが設置してある。他に余計なものはなくて、とてもよく片付けられていた。
「座って待っててください」
彼女はそういうとキッチンへと入っていった。
俺はその言葉に従って、遠慮しがちに奥へと進んだ。居心地の悪さを感じながらも、適当なところに腰を下ろす。白い革のソファは二三人は座れそう。とにかくとても座り心地がよかった。身体が自重で沈み込む。
カチャカチャと彼女の方から音が聞こえてきた。ちらりとその姿を窺う。艶やかな銀髪が軽やかに踊っていた。
「コーヒー、紅茶、緑茶、ええとあとは――」
「それじゃコーヒーで」
他にどんな選択肢があったんだろうか。少し気になったものの、遮った。
「はい、わかりました。お砂糖とミルクはどうします?」
「……それは知らないんだな」
俺は顔をテレビの方に戻してぽつりと言った。
「わたしたちの生きていた時代に、コーヒーなんていうものありませんでしたから」
それはとても寂しそうな言い方だった。
「ごめんなさい、こんな話してもしょうがないですよね」
「……いや、今のは俺が悪かったよ」
それは些細な呟きのつもりだったが、聞こえるとは思わなかった。心の中で留めておけばよかったと、即座に後悔する。
そのまま気まずい沈黙がリビングがやってきた。彼女がコーヒーを準備する音だけが、虚しく室内には響いている。
「テレビ、つけてもいいか?」
「はい、もちろん構いませんよ」
俺はその無言に耐えかねて、つい救いを求めてしまった。許可を得ることができたので、リモコンで電源を付ける。ちょうど、夕方の地域のワイドショーがやっている時間だった。
これが普段家にいる時ならば、部屋にテレビがないこともあって、あんまり観たりしない。だから、少し新鮮でもあった。
テレビの音声に混じって、コポコポとお湯をカップに注ぐ音が聞こえてくる。それで、穏やかで間延びした時間だと、なんとなく思った。まるで、長期休みに田舎の祖父母の家を訪れた時のような感覚。
それは決して嫌ではなく、むしろ心が落ち着くというか。いきなり失態をやらかした俺としては、このゆったりとした感じが胸によく染み入る。
「はい、お待たせしました」
明城が銀のトレイを持って現れる。その上には二つのおしゃれなコーヒーカップとソーサー。洗練されたデザインは、彼女の気品さとよくマッチしていた。そして中央には小皿があって、クッキーが何枚か盛り付けてある。
彼女はそれらを淡々とした様子でテーブルの並べた。それを見ながら、俺はちょっと奥へと移動する。
「ありがとう」
「いいえ。それはわたくしのセリフでございます」
たおやかに言うと、彼女は俺の隣に腰を下ろした。ふわっと、甘いにおいが辺りに広がった。
……近すぎないか? 俺とやつの方はしっかりとぶつかっている。そして、あの素敵な銀髪は少しこちら側に侵入しているし。
まだ左にスペースがあるので、俺はそっと腰をずらした。だが――
ずずずと、彼女もまた近づいてくる。……確信犯だな、こいつ。諦めて、彼女の存在をすぐそばに感じながら、コーヒーを啜った。
すっきりとした苦みと渋みが口いっぱいに広がる。あまり、コーヒーに明るくない俺でも、それが中々いいものだとわかった。まず香りが違う。
ふんふんふん、彼女は鼻歌を歌いながら、隣でカップの中に白い粉末と液体を投入している。ブラックはあまり趣味ではないのかもしれない。どこか子どもっぽい所があるこいつらしいと言える。
「そうだ、忘れないうちに渡しておくぞ」
俺は一息つくと鞄から取り出した封筒を彼女に渡した。
「わざわざすみません――ちょっと失礼しますね」
そう言うと、彼女は席を立った。その動きをぼんやりと目で追う。ソファの後ろの部屋に入っていった。中が暗くて、その様子はよく見えなかった。
ばたんと扉が閉じて、その姿が完全に消える。
途端、なぜか一人きりの時間が訪れた。ここはクラスメイトの家。それも、転校してきたばかりで、学年一奇麗と言ってもいい女の子。なんなんだ、このシチュエーションは……。
