第8話 傷ついた私たち

大学が就職予備校化しているのは本当だと思う。1年次から、キャリアプランニングという授業が、必修科目として組み込まれていて、嫌でも受けざるを得ない。


今日は、その授業があるせいで、朝から憂鬱だった。


嫌でも、と私がわざわざいうのは、本当に、マイノリティを無視した授業内容だからだ。


キャリアアドバイザーという肩書きの講師が、明るい笑顔で

「女性のみなさん、自分が結婚・出産したい年齢を決めて、キャリアプランニングしましょう! 自分がどうなりたいか、よく考えてくださいね」

と言ったときには、頭がくらくらした。


そして、それを素直に受け入れ、すらすらと「キャリアプランニングシート」に人生設計を書くクラスメイトを見ても、げんなりしてしまった。


なかには、私みたいな人や、色々な理由で、結婚・出産を選ばない人もいるかもしれないのに、完全に無視だ。


真っ白な自分のキャリアプランニングシートは、「お前はマイノリティだ」と、現実を突きつけるようだった。


重い足取りで、教室に向かうと、入り口で「~社会人になる前に~メンタルヘルスマネジメント」というプリントが配布された。


部屋が暗くなり、うつ病の解説が始まる。講師が解説を進めるうち、周囲がざわざわしてきて、「うつ病かぁ」「私、うつかも」「うつにはなりたくないな」「そういえば最近、彼氏とうまくいかなくってさぁ……うつ病になっちゃう」などと、私語が聞こえてきた。


そのときだった。


目の前の女子生徒が、わぁっと泣き出し、教室の外に駆け出していったのは。


「なんだなんだ」「え? どうしたの」「なになに」「びっくりしたー」と教室は騒然となる。


講師は、それにも関わらず「えーと、静かに……」と話を続けようとしている。


誰ひとり、彼女を追おうとする者はいなかった。それに対し、私の足は、自然と彼女の方に向かっていた。



息を切らして、彼女を追う。階段を駆け降りると、彼女が中庭で座り込んでいるのが見えた。


「どうしたんですか、大丈夫ですか」

私の声に振り向いた彼女の顔は、涙に濡れていた。両目から止めどなく流れる涙は、雨のように、地面の土を濡らしていく。


「わたし、は……」

荒い呼吸とともに、上下する肩。とても話せそうな状態ではない。私は、彼女のとなりに、無言で側にいることにした。


授業終了を告げるチャイムが鳴るころには、彼女の涙は止まり、呼吸は安定していた。


そして、再び話しかけようとすると、彼女は開口一番、「ごめんなさい」と謝ったのだ。


「えっ、なんでですか」

「授業、私のせいで、出られませんでしたよね」

栗色の髪が、俯く彼女の顔を覆って、表情がよく見えない。どうやら、また泣きそうになっているようだ。


「そんなことはどうでもいいんです。あなたが心配だったので」

「ごめんなさい……」

「謝らないでいいですよ」


よくよく話を聞くと、彼女はうつ病患者で、現在闘病中ということだった。


「みんなが軽く、うつになりたくない、とか、うつかも、とか言うのが、耐えられなくて。この病気になったら、まるでおしまいみたい」

途切れ途切れ、彼女は必死に声を絞り出していた。


私には、彼女のいっていることが、なんとなくわかるような気がした。私も、ビアンについて、冗談めいて語られることに、傷ついた経験があったからだ。


みんな、周りに、本当にすぐ近くに、「当事者」がいることに気づかない。自分とは別世界の住人みたいに思っている。


それが、どんなに恐ろしいことか。


「私、野村優樹菜っていいます。大学では、友達もいなくて、ぼっちなんですけど……お名前、教えてくれませんか。なにか、お礼がしたいです」


彼女は上目遣いで、私の瞳を見つめている。それに少しドキッとして、反射的に彼女から目をそらした。


「私も同じようなものですよ。私は、遠山夏実」

と名乗って、連絡先を交換してから別れた。



帰り道、雲ひとつ無い青空に向かって、


神様。いるのなら、私たちに救いはありますか?


と声には出さずに問いかける。



返ってこない答えを待ちながら、

刹那さんは、どっち側の人間だろうか、

と、ふと思うのだった。







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