8−2

「ようこそいらせられました、ジークハルト殿下。ヴァルヒルム王国の皆様方。王がお待ちでございます。どうぞ、こちらへ」

 流暢なヴァルヒルム語を用いて、宰相は一行をさらに奥へと導いた。ジークはアルとレギンに同行を命じ、他の者には宮殿の侍従たちの指示に従って荷物を解くように指示した。

 気心の知れた者たちだけになると、ジークはアルガナ語で言った。

「久しいな、ナグルテイ。老けたな」

「八年も経ちますれば。……アイデス殿は変わられましたな。落ち着いた目をなさるようになった。傍らの姫君のせいでしょうか」

 山羊のような髭を蓄えた宰相は目を細めた。視線を向けられたプロセルフィナは「初めまして」とアルガナ語を用いて軽く膝を折る。老宰相は笑みをこぼして礼をした。

「アルブレヒト殿もレギン殿も、お久しぶりです」

「ご無沙汰しております」

「元気そうでよかったよ、ナルグさん」

「ルウ・セチェン様も皆様との再会をお喜びになるでしょう」

 ナルグテイ宰相に連れられ、王の待つ玉座の間へ向かう。

 宮殿の内部は外見に見劣りしない壮麗さだ。大理石の柱に彫刻を施した廊下。光を取り込むために開かれた窓。そして玉座の間はまた異なった雰囲気で美しい場所だった。

 色とりどりの織物が壁と床に敷き詰められ、色彩は赤、砂と同じ黄色、差し色に緑が入っている。鮮やかなその色は天井近くにたくさんある小さな窓から降り注ぐ光によって、宝石を織り込んだようにきらめいていた。室内には煙に似た香の匂いが充満しており、その匂いをまとった三人の人間が座っている。

 中央にいるのは男性、その両隣にいるのは女性だった。男性はルウ・セチェン権王だろう。ジークよりひと回りくらい年上のようだ。右手側にいるのが猫の目のようにきりりとした眼差しの女性、左手側が大きな黒い目の少女。どちらも顔を布で隠して目だけを露出させているから、この国の一夫多妻制に照らし合わせると王の妻か。

 裾の長い衣服と宝冠をいただいた王は勢いよく立ち上がると、少年のように目を輝かせ、がばりとジークに抱きついた。

「久しぶりだなアイデス! 我が親友とも!」

 城中に響くような大音量に、プロセルフィナは目を白黒させる。だが抱きつかれたジークは慣れた様子で、やれやれとなだめるようにその肩を叩いた。

「長々と顔を出さずに薄情者め。なんだ、背が伸びたか? 太ったんじゃないか? ん?」

「厚みが出たんだ。八年だぞ。いつまでもがきのまんまじゃない」

 ジークはくすぐったそうな苦笑を浮かべている。王もまた目尻に皺を作り、懐かしい表情をしている。そのとき、彼は愛嬌のある黒い目をきらっと光らせてこちらを見た。

「彼女は?」

「俺の婚約者、プロセルフィナ・ノーヴス。剣の鎮め手だ。プロセルフィナ。ルウ・セチェン・アルガ権王だ。俺の昔馴染みでもある」

「初めまして、プロセルフィナと申します」

「ルウと呼んでくれ。達者なアルガナ語だな、プロセルフィナ。ところで君の年齢は?」

 挨拶を述べる前に尋ねられたが、どうして年齢なのだろうと首を傾げつつ答える。

「十七です。今年で十八ですわ、権王陛下」

 正確なところはわからないが、年齢を聞かれたときには今は十七、今年で十八だと答えるようにしている。プロセルフィナの答えを聞いたルウはにたりとした。

「勝った。俺の妻の方が若い」

 ジークが盛大なため息をついた。

「……ええと」

「気にしないでいい。この辺りでは、妻に迎える女性が若ければ若いほど甲斐性があると言われているんだ」

「そう、十七というあなたはこの国の外では十分結婚適齢期だ。アイデス、若い嫁をもらったな。というか妻を迎えるとは思わなかったぞ」

 はははと笑い声が響く。悪い人ではなさそうだが言動に遠慮がない。ちらりと目をやるとアルは内心でため息をついているだろう澄まし顔をし、レギンに至っては仕方がないなと苦笑いしている。

「嫁取りの話は後にして本題に入ってくれ。俺は早く帰国して結婚式をやりたいんだ」

 ルウは肩をすくめ、控えている僧侶たちに椅子を持ってくるように命じた。プロセルフィナは北国の夏服だ。床に直接腰を下ろすと、女性ならこんもりとした山ができてしまうことを気遣ってくれたのだろう。

