第七話 休み時間と言う地獄
荷物を抱えて、英語の先生は教室を出て行った。ようやく一時間目が終わったわけである。
「おい、幸人! お前さ~」
いきなり目の前の男が振り向いてきた。その顔は、目を細めてちょっと怒っているようである。
「悪かったとは思っている。しかし、元はと言えば、学が自分で予習しなかったのが悪いわけだ。とにかく、俺は謝らないぞ、絶対に!」
「ぐぬぬ、正論だ。でも、ぐう!」
「……なにその、ぐうって? 新しいキャラ付けか?」
俺は困惑しながら、友人の顔をまじまじと見つめた。しかし奴は勝ち誇った表情で胸を張っている。
勉強はあまりできないが、そこまでアホでもないと思ってたのだが。とうとう、彼の中の何かが壊れてしまったのだろうか。
「こういうの、ぐうの音も出ないって言うんだろ? この間、剛に教えてもらってさ。でも悔しいから、ぐうって言ってみた。そう言えば、何とかなるかなって」
キラキラと輝いた顔で答えが返ってくる。
「そういうことじゃないと思うぞ、それ……」
俺は呆れて一つため息をついた。しかし、その自由な発想はある意味では称賛するべきかもしれない。頭痛がしながらも、なんとか友のいいとこを見つけ出そうとする。……やっぱり無理だ。
その時、隣からうふふと可愛らしい笑い声が聞こえてきた。
「ユキト様のご友人、面白いですね」
「いや、ただのバカだ」
「おいおい、幸人~、そりゃないよ」
困り顔をして、奴は俺の腕にしがみついてきた。反射的にすぐに振り払う。
「やめろ、触ってくるな。バカが移る」
「ほう、バカっていうのは、移るものだったのか! 興味深いな」
薄く笑いながら、彼は学を観察していた。中学から同じなんだから、その生態はわかっているだろうに。
「……あの、いい加減、泣くよ?」
「悪かったって。――ところで、明城さん。あの呼び方なんだけど――」
「はっ! 申し訳ありません、わたくしったらつい……」
彼女は、一瞬びくっとすると、すぐにしゅんとしてしまった。目を伏せて少し下唇を噛んでいる。絹のようなあの奇麗な髪の毛が少机にかかっている。
いや、そこまでされると、逆にこちらが申し訳なくなるのだが……。しかし、優しさを見せてはいけない。俺の平穏無事なスクールライフが懸かっている。
「おいおい、デコボコトリオ。なに、アリスちゃんに絡んでんだよ!」
いきなり、前方からぞろぞろと取り巻きを引き連れてやってきたのは、クラス一のイケメン柳井悠斗君! ニヤニヤした表情で、まだ繋がっている俺と明城の机の前に立ち塞がった。
他のメンツは、我がクラス最大の陽キャグループの面々。そこにはもちろん雪江の姿もあった。こうして、真正面から彼女の姿を捉えるのは本当に久しぶりだと思う。すぐに、視線を外したけれど。
デコボコトリオとは、もちろん他の誰でもない、俺と学と剛のこと……らしい。別に自称したことは一度もないからな。大方、同じ中学だった誰かが呼び始めたんだろうけど。
勉強の剛、スポーツの学、そして無個性の
実際のところは、中学の時からつるんでいるだけであって。俺と学は惰性で高校を選び(その割にはあいつ、よく受かったと思う)、その頃から頭がよかったくせに、剛は謎の理由で同じ選択をした。
それで今日まで、それが続いているだけというのが真相だ。
元々仲良くなったきっかけも、すごく単純な話でしかなく。同じ部活の俺と学、同じ小学校の俺と剛、つまり俺を楔にして、対極の位置にある二人が知り合ったというわけである。
おかげで、俺たちはもしかするとそっち系じゃないのか、というあらぬ疑いまでかけられそうになったが……無論、ただのいじりなのはわかってる。
「へいへい、それはすみませんでした」
言いながら、俺は机を離そうとした。しかし――
「いや、丁度いいや。聞きたいことがある。お前、いったいアリスちゃんとどういう関係だ?」
柳井ががっしりと俺の机を握りながら、顔を近づけてきた。強面風イケメンの彼にそうして凄まれると、流石にちょっとだけ恐怖を感じた。
関係ったって、ただ向こうが一方的につっかかってくるだけで。その理由もいまいちはっきりしないし。
俺としては、迷惑というか不穏なものを感じるというか……ただ、そんなことを言ったところでこの男が納得してくれる気がしない。
返答に窮して、俺はどぎまぎしながらゆっくりと明城の方を見た。彼女はしれっとしていたが、すぐに俺の方を向くとにこやかに一つ頷いた。
……嫌な予感がする。
「ユキト様とわたくしは、ずっとずっと前からあい――」
「き、昨日、街の中で困っているところを助けてあげたのさ!」
俺は彼女の言葉をかき消すべく、一際大きな声を出した。
何事かと、遠くの方で無難に過ごしているクラスメイト達すら、こちらの方を見てくる。……困難ばっかだな、おい。未だかつて、こんなに注目を集めたことはないぞ。
それにしても、この女、やりやがったな! ちょっとは空気を読むとか、俺の立場を考えるとかしてくれないものか。俺の方は全く身に覚えがないって、昨日も言ったのに。
しかし、柳井も含めて、眼前の連中はいまいち納得いってないようだった。訝しがるように、こちらの方を睨んでくる。
「剛、そうだったよな?」
「――ああ。商店街の方の本屋を出た直ぐ後に、彼女に会ってな。道に迷っているようだから、幸人が教えてやったんだ」
「それでなんか一方的に慕ってくれてるみたいでさ」
言い終えて、改めて柳井の顔を見る。まだ疑っている様だが、少しは納得している様だった。畳みかけるなら、ここだろう。
「ただの知り合いだから、そんな変な関係じゃないよ。大体、俺なんかとこんな美人な娘が釣り合うわけないだろ?」
「そっか、そうだよな! 悪いな、白波。変に勘ぐっちまって」
ようやく彼の顔が俺の近くから離れた。……はあ、一時はどうなることかと思った。
そのまま軽やかな笑いがリア充軍団の中でこだまする。俺もまた空笑いをした。
だが、一人だけ不満そうなやつがいた。そいつは、見た目にそぐわないどこか子供っぽい感じのふくれっ面を浮かべている、
「違いま――」
「明城さん、ちょっといいかな? さっきの英文の話なんだけど」
俺は彼女お肩をポンポンと叩いた。
俺は慌てながら机の上のノートとシャーペンをひったくる。それを机の下、周りから見えないところにまで持っていった。そして、余白にさらさらと文字を書き込む。
『頼む、話を合わせてくれ』
そして、彼女の人を惑わすような奇麗な黒目をしっかりと見つめた。……本当に美しい瞳だと思う。やはり黙っていれば、みんなが騒ぎ立てるのにふさわしい美少女だと思う。
彼女は、こくりと頷いてくれた。その顔がちょっと赤らんでいる様に見えたのは、気のせいだろう。そう思い込むことにした。
とにかく、それでようやく俺は事なきを得た。その後、試合終了のゴングよろしく、チャイムの機械音が鳴るまで、キラキラした一団と明城は他愛のない会話をしていた。
直ぐ近くの俺など意に介さず。まあ、こっちもこっちで、友人との会話に勤しんでいたわけだけれど。
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