友達から始めよう

第一話 平凡な男子高校生

 目が覚めた時、心がきりきりと痛かった。何か大切なものを喪った、そんな後悔に似た切ない感情にいきなり襲われる。

 これで涙まで流しでもしていたら……そっと頬のあたりを触ってみても冷たい湿った感じはしない。さすがにそこまで、謎に主人公気取りではないらしい。

 俺――白波幸人しらなみゆきとは呆れたように一つ息を吐きだした。何をセンチメンタルに浸ってるんだか。


 とりあえず、ガバッと身を起こした。何か夢を見ていた気がする。それは覚えているのだけれど、肝心の内容は朧気で。意識がはっきりすると同時に、どんどんと遠ざかっていく。


 いくらかぼんやりとしながらも、机の上に置いてある時計に目をやった。

 長針は十の位置、そして短針は八の文字を侵そうとしている――それが俺の中の焦燥感に火をつけた。たちまちに、夢についてのもどかしさはすっ飛んでいく。もはや、俺の意識は猛然とに押し迫られていた。


 生憎というか。今日は平日だ。十六歳の俺には免れることのできない義務がある。急いで手早く学校に行く準備を整えていく。


 布団から出て、パジャマを脱ぎ捨てて、掛けてあるワイシャツに袖を通しながら、クローゼットの制服をひったくる。

 かれこれ四年似た様な事をしていれば、その速さたるや自分でもかなり自信がある。全日本制服早着替え選手権大会でもあれば、二位にはなれる。

 そんな益体もないことを考えながら、鞄を無造作に掴んで部屋を出た。ずしりとした重みを感じながら、階段を下る。


 リビングに入る頃には、八時になろうとしていた。ちょうどテレビでは占いコーナーをやっている。そして、それをソファでじっと食い入る様にして見つめる女が一人。

 あえてキッチンの方を通って、俺は回り道気味に食卓に着いた。


「あんた、ふたご座だっけ?」

 おはようのあいさつの代わりに、不愛想な声が飛んできた。

「そうだけど」

 用意してあった朝食に素早く手を付けながら返事をする。今日がトーストの日なのは幸いだった。食べるのにそんなに時間はかからない。出しっぱなしのジャムを適当に選んで塗っていく。


「よかったわね、運命の出会いがあるでしょう! だって」

「へいへい、そりゃどーも。まり姉の方はどうだったんだよ?」

「次聞いたら、オホーツク海に流す」

 彼女は満面の笑みで、そんな物騒な言葉を言い放った。どすの利いた低い声だった。

 どうやらよくなかったらしい。俺はそのまま黙って、食事を流し込んでいく。


 彼女の名前は中津川麻理恵なかつがわまりえ。俺の姉……ではなく年上の従姉だ。大学が自分の家より近いから、ここに下宿している。

 もう三年ほどになる。さっさと彼氏でも作って出て行けばいいのに、と少しだけ思ったり。しかし、出会いは皆無らしい。だからこうして、毎朝のように占いコーナーをチェックしている。心理学部に通っているはずなのに、趣味が占いとは……まあ、人の趣味にケチをつけるほどなことはないけれど。

 

 個人的には、占いなんて大嫌いだった。別に、親の仇とかそういうわけではないが。

 星座占いなんてくだらない。何が運命の出会いだ! そうやって、なんでもかんでも運命で決められてたまるかよ。

 当然だが、これを言うと喧嘩――違った、一方的な殺戮に繋がるので、胸の内で毒づいておいた。彼女は空手の有段者である。見た目も、明るい茶色のショートで釣り目がちだから勝気そう。


「ごちそうさまでした。じゃ、行ってくる」

 そそくさと食べ終えて、俺は立ち上がった。

「いってらっさ~い」


 まり姉はこちらを一瞥さえしなかった。ただ片手だけひらひらと振っている。その視線は、手元の女性誌に向いていた。ソファの上で体育座りをして、熱心に誌面を眺めている。どうせ、別の占いでも探しているんだろう。

 彼女の部屋には、その関連の本がいっぱいある。家のあちこちで、しょっちゅうそれを呼んでいる姿が目に入るものだ。


 わからないようにため息をついて、俺はさっさとリビングを出る。遅刻しないとは思うが、かなりギリギリの時間ではあった。少なくとも、普段よりはだいぶ遅い。


 玄関を出ると、恨めしいほどに空は晴れていた。……はあ。朝だけで二つ目のため息。ともかくも俺は学校に向かって、少し早足で進み始めた。





      *





「あーもう、マジで疲れた! ホント、この時期の体育の時間はうんざりするぜ」

 

 目の前の大男は疲労困憊状態に見えた。だらだらと持ってきた弁当の包みを広げている。未だに少し汗が残って見えるのは、偏にその身体の巨大さ故だろうか。こいつ、ガタイだけはいい。


 ちなみに今日のメニューは外周走だった。校舎の周囲を四周もさせられた。一周はおよそ一キロと聞くが、あくまでも噂なので実際のところはよくわからない。地獄のように疲れるという事実だけで充分である。

 それがこの時期恒例……というのを、二年目の今年知ったのだが。つまり、来年もまだあるということだ。もはや、今から少し憂鬱になる。


 こいつと同様、運動部でない俺も正直かなり疲れ切っていた。全く何が好きで、そんな長い距離を走らねばならないのか。噂に聞けば、ミニマラソンもある高校もあるとかで、それに比べれば百倍ましだけれど。しかし、しんどいという事実に変わりない。


