五年目八月 姉妹と弱点
人には誰しも、弱点や欠点などと呼ばれるものが存在している。
例えば俺。言わずもがなの不幸体質。右手に特別な力も宿ってないのになぜか不幸が襲い掛かってくるのだ。不幸というその現象を擬人化して美少女だと想像してみたら許せないことはないかもしれないけれど。いや許せないわ。
例えば小鞠。彼女の場合は引っ込み思案な性格か。俺や小梅先輩には最近容赦ない物言いをしてくるので、実は三人の中で一番怒らせたら怖いのではと俺の中でもっぱら噂になっている。
例えば夏目さん。勉強も出来て運動も出来ておまけに顔もいい夏目さんでも、やはり欠点は存在している。なんというか、発言が全体的に胡散臭い。それは俺以外にも感じているようで、小梅さんもよくそう言っていた。弱点と言うなら、白雪桜さんの存在だろう。あの人には頭が上がらないみたいだし。
一見完璧に見える人ですら、やはりどこかに弱点や欠点というものを抱えている。
ならば、あの人達はどうだろう。知り合ってから今日まで、弱点なんてカケラも見せず完璧な姿で俺たちの前に立っていた、あの二人。
白雪小梅と白雪桜の姉妹に、果たしてそのようなものが存在しているのだろうか。
「おいおい椿。そりゃもちろんあるに決まってるさ。彼女達だって同じ人間だぜ? 弱点や欠点のない人間なんて存在したら、むしろその事実こそがそれに該当する」
夏休みのある日。いつもの喫茶店で俺の話を聞いていた夏目さんは、やはり胡散臭い物言いで肩を竦めた。その動きもなんか胡散臭い。
そしてカウンター越しに立っている店員の三枝さんも会話に入ってくる。
「今日はその小梅ちゃんと一緒じゃないんだな」
「なんかボルダリングしに行くって小鞠を連れて行きましたよ」
「それ、駒鳥ちゃんは大丈夫なのか……」
「まあ、小梅さんと一緒だし心配ないんじゃないですかね」
小鞠は決して運動が得意な方ではないので、今回も小梅さんが無理矢理連れ出した形になっていたが。
それにしてもボルダリングって。あの人はなにを目指してるんだ。
ブラックのアイスコーヒーをストローで飲み干した夏目さんが、三枝さんにお代わりを頼んでから話を戻す。
「で、白雪姉妹の弱点の話だっけ?」
「ああ、そうです。あの二人っていかにも完璧超人って感じじゃないですか。だからそういうのあるのかって気になりまして。特に姉の方」
常に浮かべている無表情は鋭利な雰囲気を醸し出し、それに違わず出てくるのは情け容赦ない毒舌の嵐。ある意味で自分への自信に満ちていると言えるだろう。
そしてその自信はなんの間違いでもなく、高校時代は成績優秀の生徒会副会長。夏目さんと一緒に通っている大学も、入試はかなりの難関で知られているはずだ。
俺の中ではもう、白雪桜と言えば完全で完璧で全璧の怪物というイメージが定着してしまっている、
しかし俺の言葉を聞いた二人はなぜか肩を震わせていて、必死に笑いを堪えている。
「ふっ、ははっ、聞いたか智樹、白雪さんが完璧超人だってよ!」
「笑うなよ三枝、ふふっ、本人に聞かれてたらぶん殴られるぜ?」
いや、あんたも笑ってんじゃねぇか。
次第に二人は声を上げて笑い出してしまい、その理由が分からない俺は首を傾げるばかり。なに、違うの? 実は桜さんにはとんでもない弱点があるとか?
