ありふれた非日常
七瀬美緒
『日常』が『非日常』に変わる
2011年3月9日 水曜日
「あ、地震だ」
体に感じる揺れに作業を止め、テレビやラジオの電源が入る。
「震度3くらいかな……」
地震の多い地域に住んでいる為、何となく震度を推測する。
普段体に感じるのは震度2から3。この感覚と同じ為、多分間違いない。
『3月9日、午前11時45分ごろ、地震がありました。最大震度は、5弱です。いわき市の震度は、3です。
各ポイントごとの詳しい震度は、いわき市
震源地は、
なお、この地震による津波の心配はありません――』
「ああ、3か」
確認が終わればそれで終わり。テレビもラジオも消し、誰もが作業に戻る。
2011年3月10日 木曜日
「あ、地震だ」
手を止め、テレビやラジオの電源が入る。
まだ速報しか出ておらず、詳しい情報は分からない。
「昨日も体に感じる揺れがあったのに……」
「今回も3くらいかな」
詳報を待つ。
『3月10日、午前6時24分ごろ、地震がありました。最大震度は、4です。いわき市の震度は、3です。
各ポイントごとの詳しい震度は、いわき市小名浜3、平梅本3、平四ツ波2、三和町2、錦町2です。
震源地は、三陸沖、震源の深さは、およそ10キロメートル、地震の規模を示すマグニチュードは、6.6と推定されます。
なお、この地震による津波の心配はありません――』
「6.6?」
「昨日のマグニチュードは何だっけ?」
「えーと……7.3」
「……」
「……」
「震度は3くらいなのに、昨日あたりからマグニチュード5以上が多いね」
「はい……」
地震情報の一覧を見ながら首を捻る。確かに多い。いつもはマグニチュード5もいかないのに……。
「まあ、考えても仕方ないか。仕事を進めよう」
「はい」
翌日
「おはようございます」
「お昼いってきま~す」
「得意先行ってきます」
様々な言葉が飛び交う中、誰もが其々の作業を進める。
仕事、勉強、遊び。
静かな世界の中に、当たり前の光景が広がる。
「――あれ?」
「あ、地震だ」
「また?」
地震を感知したが、ここ数日と同じだと思い、特に気にせず『いつもの行動』を進める。
だが。
「……長い」
「長いですね」
「長いなぁ……」
時間にして十数秒くらい。
まだ揺れている事に疑問を覚え、誰もが手を止める。
「念の為、ドア開けて! 閉まらない様に! 退路確保!」
「水の準備しておきます」
「寒いけど窓開けてー」
「内線かけて、上の階にいる人達に、安全確認して下に来るよう言って」
何となく、誰もが動き出す。
「遊具から離れて~」
「危ないから車を止めて」
「全員、机の下に隠れる様に」
地震に慣れている。慣れているけど、おかしい。
いや違う。慣れているからこそ、おかしい、おかし過ぎると感じる。
「――――っ!!?」
ドオォォォーンという音が地面から響いたかと思うと、小刻みだった揺れが一気に大きくなり、立っていた人は床に這いつくばり、椅子に座っていた人は机にしがみ付き頭上を仰ぐ。
教室の机の下からは悲鳴が上がり、家に1人で居る者は不安そうに周囲を見る。小さい子は泣き出し、大人はその子を庇う様に抱き締める。
「安全確保っ!!」
「棚とかには近付かないっ!!」
「自分の身の安全を優先して!!」
事業所用のコピー機が地震の揺れに合わせて床を滑る。
壁際にあった棚の中から書類や本等が一気に飛び出し、床を埋めていく。
開けたドアや窓からは近隣の人々だろう。悲鳴や怒声が聞こえる。
機材等を押さえ、倒れない様に必死に支える人。床の上で身の安全を確保しながら辺りを見渡す人。立ったまま据え付けのカウンターにしがみ付き、安全確保をする様言い続ける人。
誰もが思った。異常だ、と。
地面からは地響きが鳴り止まない。
普段なら10秒にも満たない揺れが、まだ続いている。
自分達の近くで様々な物が揺れ、落下し、散乱する。
どこかでガラスの割れる音。外から聞こえるサイレンの音は激しく、泣き声は止まない。経験した事のない息苦しさが狭い空間を覆う。
鳥の声は一斉に遠く離れ、犬が叫び声を上げる。
永遠に続くのかと思われた揺れが次第に静まっていく。
揺れが――止まった。
2011年3月11日、金曜日、午後2時46分。
後に『東日本大震災』と呼ばれる様になる、「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」発生。
その瞬間、立っていた者も座っていた者も一斉に動き出す。
何があったのかの情報収集、被害状況の確認、外出している人達へ連絡を取る。
電話。家族は無事? 今、どこに居る?
