Never Change

くれそん

第1話

 ベランダから戻ると、ストーブが止まっていた。どうやら、ミヨは寝室に行ってしまったようだ。「酒が入るとそこらへんで寝だすから、先に寒くしておこうかと思って」とか言っていたな。今日は全然飲んでいないだろうに。


 俺も早く寝ることにしよう。夜更かしばかりするものでもないだろう。リビングよりも暖かい部屋で横になる。

 



 明晰夢といったか。夢を夢だと認識する経験はいつぶりだろうか。


 ミヨがあいつの隣で笑っている。本当に気に入らないと思っていた。幼馴染なのにあまりにも違いすぎて。


 金持ちの家に生まれ、頭もそこら辺の奴なんか足元にも及ばなくて、それでいて人並み以上にスポーツも嗜む。人生の勝ち組はこういうやつのことに違いないと何度思ったことか。俺はそいつに比べれば、何一つ勝っていることなんかなくて、悔しくて気に入らないけど誰よりも自慢の友人だった。


 「あいつがそうするから」そんな理由で高校を決めた。「勉強を見てもらえるから」そう言って家に入り浸ったりもした。一緒にやっているのに、俺の何歩も先を行くあいつの進路を知ったのはいつだったか。高校に入ったあたりから、勉強に少し力を入れ始めたような気がする。


 二年生になったころ、恋人ができたと紹介されたのがミヨだった。すごく美人って感じでもなかったけど、高校生には見えないほどに大人びて羨ましいと思った。恋人ができたから休日に遊ぶことは減ったけど、時間を作っては勉強を見てくれた。同じ年だってのにおかしな話だよな。


 あいつは医者になりたいと言った。「俺は人の役に立つ人間になりたい。」と言っていた。似合いの進路だと思ったよ。頭もいいし、自然と人に手を差し伸べる人間だったから。だけど、あいつは時間の作り方がうまいのかミヨとの関係も進めていた。いつか結婚するのかとか勝手に思っていた。


 高校三年のときかな、家でテレビを見ていると、電話がかかってきた。あいつの親父さんだった。おじさんは支離滅裂で何を言っているのかよくわからなかった。でも、病院に来いということだけはわかった。


 病院ではおじさんの名前を言うと少し奥まったところに案内された。今にも死にそうな顔をしたおじさんとおばさん、それとなぜかミヨがいた。何があったのかはなんとなくわかった。過労で倒れそうになりながら運転していた兄ちゃんに轢かれたらしい。ミヨを庇うようにして、車と塀に潰されたって。最後まで死に目に会わせてはもらえなかった。


 気が付いたら葬式が終わっていた。人生の多くの時間を共にしてきた友人の死はこんなにあっさりしたものでいいのか。涙一つ流れなかった。あいつの兄ちゃんに肩を叩かれ、ぎゅっと抱きしめられた。「いい友人を持ててよかった」そう言っていただろうか。


 そこで初めてあいつが医者になりたいと思った理由が聞けた。ばあちゃんが死んだ後に俺がしばらく落ち込んでいたかららしい。人はいつか死ぬのに、ばあちゃんなんて十分すぎるほどに生きたってのに、おかしなこと考える奴だよ。


 ミヨは俺より遥かに苦しんでいた。目の前で最愛の人が死ぬなんて18歳の彼女には耐えがたいことだったのだろう。それから数年引きこもっていたらしい。


 俺はそれからいっぱい勉強した。人生でこれ以上に勉強したことはないというほど。俺のために医者になりたいと言ってくれたあいつに、俺も同じ夢で応えられる気がした。今思えば、葬式が終わってからも涙一つ流せない薄情な自分を許すためだったのかもしれない。


 努力は報われる。この言葉は決して正しくないということを思い知った。勉強の成果がたった数時間に集約される。親に頼み込んで浪人させてもらった。予備校なんて行けないから宅浪だった。2年目もダメだった。3年目もダメだった。本当はもう医者になんか絶対になれないと思った。あいつの友人ではいられない気がした。


 ふらってあいつのもとを訪ねた。情けなく泣いた。お前ならもうとっくに行っているはずなのに。ミヨがやってきた。高校を中退して、引きこもりみたいなことしていたらあいつが命を張った甲斐がないって。だいぶやつれた顔をしていたけど、弱弱しく笑っていた。


 ミヨとは月に一回くらい会った。家ではあいつのことを言ってはいけない気がしてってミヨは言っていた。家のアルバムを持って行った。おじさんにアルバムを借りた。卒業アルバムを一緒に覗いた。あいつに許されるためじゃなくて、俺自身が追いつきたくて医者になることに決めた。4年かかった。


 ミヨも同じ大学に来た。「引きこもっている間に読んだものが身になるなんてね」そんな風に笑っていた。月に一回会うのはずっと続けていた。それが、月に二回になり、週に一回になり、週に二回になったあたりで告白した。


「一番は変えられないけど……いいなら」


 構いはしなかった。初めてあいつに負けるわけにいかないものができた。忙しさにかまけて破局しかけたり、親に紹介されたときはいい顔はしてもらえなかったり、いろいろな困難を一緒に越えてきたと思う。


 なんで今更こんな夢を見るんだろうか。




 翌日、出かける準備をしているとミヨが休みなんじゃと聞いてきた。


 久しぶりにあいつのもとに行くと言ったら、ミヨもついてくるって。昨日見た夢の話をしたら、そんなこともあったねって笑った。最近は全然話してなかったあいつのことで、車内は盛り上がった。


 デートのときはどうだったとか。男同士でバカなことをしていた小学生の思い出とか。そんな話は尽きることがなかったけど、近づくにつれて少しずつ言葉少なになっていった。


 買ってきた花束を挿して、墓石を洗ってやった。おじさんたちが丁寧に管理しているのか、汚れなんてほとんどなかったけど。手を合わせた。


「一番は変わらないなんて、そんな話もしましたね。すっかり忘れてました」


 ぽつりとミヨがこぼした。車内でも全く触れなかったことをなぜここで言うのか。


「どうかしたのか」

「確かに和也さんは二番手ですね」

「ひどいな」


 ぼっと空を眺めながら続ける。


「勘違いしないでくださいね。最近二番目に降格になったんですから」


 そうして、俺に満面の笑みを向ける。


「子供ができたんですよ。……達也さんにも話そうと思ってたところだったんですけど」

「大丈夫だ。きっとあいつは知っている」

「そうですね」


 どうやら、あいつに勝てるものが俺にもあったらしい。

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