「そんなに疲れるかねぇ……? たかが五キロあるかないかでしょ。普通のことだと思うんだけど」

 一緒に席を共にするもう一人の友人が割り込んできた。どこか怪訝そうな表情なのが、ムカつく。

「お前、何周したんだ?」

「五周」


 しらっと答えながら、もう一人の友人が淀みなく箸を進めている。見るからに、貧弱そうな眼鏡ボーイだというのに、その実、スポーツ万能だというのだから恐ろしい。


 俺はその姿に若干畏怖し、げんなりしながらも、弁当の蓋を開けた。二段式の弁当箱。上は冷凍食品の詰め合わせ、下はゴマ塩ご飯。

 今日、用意してあったのは本当にありがたいことだ。この疲れ切った身体で、購買部の争いに参加することなど、毛ほども考えたくない。

 公立高校の我が古井戸高校に食堂なんて贅沢なものはない。


 昼休みの教室は、今日一番の活気を見せていた。俺は目立たない後ろの席の方で、友人たちと昼食を共にしている。


 図体がデカい方は、大力剛おおりきつよし。名前だけ聞くと、ものすごい強そう。見た目も、身長が高く、肩幅もしっかりしていて、ぱっと見は筋骨隆々のスポーツマンに見える。

 しかし、それは見かけだけである。彼は運動はあまり得意ではない。その本分はあくまでも勉強。その成績たるや、全国模試の全国上位の常連だ。かなりの勉強家である。


 そして、貧弱そうなメガネは小峰学こみねまなぶ。見た目と雰囲気だけなら、こいつの方が勉強ができそうだが、やはり違う。むしろとても苦手だ。学年順位は下から数えた方が早い。

 剛の例に漏れず、見た目と得意分野は連動しない。こいつ、かなり運動が得意だ。体力テストはトップクラス。制服の上からだと細く見えるが、かなり身体は鍛え上げられている。


 俺を作るのは簡単だ。まず剛から勉学の才能を半分にする。そして、今度は学から運動の才能を半分にする。それで完成。

 中肉中背、学年順位はぎりぎり二桁になるかならないかくらい。そして、スポーツは可もなく不可もなく。目立ったところはない。この尖った二人と比べれば、俺はモブキャラみたいなものだ。

 そして――


「ぎゃはははは! マジかよ、お前!」

「ほんと、悠斗君ってバカだよね~」

 教室の前方の方がどっと沸いた。そこまでうるさいわけでもないが、後方に陣取る俺たちのところまで声が届いてくる。

 

 彼らこそ、このクラスの中心人物の男女――つまり、陽キャグループ。美男美女とそのとりまきの集まり。

 普通に過ごしていれば、これといった害はないからどうでいいけれど。むしろ、陰キャな俺にも分け隔てなく接してくれるいい人たちだったりする。……男の方は、だが。

 

 彼らもまた、俺とは違う持っている人間だ。顔がよく背も高く、頭もよく、運動もできて、性格は明るい。同じ制服姿なのに、どこか垢ぬけてさえ見える。キラキラしてるのだ、彼らは。

 剛と学を見ていても思うが、個人にはどうしようも埋めがたい差というものがそこにはあった。


 人間は平等だ、とか、努力は実を結ぶ、とか。わからなくもないけど、でも、俺は彼らみたいには慣れない。

 俺がどんなに勉強したところで、決して剛には勝てないだろう。

 俺がどんなに鍛えたところで、学の足元にも及ばないだろう。

 そして容姿はおいておいて、いくら明るく振舞ったところで、ああして誰かが寄ってくることもないだろう。


 それは才能だ。ちょっとあれな言い方をすれば、

 俺は違う。何もとり柄はない。どこまで言ってもモブキャラ――地味な存在でしかない。きっとこれから先もそうなのだ。平凡なのは、悪いことじゃない。そんな自分が嫌いだなんてこともない。

 なんて、諦観にも似た物思いに耽っていたら――


「おーい、幸人くん? どこ見てるんだね?」

 剛のどこか馬鹿にしたような声が飛んできた。

「どうせ、あれだよ? みなとのことでも見てんのさ」

「そうだな。幼稚園から一緒の運命的幼馴染だもんな!」

「腐れ縁だ、バカヤロー」


 二人が言ってるのは、同じクラスで件のキラキラグループに属する湊雪江ゆきえのことだ。 


「近所に住んでれば、私立に行かない限りは中学まで一緒。そして、俺とあいつの学力レベルは同じくらい。さらに、この高校は公立で家からも近い。導き出される結論は、決して運命なんかじゃない」

「へいへい、そうですね」

「付け加えると、最後に会話したのは中一の時、だろ? 確か――」

「いい、いい。全くくだらないことまで覚えてんな、剛は」

「記憶力だけが取柄なんでね」

「嫌味かよ、全く……」


 ったく、運命ねぇ……その言葉で朝の一幕を思い起こしてしまった。何が、運命の出会いだ。それどころか、現在に至るまでいいこと一つたりともない。

 日直の相方が欠席だから、一人であれこれこなさないといけないし。化学の宿題は忘れるし。体育で外走るってのに、雨一粒すら降らないし。

 

「で、幸人。放課後暇か?」

「あ、ああ。まあな」

 少し警戒しながら頷く。何が、で、なんだろう。話を全く聞いていなかったから、わからなかった。

 それでも、何も用事はないことは事実なので、剛の問いに肯定することしかできないのだが。

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