二番目の側室

華乃ぽぽ

二番目の側室


 この国の皇帝は若い。

 前皇帝もそのまた前の皇帝も、若くして崩御したからだ。


 わたくしはアデーリア。

 序列のある後宮内で二番目の側室。


「陛下、わたくしの元へお通いになるなんて珍しい。今日はラヴェンナ様の元にお行きになられませんでしたの?」


 わたくしは桃色の粉をはたいた頬を、すり、とこの国の皇帝陛下の胸に擦り寄せる。


「お前は欲がないな。サンドラはいつも余を所望するというのに」

「あら、欲がない訳ではありませんのよ」

 

 くすくす、と鈴のような声で私は笑う。


「ここだけの話、ラヴェンナが身籠ったかもしれないのだ。今は安静にせねばならん」

「まあ! そうですの。おめでとうございます。これでお世継ぎの誕生ですわね」

「うむ、男であればそうなるな」


 陛下は私の黒い髪をサラリとなで、頬に口付けをした。

 

 ご懐妊、どうなることかしら。


 最高級の衣類をまとい、最高級の化粧品、香、石鹸を手に入れられ、女として最高に磨きあげられる。

 そんな後宮で暗黙の了解、一番のタブーがあった。それは十六になったばかりの、皇帝と皇后より先に世継ぎを産んではならないということだ。


 そうしてするり、と私の薄い着物が脱がされた。


◆◇◆◇◆◇◆



 この国の皇后は十の時に、十の皇帝に他国から嫁いできた。

 お互いまだ幼く、教育は受けてきたものの大人達の操り人形になりながら、政治的な事は何も関わることなく年を重ねていった。

 そうして、皇后に月のものが来た後、初めての褥を共にしたそうだ。


 それから皇帝は何故か、皇后の元へは訪れなくなった。

 元々準備されていた後宮へ入り浸るようになったからだ。


 今の皇帝から一新された後宮。

 皇帝から一番の寵愛を受けた者が、後宮でも一番の部屋、金剛宮が与えられる。

 今金剛宮で住まうのはラヴェンナ。

 線の細く、小柄で愛らしい姫だ。

 皇帝は一人のお気に入りを見つけると、他には目もくれずに、そこに通う性質があった。


 ラヴェンナは三人目の金剛宮の主。


―――一人目と二人目の主はもうこの世に存在しない。



◆◇◆◇◆◇



「ラヴェンナ様のこと、残念でございました……」


 皇帝は私を膝枕にしてうつ伏せている。


「何でも、安産祈願の時に階段で足を滑らせたとか……」

「ああ」


 皇帝は急に起き上がり、強引に私の身体をベッドへと押し倒す。


「お可哀そうに」

「何も言うな」


 皇帝はそう言って私の口を、その口で塞ぐ。


「次はお前が行け」

「え?」


 突然の言葉に私は戸惑う。


「明日からお前が金剛宮へ行け。余が毎日通う」


 その言葉に私は血の気が引いた。

 皇帝は金剛宮の側室が体調の悪いときや、気の向いたとき、ごく稀にわたくしの宮、真珠宮へと通ってくる。

 それは特に苦痛な事ではない。皇帝はわたくしに優しくしてくれる。


―――そうではない。


 避妊薬が足りなくなってしまう。

 ある伝を使って手に入れていた避妊薬が。


「そ、それは時期早々過ぎるのでは? 陛下、そういえばリジュー閣下の姫様がもうじき……」

「余に口答えをする気か?」

「そ、そんな滅相もございません。しかしまだラヴェンナ様の喪も明けておりません」

「そんな事などどうでも良い。それとも、これか?」


 皇帝は起き上がり、自らの懐から一包の薬を取り出す。


 わたくしはそれを見た瞬間、びくりと反応する。見た事のある包だ。

 そう、いつも皇帝が帰ったあとに飲む避妊薬。


「少し前にねずみを捕えてな。何か聞いたら、お前が飲む避妊薬だそうだ。薬師にも調べさせたらその通りらしい。余も鬼ではない。今まで通り届けろとねずみには命じた。後継者争いは泥沼だと聞く。それもいいと考えた」

