第四話 忙しない朝
「あはは、そりゃまじで大爆笑だね!」
話を聞き終えると、学はとても大きな笑い声をあげた。それで、教室内の視線が少しこちらを向く。
朝のホームルームが始まる十分ほど前。今日は遅刻せずに済んだ。いつも通りの時間に学校について、こうして友人たちと談笑しているわけである。
この時間にもなれば、かなりの生徒が登校してきていた。あともう少しすれば、遅刻間際の最終ラッシュが始まるだろう。……昨日は、俺もそのグループだったわけで。
とにかく、教室は朝の喧騒に包まれているわけである。それに与しないものは、机に突っ伏したり、課題に追われたりと様々だった。
ったく、どいつもこいつも笑いやがって。例のホラー女について話したら、まり姉のやつまで笑ってた。
『でもさぁ、もったいないことしたよね。だって、あんたのこと好きだなんて言ってくれる女(ひと)、この先、現れないかもよ。だから、占いは当たってたのよ、結局』
とは、占い大好き空手家ガールの弁。
全く酷い物言いだ。あんな、猟奇的な運命の出会いなんて、あってたまるか。
「笑い事じゃねえよ、全く」
未だ笑いの収まらない友人を俺は一睨みする。
「ずっと昔から恋人同士、だぞ? 今時殺し文句にもならないさ」
「でもすっごい美人だったんだよね? いいなぁ~、ヤンデレって言うのさ、そういうの」
「メンヘラの間違いだ、メンヘラストーカー!」
「いいや、絶対にヤンデレだね。愛が重いっていうのも、アリだね」
学は平然と自分の性癖を語っている。もっともらしい表情で何度も頷いていた。
そういうところが、スポーツができるわりに、モテない理由なんだが。そのあほらしい――はっきりと言えば変態チックな言動は男子には人気だが。
「でもさ、もしかしたら本当にそうかもしれないぞ?」
「いきなりなんだよ、剛。今まで黙ってたかと思えば」
「ほら、やっぱり剛君もヤンデレ好きなのさ。今度そういうゲーム貸したげよっか?」
「いや、そっちじゃなくてな。――あ、今やってる奴終わったら、頼むわ」
「ゲームは借りるのか……そして、あんまり変なのやらせるなよ、学」
スポーツが得意な学だが、それ以外も趣味があった。それがゲームというか、専ら
「ほら、よくいるじゃん。前世の記憶が~みたいなこと言う人」
「よくはいないと思うし、そんなのインチキだろ?」
「つまらない生き方してるね~、幸人君は……」
剛は鼻を一つ鳴らした。そして、なぜかメガネの方も俺のことを憐れんだ感じに見てくる。
「世界には七十億近くの人が暮らしてる。そんな不思議な事あってもいいじゃないか」
「お前がそんな迷信じみた考え方を持ってるなんて、ちょっと意外だな。勉強できる奴はみんな、科学で証明できないことはあり得ないー、みたいに言うと思ってた」
「凄い偏見だな、君……」
またしても、二人に対して軽蔑された気がする。
剛はまだしも、さっきから学のやつ……本当にお調子者だな。
「とにかくさ、その女性は幸人君の恋人ってことだろう? あーあ、一目見てみたかったなぁ」
「だから、恋人違う!」
ばしんと大きく机を叩いて、俺は立ち上がった。
そのせいで、今度は俺にいくつか視線が集まる羽目に。途端恥ずかしくなって、俺はすぐさま座り直した。
「でも、学も大変だよな~。毎日のように部活、あるんだもんな」
「いいんだよ、好きでやってることだから。俺からすれば、二人の方こそ不思議だけどね。中学の時は部活やってたでしょ?」
「そういう学校だったからだろ。俺は仕方なく手芸部、で、幸人は――」
剛は言いかけてすぐに口を閉じた。ちょっとばつの悪そうな表情が浮かぶ。
それは学も同じで、それ以上突っ込んでくることはなかった。
余計な気づかいだ、それは。ありがたいことだけど。俺はとっくの昔に吹っ切れてる。
幼稚園の頃から、水泳をやっていた。父さんの勧めで、地元のスイミングスクールに通ってた。それを中学でも続けたんだが、一年も経たず部活を変えた。
目の前にいるこの小柄なメガネの友人との差が、とても浮き彫りだったから。いくら努力しても、こいつのようにはなれない。彼の才能はあまりにも眩しすぎた。
そんなもの、よくある話だ。俺には、より高みに行くセンスはなかった。ただそれだけ。
みんながみんな、自分のやっているスポーツでうまくいくわけではない。それをあの時初めて知った。順序の問題だ。
「そういえば、今日はちゃんと宿題やったのか、幸人?」
さっきのことなどなかったかのように、その声は明るい。
「ああ。大体昨日はノート忘れただけだから。英語の課題だろ。あれ、やってないとめちゃくちゃ――」
学の顔がみるみるうちに青ざめていくのがわかって、俺は喋るのを止めた。
そのまま大慌てで、床に正座をかます。
「一生のお願いです! 予習ノート見せてください!」
うん、見事な土下座。
「それ何度目だよ……」
「まあまあ、いいじゃないか、幸人。困ったときは助け合いだ。俺の貸してやるよ」
「いや、君のノートは字汚いから……幸人のがいいな」
「贅沢だな、おい」
呆れながらも、俺は英語のノートを貸してやった。正直、その出来栄えには自信はないが。一ヶ所適当に訳したし。まあいいだろう。
そのまま奴は俺の机を占領して、作業を開始した。
そんな学をよそに、俺と剛はくだらない話を続ける。男子高校生の会話なんて、とるにならないくだらないものだけど、楽しいことは楽しい。
やがて――
「おーい、お前ら読書の時間だぞぉ~!」
がらがらと音がして、前方の入り口から担任の溝口先生が入ってきた。指導科目は国語、である。
相変わらずその見た目は胡散臭い。そもそもどうして理科の教員でないのに、白衣を着ているのか。それが一層怪しさを際立たせている。
髪はぼさぼさ、目は半開き、無精ひげはぽつぽつと、完全なダメ親父がそこにいた。あれで、まだアラサーというのは恐ろしい。
がたがたと、みんなが椅子や机を動かす音が教室中からした。むろん、剛と学もそれぞれ前を向く。
俺は机の中に手を入れて、ずっと入れてある文庫本を取り出した。朝読書のために用意したものだ。この五分間しか読まないから、ろくに物語は進んでいないけれど。
「なーんてな。嘘だよ、嘘。今日はその前に話がある」
「なんだよ、みぞぐっちゃん。そりゃないぜ~」
クラス一のムードメーカーが囃し立てた。それで、笑いが教室内に広がる。
「悪い、悪い。よし、じゃあ入ってくれ!」
溝口は教壇側の扉に向かって呼びかけた。
がらがら、再び扉が開いた。間があって、つかつかと誰かが入っていく。
それは、うちの高校の制服に身を包んだ――
「初めまして。
見慣れない女生徒は滑らかに教卓の近くにいくと、腰を深々と折った。よく目立つさらさらとした銀色の髪が鮮やかに踊る。
それは、昨日あったあの変な女だった――
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