「俺の妻たちを紹介しておく。右がサラヤン、左がマーリ。正妃はいないから妾妃のサラヤンが後宮の主で、次点がマーリだ。二人とも後宮にプロセルフィナを招きたいと言っていたから、仲良くしてやってくれ。何かあったら彼女たちが力になるだろう」

 サラヤンがにこりと微笑みかけてくれる。マーリはじっとこちらを見ていたが、にっと悪戯っぽく笑った。どうやら気に入ってくれたらしい。

「よろしくお願いいたします」

 椅子が準備されると、王が目配せし、サラヤンとマーリが退出した。一言も発しないままだった。

「ああ気を悪くしないでくれ。ふたりには発言の許可を与えていなかっただけだから」

「……お話しするのに、陛下のお許しが必要なのですか?」

 ジークが小さな声でたしなめたが、ルウは寛容に許した。

「アルガ一族にとって人間は財産になりうるからだ。だから妻は夫のもの、夫の許可なくば他所の男と会話することはできないし、外出も許されない。後宮はその習慣の象徴のようなものだ。あなたは女性だが他国の人だ。私の振る舞いは不愉快かもしれないが、これは夫の保護義務だと考えてほしい」

「わかりました」

 運び込まれた椅子に腰を下ろす。アルとレギンはいつも通りジークの後ろに立った。緊張気味に膝の上で手を揃えるプロセルフィナに対し、ルウは悠然と着席し、口を開いた。

「本題に入ろうか。文書にした通り、アルガ王国東部から南部にかけて、《死の庭》による被害が深刻になっている。特に東部沿岸の土壌汚染がひどい。貴重な河川が機能しなくなっているんだ。それに加えて冥魔が頻繁に出現している。商業路が確保できず、移動もままらない。定住地を持たない者たちの陳情が殺到している」

「東と似たようなものだな」

 ジークの言葉にプロセルフィナも内心で頷いた。

《死の庭》の被害分布を比較した時、もっとも影響を受けないのは南部、風や潮の影響で《死の庭》の風を強く受けない地域なのだった。ルウが語った被害は、ヴァルヒルム東部やロイシア王国など東部沿岸では当たり前のものだ。

「出向いてきてなんだが、俺たちには何もできないぞ。お前も知ってるように、剣はその場にいる冥魔を消滅させるだけで、対策になるようなものは何もできない」

 だがジークの力は大陸を覆うほどのものではなく、プロセルフィナの力も声が届く範囲でのもの。一時的に救済することができても解決には至らないだろう。それこそ《死の庭》を消滅させるなんて奇跡を起こさなければならない。

「それがわからないお前じゃないから何かあるんだろうと思って来た。何があった?」

 ルウは笑みを深め、両手を組み合わせた。

「報告にひとつ、気になるものがあった。冥魔に襲われ、命をとりとめた者たちが言うのは――冥魔の中に人影があったと」

 冥魔は人の形をとるのはめずらしいことではない。闇のものたちは効率的に命を食らうことを目的とするのか、陸に出現するときには素早く駆ける獣に、海を渡るときには魚類の形をとる。しかしルウが言うのはそういったものではないようだった。

「その人影は手を動かして冥魔を出現させると、笑い声を残して去ったらしい。目撃者が言うには……金色の長い髪をした女だったそうだ」

 気づかれないように手のひらに爪を立てた。

 何故だろう、女と聞いて想像したのは髪を長く伸ばした自分の姿だったのは。

「もし本当に『金色の女悪魔』が実在するのだとしたら、冥魔に異変が起こり、ひいては《死の庭》になんらかの変化があったのではないかと思う。どちらにしろ私の手には負えん。そこで冥剣と鎮め手にお越し願ったわけだ」

 少年のような態度の裏に、狡猾で残酷な大人の顔を隠しているのを感じ取る。彼が名乗る権王という称号は、王を立てようとする民族の中で己の正統さを主張するため、神法機関から授かったものだった。神法機関と渡り合える人間が、無駄話をするために一国の王太子と魔剣を呼び出したりはしない。

「出現は複数回か?」

「ああ。報告をまとめてあるから後で読んでおけ。もう日が暮れるから探索は控えろ。今日は休むといい。宴を催すから出席してくれ」

 今から行くと言い出すところを先手で押さえ込んでしまう。付き合いが長いルウだからこそできるわざだった。ジークが留学していた頃はどんな風だったのだろうと思うと、ルウが気づいて片目をつぶってみせる。だがすぐにジークの背中に遮られてしまった。

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