一頻り笑って満足したのか、過呼吸気味な二人はなんとか息を整えるとこちらに向き直る。
「桜が完璧超人なんてとんでもない。むしろ、弱点や欠点は大量に持ってるぜ」
「あの人が?」
「あの人が。まあ、白雪さんって歳下には結構いいカッコしたがるからな。お前が知らなくても無理はないか」
「それも欠点の一つ、だね。いいカッコしいというか、意地っ張りだ」
「それでも高校時代に比べたら、まだ幾分かマシになってんじゃねぇの?」
「多少はね。今から振り返ってみると、あの頃は相当酷かったよ」
「そ、そんなになんですか?」
伝え聞いている話と違う。いや、そもそも俺が桜さんについて聞いたのはシスコン気味な小梅さんと、時折崇拝してるんじゃないかって目で桜さんのことを見ている小鞠の二人からだから、多分に盛られてるのは仕方ないとは思うのだが。
「まず知っての通り、あの子は口が悪い」
「お陰で友達も少なかったな」
「それにかなりの負けず嫌いだ」
「智樹と何回も口論してたしよ」
「極度のシスコンでもあるし、それを拗らせすぎて一時期疎遠になったこともある」
「あの時は紅葉さん宥めるの大変だった」
「運動音痴で体力もない」
「ダイエットするっつってえらく苦労したらしいぞ」
「めちゃくちゃに目が悪くて、コンタクトを外したらそこからそこの距離でも全く見えてない」
「しかもメガネの度も未だに合ってないんだろ?」
「そのくせゲームばかりしてる。ほっとけば一日中ね」
「最早廃人だな、あれは」
「ああ、コンプレックスと言えば。自分の体にもコンプレックス持ってたっけ」
「本人の前で言うとガチギレされるから気をつけろよ」
「トドメに男の趣味が悪いと来た」
「白雪姫の王子様が、まさかこんな野郎だなんて誰も思わなかったもんなぁ」
ニヒルな笑みを浮かべる夏目さんと、軽薄そうに声を上げて笑う三枝さん。しかしその二人の目には、懐かしいものを見るような色がたしかに存在している。
俺の知らないこの人たちの思い出。口ぶりから察するまでもなく、この人たちはこの人たちなりに青春を必死に駆け抜け、その末に今がある。そこにどんなドラマがあったのかは分からない。知りたいと思うけれど、無理に聞こうとも思えない。
俺たち三人が三人で共有するものがあるように、夏目さんたち四人だけで共有しているなにかがあるのだろう。
「なんか、意外と多いですね」
「だからと言って、彼女が弱いってわけでもないのがミソだ。むしろ強いよ、桜は。特に、なにかを決断して目標に真っ直ぐ進んで行く彼女は強くて美しく、なによりも気高い。白雪姉妹がイケメンなことは、君も知ってるだろう?」
「痛いほどに」
付き合う前、あの人がまだ蘆屋高校に在籍している時から、嫌という程思い知らされた。
強く美しく気高い。
夏目さんから見た桜さんがそう映る一方で、俺から見た小梅さんは少し違う。いや、正反対と言ってもいい。
ただひたすらに、がむしゃらなんだ。
どれだけ無様でも、惨めでも、汚くても、前に進む。先の見えない嵐の中を、道標もなく前へ、前へと。
あれだけ似ている上に揃って高スペック持ちなのに、その能力の振るい方や向き合い方は全く違う。
それが分かっているところで、小梅さんの弱点なり欠点なりが見つかるわけでもないのだが。
「じゃあ、小梅さんの弱点って分かりますか?」
「小梅ちゃんの方は、どうだろうな……」
「あの子こそ、マジで文字通りなんでも出来るからな。欠点はともかく、弱点なんてないんじゃねぇの?」
「三枝の言う通りかもね。これはあの二人に共通して言えることだけど、なんでも一人で考え込んで抱え込むからね。桜はともかく、小梅ちゃんはそれを一人で解決にまで持っていけるからタチが悪かったんだけど」
「力任せにゴリ押しで解決しようとしますからね、あの人」
ただ、俺や小鞠と関わる中でそんなところも無くなりつつある。これで本当に完璧超人として君臨することになってしまうのだ。
「弱点……弱点か……」
「勉強は出来るし運動神経も人間離れしてるし、おまけに姉に似た美貌と高身長。芸術面も飛び抜けていて運に恵まれた人生を歩き腕っ節もある。マジで完璧だな」
「腕っ節に関しては君の仕業だろう」
「まさか俺より強くなるなんて思わなかったんだよ。あの子に負けた時どんだけ悔しかったことか」
「僕もそのうち野球で抜かされそうだな……」
こうして二人の会話を聞いていると、我が恋人は一体どんな化け物なのかと恐ろしくなる。
しかし、小梅さんだって一人の人間には違いない。なにか、なにかあるはずだ。あの人にも弱点が。特にそれを活用しようとは思わないが、ここまで来たなら知りたい。
「こういう時は、専門家に聞いた方がいいと思うんだよね」
「専門家?」
首を傾げる俺に、夏目さんが頷きを一つ。一人の人間相手に専門家もクソもないだろうとは思ったが、すぐに言いたいことを理解した。
いるじゃないか、一人。この世の誰よりも小梅さんのことに詳しくて、付き合いも長くて、教えてくれそうな人が。
「小梅の弱点?」
