遠い背中

立花 零

遠い背中



「いーのよ、あんたはそんくらいで」


 いつからか。いや、産まれた時からきっと、僕は期待されていなかった。

 いつも僕の前にいて、何をするにも優秀で、周りに気を遣うことができて。そんな兄がいたからこそ、僕は期待をされず育った。

 兄のせいで大きすぎる期待を背負ったりということはなかった。ただただ兄の後ろを追いかけるだけの僕には、誰も目をくれなかった。

「優、大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ」

 優しい兄だったから、恨むことはできないし、嫌いになれなかった。


「お兄ちゃんっっ!」

 そんな兄が交通事故で命を落とした。

 完璧で、隙など見せなかった兄は、飲酒運転の車にはねられた。少し後ろを歩いていた僕の目の前で。

 周囲の人たちの悲しみは大きかった。兄とは違う学校に通っていたから、兄と同じ制服を着る人たちのことは全く知らなかったけれど、悲しんでいることは伝わってきた。同級生だけじゃない。後輩も多くいた。

「優」

「新太くん・・・」

 唯一知っていたのは、兄がよく家に連れてきた親友の新太さんだけだった。新太さんは兄と同様僕に優しく接してくれた。敵わない兄を持つ僕に同情してくれていたのだと思う。


 兄のいなくなった家は、冷たく寂しかった。

 僕は兄のようになろうとした。勉強を頑張って、みんなに笑って、兄の弟として恥ずかしくないように。

 そしていつかは兄のようになって家族に明かりを戻せるように。

 でもそれは結局理想で、2番目に慣れてしまった僕が、兄のようになれるわけがなかった。

 兄は確かにみんなの中で生きていた。僕が越えることのできない存在としてずっとそこにいたのだ。そう思ってしまえば楽だった。超える必要はない。今までと同じように、追いかければいいのだ。

「無理してないか」

 兄がいなくなっても、新太さんはよく家に来てくれた。主に兄に学校であったことを話したりするため。そして僕の部屋に来て、様子を見る。

「何が?」

 新太くんは僕の心配をしてくれるけど、その心配がどういうものなのかがわからなかった。何に対して心配しているのかがわからなかったのだ。

 皮肉屋だろうか、こういう風に思ってしまうのは。

 やっぱり僕は兄にはなれない。兄は人の気持ちを疑ったりしなかっただろうし、誰かに心配をかけることもなかった。

 兄を追いかけることで更に僕の粗が見えてしまっていることに、自分でも気づいていた。だから周りは言うのだ。「あんたには期待していない」と。

 兄の通う学校は通える範囲内で一番頭の良いところだった。僕はそこを目指して必死に勉強して、落ちた。結局そこそこの進学校に進み、がっかりされていることに気付かないふりをしていた。

 無理と言われても追いかけたかった背中は今はもう見えない。見えなくなってしまった。見失ってしまったとだと思う。僕がついていけなかったから。


 ぎりぎりのところで生きていることに気付いていた。

 生涯の目標を兄としてしまっていた僕は、その目標をなくしたが為に生きている意味がわからなくなっていた。

 元々身動きの取れていなかった人生で、自分のものであるはずに、自分の思うように生きていけない。

 僕は兄を恨んではいなかったはずだ。むしろ好きだったはずなのに。


 チャイムが鳴った。授業が始まったのだ。それなのにこんなところにいる僕はやっぱり兄にはなれなかった。

 柵を超えると足がすくんだ。何をするにも怖いのだから今更だ。

 僕の命をつなぐ柵から手を離す。

 今、行くよ。これであなたの背中に追いつける。



「さようなら」










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