趣味がない

 私は自称、趣味がない人である。他人に「趣味は?」と聞かれたときに返答に非常に困るタイプだ。しかし、他人に「暇なときに何してるの?」と聞かれて、「ただ息をして過ごしております」と答えたことはない。

 例えば、今はとても暇であるが文章を書いている。それならば、「文章を書くのが趣味なの?」と言われると、「いやいや、ただ適当なこと書いてるだけですよ」と答えるところだ。なぜ趣味だと答えられないのかと言うと、趣味と言えるほど続けてもいないし、成果も出していないからである。私はずっと前から小説を書いているわけではないし、ネット小説サイトへの投稿も少なく、もちろん読者も少ない。それをもって、趣味であると堂々とは言えないのである。スポーツで言うならサッカーは見るのも、やるのも好きだが、選手の名前を知っているかと言われれば微妙だし、上手かと言われると下手だ。そこでサッカーが趣味ですと言ってしまって、「へえ、リフティング見せてよ」などと言われたら最悪のパターンである。

 つまり、私は趣味というならば、それなりの知識と経験と技術のようなものが必要なのではないかと考えてしまうのである。だが、知識と経験と技術、それがあればすでにそれは特技である。

 そうなると、趣味と特技の境目はとても曖昧なものとなる。

 しかし、特技が趣味となるとは限らない。「特技は?」と聞かれて「指の第一関節だけ全部曲げられる」という人はいるかもしれないが、それが趣味だと言う人は稀……だろう。こなると趣味とは何ぞや?ということに頭をパニックにさせなければならないのだが、文章として書くと、整理されてきたものもある。(整理もせずに文章を書いているということである)

 まず、趣味というのは何かしらの生活上の活動であるということ。『指の第一関節だけを全部曲げられる』のも生物学的上は活動であろうが、生活上の活動としてやっている人は稀……だろう。TVを見るということは座って画面を見ているだけでも、番組の内容を理解したり、楽しみたいという生活上の脳の活動ではないかと考える。なのでTVを見るのが趣味と答えても良いと思う。

 次に、それがどれだけ自分の中で重要度を占めているかということである。例えば、「好きなスポーツは何ですか?」と聞かれれば自分が今まで経験してきたスポーツの中で一番好きなサッカーを思い起こす。それはスポーツというカテゴリーの中でサッカーを一番重要視しているということである。

 では、趣味はサッカーと言えるか。人によってはまだわからないが、私は趣味と思って良いのではないかと考えるようになってきた。

 今までは他人や一般的な知識や能力と比較して趣味かどうかを判断していたが、あくまで趣味とは自分の中で好きだったり、重要な活動であるかどうかで決めるものではないのかと主張したくなってきたのである。「リフティングを見せてよ」と言われても「下手くそだけど、やるのは好きだからちょっと挑戦してみるね」ぐらいのことは言えるような気がしてきた。たとえ失敗したとしても人間には『下手の横好き』という良いことわざがある。知らない人は検索して欲しい。趣味だと言ったからには特技でないといけないという概念が邪魔をしていたような気がする。

 もう一つ『好きこそものの上手なれ』という良いことわざがある。これは好きだからこそ、その物事を上手に行うことができるようになるということだ。趣味とはその人にとって好きなことであろう。その好きだという気持ちが強くなると趣味は特技となる可能性があるということだ。私はその言葉を信じて、文章を書くことをもっと好きになって、趣味であり特技だと言えるようになりたいと思う次第である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る