第二十一話 きっかけ
いつも通り、帰りのホームルームはチャイムが鳴る前に終わった。号令に合わせて、ぞろぞろとみんなが席に座ろうとする。
俺ものろのろと腰を下ろそうとしたのだが――
「白波、ちょっといいか?」
担任である溝口先生に呼び止められた。相変わらず、気怠さが全身から漂っている。
一体なんだろう、そう思いながら彼のもとへと急ぐ。どうせろくでもない用件なんだろうが。教員から呼び出されるというシチュエーションに、吉報は少ない。
「これを明城の家に届けて欲しいんだ」
「なんですか、これ?」
差し出されたのは茶封筒だった。底のところに、うちの高校名が書いてある。
受け取ろうとして反射的に伸びた腕を、慌てて引っ込めた。そして、疑惑の眼差しを先生に送る。
「今日中に彼女に渡しておきたいプリントなんだ」
「どうして俺に?」
「ほら、席は隣同士だし、家も近いみたいだから、ちょうどいいと思ってな」
もっともらしいことをのたまって、彼は胡散臭い笑みを浮かべる。
いったいなにが
おいそれと、承諾するつもりはなかった。ましてや、相手が相手だけに。言葉には出さず、表情で拒絶の意思を伝える。
「頼むよ~、お前しかいないんだって」
とても教師とは思えない態度で、彼は追撃を仕掛けてきた。
「先生が自分で行けばいいじゃないですか」
「それができたら、頼まないさ。今日はちょっと仕事が多い」
ばつが悪そうに、彼はご自慢のモジャモジャ頭を掻く。
「それに生徒同士のがいいだろ、こういうのは」
「どうですかね?」
やはり気は進まない。面倒くさいと思うと同時に、やはり顔を会わせたくない。昼休みに剛が言っていたことを思い出すと、気まずさが倍増して押し寄せてきた。
「適任は他にもいると思いますよ」
「あいつと仲いいやつ知ってるのか?」
「それは……」
答えに窮した。あいつが俺以外のやつと仲良くしている絵が浮かばなかった。
「転校したてだからな。その割には、お前は仲いいって聞いてるから安心だ」
「どこ情報です、それ?」
「匿名だ」
いっぱしのジャーナリスト気取りだな、まるで。ったく、どこのどいつがそんなガセ情報を……と思ったけど、クラス全員に俺と明城の特別な関係を知られているんだったな。
匿名と言えば、結局あの写真の流出元は不明のままだった。一番初めに、クラスに回した奴も人から貰ったと言っていたっけ。そいつは判明せず。
しばらくお互いに閉口する時間続いた。仕事を押し付けたい担任と、断りたい俺。思惑が一致することはない。事態は平行線をたどる一方。
そして、百年の時が流れ――
「おっと、先生そろそろ職員室に戻らなくちゃ」
露骨に時計を確認すると、グイっと彼は封筒を押し付けてきた。
「わざとらしいな~……」
冷ややかな目で対応した。手は後ろでしっかり組んで。気分は、攻め込まれてるときのゴールポスト前のディフェンダー。サッカーは代表の試合を見る程度のニワカだけど、
決して手を出すもんか。イエロー、いやレッドか? とにかくカードじゃなくって、そんな封筒受け取るわけにはいかない、
「ヤバい、ほんとにまずい! とにかくここ置いとくから。頼んだぞ~」
溝口はあろうことか、その大事な封筒を教卓の上に置いた。
そのまま慌てた感じに、大股でドアの方へ。
「届けたらちゃんと電話寄越すようにな」
最後顔だけドアのところに残して言い放つと、そのままその姿が廊下に消える。
ぽつりと残された俺と封筒。周囲では、慌ただしくクラスメイトたちが動いている。こっちのことなど、意に介さずに。
やりやがったな、あの野郎! 俺が応じた時点で、敗北は決まっていたんだ。やられた……はあ。封筒を見ながら、忌々しくため息をつく。
これが既成事実というものか。こうなってしまえば、俺に拒否権なんかあるはずない。代役を思いつかなかった時点で、俺の負けだ。
事ここに至っても、まだ他のやつに頼むというはあるだろう。しかし、宛もなければ、話しかける勇気もない。柳井辺りは喜んで引き受けてくれそうな気がするが、リア充集団はさっさと教室を出て行った。。
とりあえず、それを持って席に戻ることに。早く帰り支度をしなければ。また掃除係にどやされでもしたら、俺のメンタルは瓦解しかねない。
「なんだった?」
剛はまだそこにいた。俺を待っていたのか。あるいは好奇心からか。その両方というのが、妥当なところだろうな。
すでにもう一人の友人の姿はない。放課後になると、あいつはなんだかメタル並みの素早さを見せるからな。あの部活――いや、水泳バカめ。
「まだいたの、お前」
「おうおう、友人に対してそんな口を利くとは。いい根性してるじゃあないか?」
剛は冗談めかした感じで、怒ったような表情をした。腕組みまでして――ガタイのいいこいつがすると、本気じゃないとわかっていても迫力がある。
「プリント届けてくれって」
「へえ~。そういうの、今時あるんだな~」
てきぱきと荷物を纏めていく。……封筒については、未だどう扱おうか悩んでいた。とりあえず、鞄のチャックは開けたままにして、机の上にそれを置く。
「そうだ、剛。お前行って――」
「やだね」
すげなく断られた。取り付く島もない。
「頼む!」
「幸人君、君が頼まれたことなんだ。自分でしっかりやらないと駄目だろう?」
懇々と諭してくる剛。ううむ、しかし……。
「頼まれた、じゃなくて押し付けられた、だ。そんなこと言ったら、担任としての責務を放棄したあのおっさんはどうなる?」
「溝口さんだから、いいんだよ。見るからに、テキトーな感じするからな、あの人」
まあそれには同意するが。……彼が担任であることを、初めて恨んだかもしれない。
「でもほら、ちょうどいいじゃん。家に押し掛けたついでに、デート誘っちゃえよ」
剛はニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべている。俺を揶揄ってるのが透けて見えた。下世話な奴だな……。
「第一、誰がデートするって言った?」
「男と女がわかりあうにはそれしかない。昔からそう決まってるんだ」
「……付き合ったことないくせに」
「おう、それはお前も一緒だろうが!」
そのままじりじりと睨みあうこと数秒。教室の掃除が始まりつつあるのが視界に入って、俺は顔を逸らした。そのまま机を下げる。
鞄の中に封筒を入れて。ここまで来たらもうやるしかない。最悪、ポストに入れればいいさ。
「おっ、納得したみたいだな」
「封筒を届けることはな。ついてきて――」
「やらん。途中までは一緒に帰ってやるが」
「へいへい、ありがとうございます。そんな友人がいて、俺は幸せだよ」
途中まで、と言われて思った。俺は明城の家を知らない。ハンバーガー屋の帰りも途中で別れたんだった。……あれ、どうしてあいつは俺の家がわかったんだろうか?
昨日の朝は、いきなりの事態でそこまで頭が回っていなかった。まあ、考えたところで答えが出るはずないことなわけで。
『今から家に行っていい?』
教室を出て廊下を歩きながら、あの女にメッセージを送ることに。すると――
『!?』
『ええと、ちゃんと心の準備しておきますね!』
返事の速さもそうだが、何か盛大に勘違いされている気がする。
『……プリント届けに行くだけだぞ』
既読は……つかなかった。その事実は俺の背筋を凍らせるには余りあった。
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