クレオンしんちゃん

兵藤晴佳

第1話

「しんちゃ~ん、しんちゃ~ん、ミルクのお時間よお……」


 ああ、また母ちゃん呼んでる。

 ミルク? いらない。酒がいい。

 

 ……ああ、どうぞ、一杯。


 悪いね、つきあわせちゃって。

 まあ、言葉が喋れるようになるまでは、どうやら、生まれてくる前の記憶があるみたいで……聞いてもらいたくてねえ。

 いや、俺、許してないから、あいつ。


 いやだからさあ、なりたくなかったんだって、そんな、トップなんかにね。

 もともと俺、気楽な立場だったの。

 だって、王様のお妃の弟だぜ。

 わかる? この国のナンバー2よ、ナンバー2! 

 それなのにさあ、追い出されちゃったわけ、王様に。

「ワシの地位を狙ってるだろ」って。

 冗談じゃないよ。

 地位も名誉も財産も、王様の持ってるものは99.99%あるの、俺。

 で、ないのは責任だけ。

 おいしいでしょ、ね、めっちゃおいしいでしょ?

 なんでこんなポジション手離すことあるの?

 いや、俺もさあ、真剣だったのよ。ナンバー2としてはさ。王様助けなくちゃってさ。

 だって、ね、知ってる、あの大飢饉。

 太陽神のお告げ聞いてきたのよ、どうしたらいいかって。

 そしたらさあ、「父親殺して母親との間に子供こさえたヤツがいるから、祟りが起こったんだ」って。

 その前のスフィンクス並みの国難だよ。ほら、勝手に謎かけてきてさ、解けないとそいつ食っちゃうっていう。

 あんときはさ、放浪の若者がやってきて、謎解いてスフィンクス倒して、で、前の王様のお妃だった俺の姉ちゃんと結婚したってわけ。

 それが最後の、今の王様。

 え、俺? 

 俺、摂政ね。ずっと。王様なんかなる気ないの。意地よ、意地。


「あら、しんちゃん、お眠かな~?」

 抱き上げんなって、母ちゃん。

 笑うなよ、俺をここに生まれ変わらせたの、アンタだろ? ねえ、神様?

 ……ああ、母ちゃん、やっと寝かせてくれた。


 でさあ、あ、飢饉の話ね。盲目の予言者連れて来てさ、占ってもらったわけ。

 そしたらさあ、「そりゃ王様だ」って。

 あの王様プライド高くってさあ、自信過剰でさあ、俺がそいつと組んでるって決めつけて……。

 思い込みが激しいにも程があるんだけど、言うことに妙に筋が通ってるんだよね。

「前の王様が殺されたとき、犯人は捜したのか」

 もちろん、探したんだけど、それ言ったらこうだよ。

「じゃあ、なぜあの予言者の知恵を借りなかった。こんなふうにすぐ見つかったのではないか」

 あのね、人間、切羽詰まると何もできなくなることって、あるじゃない。そんときもさ、そこまで頭回んなかったんだよね

 でも、そんな言い訳する間もなく、はい追放。

 もう知るかと思って出てったらさあ、王様、探偵ごっこなんか始めちゃって。

 ウケるでしょ、マジ受けるでしょ?

 で、蓋開けてみたらやっぱり自分が犯人。

 スフィンクス退治のお告げ貰いに行った前の王様、ものの弾みで殺っちゃったらしい。

 ショックで姉ちゃん、死んじゃうしさ……。

 で、今の王様、自分で自分を追放しちゃった、とこういうわけ。

 俺もさあ、じゃあそうしてくださいって言わないわけにいかないじゃない。


 ……あ、どもども、いえ恐縮です、では、呑んだつもりで、返杯したつもり。赤ん坊なもんで、すんませんね、どうも。


「しんちゃん、おイタなんかしてないでしょうね、ミルクも飲まないで!」

 だからさあ、酒呑みたいんだって、本当は! 

 こんなところに生まれ変わらされてさあ……。

 深刻な話してるんだから、ちょおっとあっち行っててくんないかな、母ちゃん。

 ……ああ、行ってくれた。ミルクの準備かねえ。


 でもね、でもね、トップに立っちゃったらそりゃあ責任感じますって。

 だって、国ひとつ預かっちゃったんだもの、ダメだよ、言ったことはやんなくちゃ、示しつかないもん。

 とにかく、あいつ死刑ね、確かに俺の孫なんだけど……なんていうの、息子が、その、又姪まためいとの間にこさえた子供は。

 又姪って、兄弟の孫娘のことね。

 だってさ、もとはといえば、死んだ姉ちゃんの息子で旦那っていう、あのメンドクサイ男の子供らがケンカ始めたからいけないんだよ。

 王様になろうとして。

 いやね、俺の姉ちゃんの旦那だった息子が、って、ああ、ややこしい。

 とにかくそいつがさ、もう、そいつでいいや、兄貴でもなけりゃ甥でもないからね、もう。

 出ていく間際に、上の兄弟そろって知らん顔したわけよ。

 止めてくれれば俺だってさあ、引き留めたのに。

 怒ったねえ、出て行くって言った本人がさあ、言うわけよ。

「お前ら、剣を取って殺し合う仲になるぞ」

 本当にそうなっちゃった。

 恐ろしいね、去り際死に際の呪いっていうのは。

 俺も間に入ってさあ、苦労したんだよ、結構。

 摂政だし。

 で、とりあえず、兄弟順で王様になることにしたんだけど。

 先に王様になったほうが、玉座を明け渡さないわけね。で、弟のほうは納得がいかない。

 で、結局、戦争。

 男兄弟で刺し違えて死んじゃってさ。

 1人ぐらい生きてろって、俺が政治やんなきゃいけなくなるじゃん!