翌日。初めて訪れる夏目さんの家に場所を移した俺たちが、白雪小梅の専門家こと白雪桜さんに質問をぶつければ、彼女は当然のように首を傾げた。
「そ、小梅ちゃんの弱点。昨日ひょんなことからそういう話題になってね」
「姉の方はそれなりに弱点とか欠点とか多いけど、じゃあ妹はどうだって話をしてたんですよ」
「へぇ」
短く相槌を入れただけなのに、家の中の温度が5度くらい下がった気がした。怖い。無表情だから余計に。
「どうどう。怒るなよ桜。僕はありのままの君を三枝とともに椿に教えてやっただけだぜ?」
「具体的には?」
「運動が出来ないとか、目が悪いとか、シスコンとか」
「それだけ?」
「……」
「椿」
「胸が小さいとか言ってました」
黙りこくってしまった夏目さんの代わりに、俺が答えさせられる。声はかなり震えていたかもしれない。
俺から聞いた言葉に、しかし桜さんは怒りを爆発させることもなく。小さくそう、と呟いただけだった。
いや、爆発こそしていないが確かに怒っている。だって隣の夏目さんがめっちゃ震えてるんだもん。マジで俺を巻き込まないでくれ頼むから。
「智樹」
「はい」
「あとで覚えてなさい」
「はい……」
家の中の温度が10度くらい下がった気がした。お願いだから俺がいない時にやってくれ……。
「それで、小梅の弱点だったかしら」
「ああ、はい。そうです」
「そんなの、本人に聞けばいいと思うけど」
「自分の弱点を正直に教えてくれる人はいないと思いますよ」
「それもそうね……。ところで、今日は小梅は?」
「パルクール習いに行くって小鞠連れて行きましたよ」
「駒鳥ちゃん、本当に大丈夫かな……」
「俺もちょっと心配になって来ました……」
昨日の夜、小鞠から『たすけて』とラインが来て以降連絡がつかない。小梅さんの家に泊まってるらしいが、あの人になにか変なことされてないだろうか。
てか小梅さんはマジでなにを目指してるんだ。ボルダリングにパルクールって。なにかと戦う予定でもあんの?
「まあ、そういうわけだから教えてくれよ。君なら知ってるだろう? 小梅ちゃんの弱点」
「弱点ね……なにかあったかしら……?」
人差し指を顎に当てて思案顔の桜さん。冷静に考えてみれば、この人はたしかに専門家と呼べるかもしれないけれど「そんなところも可愛いから弱点なんかじゃない!」とか結論づけそうだな。それもう専門家じゃなくて愛好家じゃん。オタクじゃん。小梅さんオタクじゃん。いや、ただのシスコンだったわ。
「ああ、そう言えば一つあったわね」
「あるんですか」
「あるんだ」
「そりゃあるわよ。あの子をなんだと思ってるのあなた達は」
呆れたため息を零した桜さんは、マグカップをソッと口元に運ぶ。さっきその中に目を疑うほどの量の砂糖を投入しているのを見ているから、こっちまで胸焼けしそうになる。
「私がまだ実家に住んでた時の話だから、今はどうか分からないけど、それでもいい?」
「是非是非」
「分かったわ。あの子はね……」
ゴクリ、と。夏目さんと揃って息を呑む。ついに明かされるのだ。あの人の弱点が。
冗談かと思うくらいに完璧超人な白雪小梅の、弱みが。
果たして、桜さんの口から告げられた真実とは……。
「あ、ピーマンだ」
とても軽い口調で言ってみせた小梅先輩は、たった今出されたばかりのホットプレートを見てそう呟いた。その表情はいつも通りの笑顔で、昨日会った姉とは大違いだ。
因みに、昨日あの後夏目さんがどんな目に遭ったのかは俺も知らない。怖いから知りたくない。
夏目さんの家にお邪魔した翌日。せっかくの夏休みだからちょっと遠出しようと言うことで、電車に乗ってやって来たのはネットで有名な洋食屋。
若い夫婦二人が経営しているこの店は駅からも少しだけ歩くため、立地的には好条件と言いにくい。しかしそれでも、俺たちがやって来た頃には既に満席に近い状態となっていた。こんなにも繁盛しているのは、料理の美味しさだけか理由じゃないだろう。
これもネットに書いてあったが、その夫婦二人が随分と容姿に優れている。厨房に立っているのは長い黒髪をポニーテールに束ね、人の良さそうな柔らかい笑みを客に向ける女性。一方でさっきから忙しなく動き回ってる男性は、海外の血が混ざってるのかと思う整った顔立ち。チラッと見えたが、目の色も日本人とは少し違っていた。
さて、そんな場所にやって来て、提供された料理についていたピーマンを見つけた小梅さんだが。
俺は昨日桜さんから聞いたこの人の弱点を思い出す。
『小梅はね、ピーマンが苦手なのよ。基本的になんでもよく食べる子だけど、昔からそれだけは嫌いだって言って食べなかったわ。私も両親も甘やかしてたから、結局その後も食べさせないまま。今となっては後悔しているんだけど』
ピーマンが苦手とは、なんともまた随分と古典的な気がしないでもないが、甘党な小梅さんのことだ。ピーマン特有の苦味が苦手でもおかしくはない。
それに、そんな子供っぽい弱点も可愛いじゃないか。
「ピーマンがどうかしたんですか?」
白々しくもそう問いかければ、小梅さんは全く照れた様子もなく苦笑を見せる。
ん? 予想してた反応と違うぞ?