気持ちと裏腹に、繋がらない。心臓が、嫌な音を立てる。
テレビからはアラーム音。画面に日本列島が表示され、東日本の沿岸部が真っ赤に染まる。
「津波警報!?」
「嘘っ!?」
馬鹿なとは思うが、あの地震の後では、今までの経験も常識も意味をなさないと否応なく感じる。
『先程、強い揺れを観測しました。
この地震で、東日本の沿岸部には、津波警報が出されています。
沿岸部に居る方は、至急、高台に避難して下さい。河川など、水が逆流してくる恐れがあります。危険ですので、近寄らない様にして下さい。
津波は、1回だけでなく、2回、3回と発生します。危険ですので、沿岸部や河川敷には近寄らない様にして下さい。命を守る行動を取って下さい。
先程、強い揺れを観測しました――』
同じ言葉が何度も何度もテレビやラジオから流れる。
アナウンサーの声が固く、切羽詰まっている。その声が、逃げろ逃げろと人々を促す。
「津波警報が、大津波警報になりました! 予想される津波の高さは、最大、に、20メートル……?」
「最大震度出ました! え……7……?」
「マグニチュード、8.4……いや、8.6?」
刻一刻と情報が出るが定まらない。
津波の高さもマグニチュードも時間が経てば数字が上がる。どこまで上がるのか見当も付かない。
電話も繋がらない。沿岸部がどうなっているのかも分からない。いつも使えていたモノが意味をなさない。
避難所の開設の為、多くの人が動き出す。被害状況を確認する為、各会社や役所の職員が各地に飛んでいく。
信号機が消え、近くの交番や各警察署から警察官が飛び出し、交通整理に追われる。
消防車や救急車のサイレンが各地で鳴り響き、避難を呼び掛けるアナウンスが止まない。
「午後2時50分! いわき市の災害対策本部が、いわき市消防本部に設置されました!」
「市庁舎の1階部分の天井が一部落下し、床にヒビが入っています。危険ですので、一般市民の入庁を禁止します」
『3月11日、午後2時46分ごろ、地震がありました。最大震度は、7です。いわき市の震度は、6弱です。
震源地は、三陸沖、震源の深さは、およそ10キロメートル、地震の規模を示すマグニチュードは、8.8と推定されます。
なお、この地震の影響で、現在、大津波警報が出されています――』
「午後2時51分。いわき市内沿岸部全域に避難指示が出されました! 安全を確保し、避難誘導して下さい」
「物資確認! 病院等の受け入れ確認!」
『午後2時46分ごろ、三陸沖で強い地震が発生しました。
この地震により、大変高い津波が観測されています。
津波警報を発表している沿岸では、厳重に警戒して下さい。また、津波は繰り返し襲ってきます。警報が解除されるまで警戒を続けて下さい。
非常に強い揺れが広い範囲で観測され、家屋の倒壊などの被害が出ている可能性があります。また、揺れの強かった地域では、土砂災害や家屋の倒壊などの危険性が高まっている恐れがあります。余震による強い揺れに引き続き警戒して下さい――』
「津波の第一報は?」
「小名浜の津波観測点に設置されている計器が、津波の第一波により破損。計測が不能になりました」
「沿岸部は危険だ! ライフラインの確認は内陸部を優先しろ」
「沿岸部、高台から見える範囲では倒壊している模様。現時点での復旧は困難です」
「水道管破裂! 道路が冠水している部分があります」
「給水所からの送水を止めろ!」
「業者に協力依頼し、ライフラインの復旧を最優先に進める」
「道路でガスの臭いがすると情報が入りました。ガス漏れの恐れがあります」
「現場へ急げ」
「各家庭でガスが止まったと連絡が!」
「安全装置が働いて止まった可能性がある。確認する様にお願いしろ」
「JR、安全確保の為、全線ストップ。運行再開のめどは立っていません」
「高速道路、安全確保の為、緊急車両以外、使用禁止となりました」
「道路の空洞化が発生し、陥没した所が多数あります」
「範囲を確認し、通行止めや片側通行などに切り替える様に」
「道路工事の業者に連絡して、協力を依頼して下さい。酷い所から応急処置し、資材が揃い次第、復旧作業に入ります」
「午後4時30分! いわき市長が福島県知事に自衛隊派遣要請しました!」
当たり前の様に日々は過ぎていくものだと思っていた。
こんな事が起こるなんて、思ってもいなかった。
見慣れた風景が一瞬で様変わりする。
地面は、ある場所では液状化、ある場所はひび割れ、ある場所は土砂やがれきで通行不能。
車が重なり、通行を妨げる。
海を進む船が陸に打ち上げられ、原型のあるもの、ないものに関係なく横たわる。
追いうちの様に倒壊した街に火の手が上がり、類焼。炎の海に沈む。
何もない。いや、ある『何か』。どれが、誰のか、分からない。
どこかで、なにかが、爆発する。
どこかで、誰かを呼ぶ声が聞こえる。
「午後7時3分。政府が、東京電力福島第一原子力発電所について、『原子力緊急事態宣言』を発令しました」
なにが、起きているのか。
出てくる情報は定まらず、どれを信じればいいのか分からない。
テレビに流れる映像は、現実なのか。
目の前に広がる光景は、現実。
当たり前の様に日々は過ぎていくものだと思っていた。
こんな事が起こるなんて、思ってもいなかった。
この日、この瞬間。
当たり前だと思っていた『日常』が『非日常』に変わり、『非日常』が『日常』になった。
当たり前のものなど、ないのだと知った。
全ては、誰かの支えによって成り立っていたのだと知った。
人間の、善意も、悪意も、溢れていると知った。
嘘と真実の境目は曖昧なのだと、知った。
この世に、『絶対』はないのだと、思い知らされた。
2011年3月12日
東京電力福島第一原子力発電所1号機、水素爆発まであと15時間36分。
『非日常』は続く。
ありふれた非日常 七瀬美緒 @Mion
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