困惑しながら、コーヒーを啜る。ついでにクッキーも齧ってみた。丸くて明るい黄色をしている。バタークッキーだろうか、触感は滑らか、口触りは滑らかでほのかな甘みが口に広がっていく。美味しい。
これまた、たまに食べるようなものとは違うように感じた。マイスターサトウのクッキー、あれはあれでサクサクとして美味しい。
すぐに、明城は戻ってきて、またしても身体をくっつける様にして俺の隣に座ってきた。その様子はとても幸せそうである、
「そこは勉強部屋か何かか?」
「はい、寝室も兼ねてますけど」
「一人暮らして、こんなに広いと持て余しそうだな……」
俺はぐるりと見渡して、キッチン側の扉を見た。あの部屋は何だろう。
「高校から近いところを探したらここくらいしかなくて……」
どうして一人暮らしを……などとはとても訊けなかった。それはプライベートにずかずかと足を踏み入れる行為。俺とこいつはそこまでの中じゃないし、俺はそこまで好奇心の手先でもなかった。
仕切り直すようにして、再びコーヒーカップを持ち上げた。少しぬるくなった漆黒の液体が喉をゆっくり落ちていく、
「こうしてユキトさんとお茶ができて、わたくしは本当に幸せです」
「へいへい、そーかい。そりゃよかったね」
俺はさっきから落ち着かなくって仕方ないがな。早いとこ飲み干して帰ろう。
「あら、クッキーが減ってる……美味しかったですか?」
「とても美味でございました」
俺が恭しく頭を下げると、彼女はくすりと笑った。
「よかった~、作った甲斐があります!」
「手作りだったのか……お前、菓子も作れるのな」
「まあ、あの乙女のたしなみですよ。ユキトさんが来てくれるっていうんで、張り切っちゃいました」
えへへ、とはにかんだ笑顔を彼女は浮かべた。
こいつ、本当にめげないな。あんなこと言われた後だってのに。思い出す、あの言葉を――ずっと、ずっと彼女は自分の恋人の生まれ変わりを探していたのだ。
そんなに
「…………悪かったな」
「え? 何のことです?」
「昨日のことだよ。さすがにあれは言いすぎた。みんなの前で、言うべきとことじゃなかった」
俺はしっかりと彼女の方に身体を向けて、座ったままだが深く頭を下げた。仕方がなかったとはいえ、彼女の大切な想いを踏み躙ったのは事実だ。それに今ようやく気が付いた。
「そんな――わたくしの方こそ、自分のことばっかりで貴方のこと、考えてませんでした」
おずおずと視線を上げると、気の毒そうな彼女の顔がそこにはあった。
「舞い上がってたんです、ようやく
今度は、明城の番だった。彼女もまたこちらに身体を向ける。膝を揃えるのが視界の端に見えた。そして、ばっと銀色の糸がたくさん上から降ってくる。
「いや、いいんだ。全部が全部嫌だったわけじゃないしな。だから、頭を上げてくれ」
「そんなこと言っていただけて、嬉しいです。でも、ユキトさんの方こそ頭を上げてください」
埒が明かない。もどかしく思って――
「じゃあ一緒に上げるか」
「はい、わかりました」
それで二人同時に顔を上げた。たちまちに視線がぶつかり合う。そして、どちらともなく微笑みあった。彼女の目の端に透明な液体が浮かぶ。
「な、なにも泣くことないだろ」
「すみません、嬉しくってつい……。もう二度とユキトさんは相手してくれないんじゃないかって、思って。それで、学校も休んじゃって……。でも、こうしてプリントを届けに来てくれて、普通に接してくれて。それが、本当に嬉しかったんです」
感極まる彼女の姿を見てくると、恥ずかしくなってきた。同時に、そんなに思い詰めさせたことを申し訳なく思う。
気まずくて、俺はついテレビに目を向けた。アナウンサーらしき女性が新しくできたというカフェを紹介している。
「あっ、そこ、一度行ってみたかったお店だ……」
いつの間にか彼女もテレビを見ていて、ぽつりとそんな呟きを漏らすのだった―
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