 仕方ないからとりあえず、「ケンカするヤツぁ犯罪者」ってルール作ったんだけど……。

 又姪が言うこと聞かないんだなあ、これが。

 ほっときゃいいのに、死んだ兄弟の葬式なんかしてやってさあ。

 「だってお兄様がた、かわいそう!」……だってさ。


「しんちゃん、まだ寝てる?」

 分かってるよ、母ちゃん、それも家族の情だって。

 でも、俺の意思じゃないんだし放っといてくんない?

 ……ああ、走ってった。ミルク湧いてんだな、たぶん。


 やりたかなかったけど、この理屈流行るとたいへんでしょ?

 かわいそうで済んだら裁判要らないじゃない。

 これってさ、一応、国家に対する反逆でしょ?

 こっちは退けないわけよ、責任があるから。

 で、向こうも退かないわけ。

 みんな止めるし。

 俺が連れてきたあの預言者までがさあ。

「神々はお怒りじゃあ! 生贄も受けては下さらん! どうか、命だけは!」

 しゃあないから地下牢閉じ込めて済まそうと思ったのよ。


 ……あ、形だけね、形だけ。

 そのうち許してやろうと思ってたらさあ……。

 デキてたわけよ、俺の息子と! 死んだ姉ちゃんが産んだ息子の娘が!

 あのバカ息子、何て言ったと思う?

「民はみな、父上を恐れて何も言わぬだけで、彼女を助けよと陰では申しております」

 何? サイレントマジョリティーってヤツ。

 じゃあ、俺、独裁者?

 そう言われてさすがに凹んだけどな、こっちが頭下げるいわれはない。

 だってあの息子、連れて逃げやがったのよ、その女連れて!

 で、それから15年、音沙汰なし。


 ……あ、大丈夫、大丈夫、このくらい。酔ってません……よおって、ま……せんて!


 わかるでしょう? わかるでしょう、あいつ許せないの。

 あいつって誰? 決まってるじゃない、あいつだよ。

 ほら、戦争やっちゃってさ、民にも悪いと思ったからさ、やったじゃない、あの、スポーツ大会。

 ひとりいたでしょ、あの、めっちゃくちゃ強いの。

 走れば5人10人平気でゴボウ抜きするし。

 円盤も槍も、投げさせたらフィールドの外まで飛んでくし。

 取っ組み合いさせれば秒殺するし。

 ここまで完璧な男、そうはいないよね。

 ピンときたね、俺の孫だって。

 孫でいいんだよね、孫で。俺の子供の子供なんだから。

 俺の姉の息子の娘の子供なんだから、ええと……考えるのやめよ。

 とにかく。

 最後は助けてやろうと思ってた女と勝手に出てったバカ息子のそのまた息子!

 知ってたんでしょ、あんた、ね、神様! バッコイの神様!

 あのさあ、俺ね、恨みつらみで人殺したりしないの、そんな男に見える? 俺が。


 ……見える? ひどいなあ。


 俺、あのオイディプス、父親ライオス殺して母親イオカステと寝て子どもこさえた男に無実の疑いかけられてもさ、弁解はしても恨んだりしてないからね。

 それが理性(ロギキ)ってもんでしょう? 

 ポリュネイケース、あの我慢の足りないケンカ小僧、あいつを城壁の外に放っとけって言ったのは、憎いからじゃないからね、反逆者だったんだからね。

 それが人の法(ノモス)ってもんでしょう?


……え? ダメ?


 確かにさ、アンティゴネーのは仕方ないかもしんないよ、兄妹の情だから大目に見てやれってのも分かる。でもさ、それじゃあ国が……。

 それが神の法(ピュシス)だって言われても、納得しないよ、俺。

 だって、責任ってものがあるもん。


 ……え? だから俺、ここに? 生まれ変わり?


 いや、確かに責任ないけどさ、赤ん坊だし。究極の無責任年齢層だし。

 でもね、責任取らなくていいっていうのと、最初から責任がないっていうのは、なんか微妙に違うわけよ。

 だいたい、俺をこうやって転生させたら、誰がテーバイ治められるの。

 俺の息子のハイモーン? 無理無理無理。


  ……マイオーン? アンティゴネーの息子? 俺の息子の息子?


 そ~いうことですか、よっく分かりました。

 俺もあの男と同じだったってことね。

 姉ちゃんに子供4人も産ませた息子、オイディプスと。

 やってくれたねバッコイの神様、運命っていうのはそういうもんかい、確かにあの男も、逃れられないわけだ。

 それなのに、怪物スフィンクスを倒した知恵をひけらかしてあの始末。

 たかだかテーバイの人間を治めるのがやっとの俺がどうこうできるわけもない。

思い上がりをバカにしてたヤツの思い上がりってわけですか。

 すっぱりと諦めて、神の法に従いましょう。


「しんちゃ~ん、ミルクのお時間よお……」

 ああ、母ちゃんが呼んでる。そろそろ返事をしてやりましょうか。

「あ~い!」

 喋った喋ったと大騒ぎするのを聞きながら、俺は薄れていく前世の記憶に告げた。

「あばよバッコイ、あばよ……」

 それでも、自分の名前には未練がある。

 クレオン。摂政クレオン。王妃イオカステの弟、オイディプス王の弟にして甥。

 一度たりとも、私利私欲のために権力を用いたことのない、テーバイの統治者。

 もう少し、自分の名前と暮らしてもいいか。

 本当に記憶がなくなるまでは、とりあえず、過去と現在の両方の名前、くっつけて名乗ることに……そうだな。

 クレオンしんちゃん、っていうのはどうだろう。

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クレオンしんちゃん 兵藤晴佳 @hyoudo

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