「も、申し訳……ございません……陛下。わたくし、この後宮に居ながら……」


 恐怖でわたくしの手は震え、身体が冷たくなっていく。


「余も馬鹿ではない。知っている。全ては皇后が仕向けているのだろう。あれは嫉妬深い女だ。前金剛宮の主ミーシアが懐妊したときから、影に皇后と後宮の女を見張らせて知っていた事だ。そしてラヴェンナの時も、懐妊した事を余が全ての女に伝え、その行動を影に見張らせていた」


 皇帝は薬を懐にしまい、私の震える身体を抱き起こしてその身を抱きしめた。


「お前は本当に欲がないな。影の報告では、懐妊した者に何もしなかったのはお前ただ一人だそうだ。まあ、避妊薬という余計なものも見つけてしまったがな」


 またわたくしはびくりと肩を竦める。

 このまま行けば不敬罪で死罪だ。


「皇后の裏は取れてある。あれを廃すのは時間の問題だ。それに、金剛宮へ行ってお前がもしすぐに懐妊しても警備を増やし他の者達から守ってやる。安心しろ」


「わ、わたくしを、お許しに……?」

「今回限りだ」

「しかし、陛下はわたくしを好みでは無いのでは……?」


 そう、私は十四から後宮へ入り四年間、真珠宮で二番目の側室だった。

 一人目、二人目と亡くなられて、次に金剛宮へ入る順番はわたくし。だけれども、いつも入るのはわたくしではなく別の側室だった。


「ああ……それはな。初めて余が後宮へ渡った時、公にはされていないが、余と初めて金剛宮で寝た女が毒殺された。犯人は皇后の手の者だとすぐに解ったが、余もこの国も力がなく、皇后を罰することができなかった」


 そんな事があったのか、とわたくしは震える。


「そして次にお前が金剛宮の主の候補として後宮へと入ってきた。お前を見た世は金剛宮から、真珠宮へと移動を命じた。毒殺されては困るのでな」


 そう、始めてわたくしが後宮へと入る時に、わたくしの父の権威で、金剛宮入りが決定していたのだけれど、突然真珠宮入りを命じられたのだ。

 金剛宮へは元々真珠宮にいた側室が入ったのを覚えている。


 あれは皇帝が私を気に入らなかったのだと、そう思っていた。


「ゆえにお前を金剛宮へは入れたくなかった。余が、お前を気に入ったからな」

「まあ」

「しかし他の側室を嫌っていたわけではない。懐妊した時、守れずに残念だった。警備は強化しておいたのだがな」

「そう、ですか……」


 初めての世継ぎ。それを三回も立て続けで……皇帝も心を痛めただろう。

 

「アデーリア、お前が次は入れ。すぐは出来ないが、皇后は廃す。後宮も時期を見て解体する。この国は強くなった。余もな」

「え、ええ?」


 突然の言葉に驚き言葉を失う。


「ただし、これは禁止だ」


 皇帝は胸元の薬の包をちらりと見せて、わたくしはこくんと頷く。


「そうと決まれば忙しくなる」


 皇帝はわたくしをまたベッドの上に横たわらせ、わたくしの上に覆い被さる。




 後宮には三人の側室がいる。

 

 三番目の側室、サンドラは我が強すぎたし、皇帝の子を身ごもる事を夢見ていた。

 二番目のわたくしのことなんてこれっぽちも気にせずに、金剛宮に入るという野心に燃えていた。皇帝の好みではないと解っていたので、あえて放置していた。


 一番目の側室ラヴェンナは箱入りで育てられたのか、世間知らずで愛らしく、皇帝の寵愛を一身に受けていたので頭がお花畑だったのか、行動を聞き出すのは容易い事だった。

 皇帝とああしたこうした、懐妊したから安産祈願に行く等、よく茶会で話していた。


 そして皇后は素直な人だった。

 皇帝を愛して、嫉妬を隠せずにいた。

 だから私はラヴェンナの予定を、皇后とのお茶会でちらりと漏らした。


「今度ラヴェンナ様が安産祈願に行くそうですわ。かわいいお子がお産まれになるといいですわね」


―――何も悪気がないように、にこりと笑顔をつくって。



「陛下、わたくし今幸せです」

「そうか、陛下ではなくルディオンと」

「ルディオン様、愛しています……」

「ああ、余もな」

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