「いやー恥ずかしながら、割と最近までピーマンが嫌いだったんだよねー」
「最近まで……?」
待って、話が違うんですけど桜さん。いやたしかにあの人がまだ実家で暮らしてた頃の話って言ってたけど、そんな長いこと苦手意識を持ってたもんを二年で克服出来るもんなの?
「そ、大体四年くらい前までかな? あたしが中学の時の話だから」
「そ、そっすか……」
ちょっとー。マジで話が違うじゃないですか専門家先生よ。四年前って桜さん思いっきり実家にいる頃だし。そんなに最近って程でもないし。
見事なまでにガセを摑まされて少し肩を落としていれば、そんな様子を怪訝に思ったのか小梅さんが顔を覗き込んでくる。
「どったの葵くん。まるであたしが今でもピーマン苦手だと思ってたみたいな顔してるけど」
「指摘がピンポイントすぎるだろ」
「お姉ちゃんに教えてもらっちゃった!」
「しかも情報漏洩かよ!」
分かってて洋食屋行こうとか誘ったのか。性格悪すぎだろ。
そうなるともしかして、桜さんはわざと嘘の情報を俺に流したのだろうか。ちょっと考えてる様子だったし、可能性としては十分あり得る。
「あ、心配しなくてもお姉ちゃんは嘘ついてないよ。本当にあたしがまだピーマン食べれないと思ってたんだって。お姉ちゃんはこんなつまらないことで嘘つかないからねー。肝心なことには嘘ついたり隠し事したりするけど」
「姉妹でよく似てますね」
「ははは、言ったなこいつ」
「痛い痛い足を踏むな」
事実を指摘されたら暴力に訴えるのは人としてどうなんですか。
「で? なんで葵くんはあたしの弱点なんて知りたかったのかな?」
「特に理由はないですけど」
「ホントに?」
一昨日はただ話題に上がっただけだったが、今となっては一応理由らしきものがある。
多分、安心したかったんだ。
本当にカケラも隙のない完璧超人なんかじゃなくて、小梅さんだって弱みの一つくらいある普通の女の子なんだと。
高校時代、この人が抱いていた苦悩を知っているから、尚更に。
もう完璧な人間なんかにならなくてもいい。あなたに過度な期待を寄せる人はいない。姉と比べられることもない。
だから、目指すべき道標もない嵐の中を、それでも進もうとなんてしなくてもいいんだ。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、クスリと微笑みを浮かべた小梅さんはフォークとナイフを手に取りホットプレートの上のハンバーグに手をつける。
「心配しなくても、あたしにだって弱点の一つや二つあるわよ」
「や、別に心配とかはしてないんですけど」
「そうは見えなかったけれど」
「……ですかね」
どうやら、見透かされているらしい。その上で、心配するなと言ってくれる。
本人にも自覚はあるのだろう。弱点ではなく欠点。短所とも呼ぶべきそれに。俺や小鞠と関わる中で、消えかけているものに。
「なら聞きますけど、小梅さんの弱点ってなんなんですか?」
「なんだと思う?」
「分かんないから聞いてるんですよ」
「ふふっ、もう少し自分で考えてみなさい」
小悪魔のような笑みを浮かべて俺の口にハンバーグを無理矢理ねじ込む。
上手いこと躱された気もするが、ハンバーグが美味いからそれに免じて諦めるとしよう。
諦めて、もう少し自分で考えよう。時間はまだまだあるのだから。長くなるであろう付き合いの中で、そのうちこの人も見せてくれるかもしれない。
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