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昭和四十六年


 怪人とは、人とは異なる者、つまり異形を示す言葉である。

 この言葉に則った場合、現在採石場を駆けまわるこの生物は、怪人の中の怪人と呼べた。

 人型でありながら、頭は黄金色のたてがみを持つ雄獅子。凶悪な爪を持つ左腕が獅子の腕ならば、右腕は蛇そのもの、毒液を牙から滴らせる大きなコブラが肩より生えている。

 右半身は蛇の鱗、左半身は獅子の毛皮。きっかりではなく、まだらになっている獣毛と鱗。まだらは下半身から両足まで続いており、混ぜこぜさが更なる異様さをかもし出している。

 人と獅子と蛇と、三種の生き物が入り混じった、この奇妙な生物は現在満身創痍であった。

「ガァァァァァッ!」

 咆哮と共に、左腕の蛇が鞭となり振るわれる。

 錆びついたショベルカーのアームが、容易く寸断される。だがショベルカーは、彼の狙った標的ではなかった。

「ありえん、ありえん……」

 獣の口から漏れる、人の言葉。ムチとして使えば鋼鉄をも寸断するコブラが捕まえられ、手刀により断ち切られてしまった。シュワシュワと、泡のような液体が傷口より吹き出す。

「この俺様が、旧型なんぞに――」

 ベルトのバックルが、自身の血で汚れている。巨大なバックルに刻まれた獅子の頭蓋骨に渦巻く蛇の紋章は、彼の誇りであり、忠誠を誓う組織の証であった。

 今、彼が相対しているのは、その組織を裏切った男。旧式の改造人間である。

 裏切りの改造人間、クロス。組織より力を授かっておきながら、脱走の末に反逆、数々の刺客を葬り、組織に多大なる損害を与えた男。そんな忠誠心もなく力も劣る旧型に、組織からの信頼も厚い新型の自分が、負けるはずもない。

 だが現実は、怪人の夢想と真逆のところにあった。

「終わりだ! とぅ!」

 クロスは掛け声とともに、空高く跳躍する。

 これからクロスが何をするかわかるのに、満身創痍のライオコブラは動けなかった。

「ありえねえ。ありえねえぞぉぉぉぉぉッ!」

「クロスキィィィック!」

 ライオコブラの胸に直撃する、クロスの強烈な飛び蹴り。

 裏切り者の必殺技クロスキックが毛皮も鱗も破壊し、現実を認めぬ怪人の心臓部に突き刺さる。数々の同胞を死に追いやった、強烈無比な飛び蹴りが、今日もまたこうして怪人めがけ炸裂した。

 怪人は採石場の急斜面を転げ落ち、崖下で大爆発する。

崖上で敗者を見下ろす裏切り者の、いや、正義の味方のマフラーが爆風で揺れた。


 こうして怪人ライオコブラは敗れ、彼の指揮していた東京ズダズダ作戦も失敗に終わった。



平成三十年


 目が覚めた時身体を覆っていたのは、冷たく臭い水の感触であった。

「グボ、グボボボ!?」

 臭せえ! と思わず叫ぶが、水中では言葉にならない。むしろ口につけられていた空気吸引器が外れてしまって、更に臭い。臭さが、体内を侵食してくる。

 本能のままに爪を振るい、強化ガラスを破壊する。ドロリとした液体と共に、自身の身体が外に流れ出た。

「あー……死ぬかと思った……むしろ俺様、死んだんじゃなかったっけか」

 記憶通りならば、採石場の戦いにて、裏切り者のクロスに敗北。大ダメージを負って、爆死したはずだ。

「お前も覚えてるよな?」

 ライオコブラは、自身の右手代わりのコブラに話しかける。意思を持ち自立行動も可能なコブラは、肯定するようにピコピコと頭を縦に振った。右腕のコブラも、あの時クロスのチョップで断ち切られてしまったはずだが、問題なく再生されていた。

 ライオコブラは、自分が閉じ込められていたカプセルを確認する。それは、治療用のカプセルであった。

「おかしいな。なんで俺様、治療用のカプセルに入れられてたんだ?」

 敗者に権利を与えるべからず。どんな期待の怪人でも偉い大幹部でも、敗北後はすべてを奪われる。それが、組織の掟であった。

 敗者は生前の地位に関係なく、組織最下位の構成員である戦闘員同等の“再生怪人”というカテゴリーに入れられる。再生怪人となれば、記憶も能力も雑に治療され、捨て駒扱いだ。

 それなのに、ライオコブラは記憶と思考を持ったまま、ちゃんとした治療用のカプセルに入れられていた。

 いくら組織のシンボルであるライオンとコブラの合成怪人と言っても、既に敗者として期待を裏切ってしまった身だ。なぜ、ここまで優遇されたのかが、わからない。

「ううむ、どうやら俺様は、自分が思っている以上に、優秀で期待の怪人だったらしい……」

 ライオコブラは、ポジティブな怪人だった。

「そんな優秀な怪人を治療するにしては、この施設、ショボすぎるよなー」

 切れかけの灯りが、チカチカと光っている。空気はかび臭く、下水のような治療液も交換された形跡がない。部屋の行く先も階段一つしかなく、基地の一室と言うより、単なる隠し部屋だ。

「おい、誰かいないのか!?」

 叫びながら、階段を登っていくライオコブラ。細く長い階段をしばし登ると、赤黒い鉄製の扉が待ち構えていた。

 小さなノブを回そうとするものの、爪付き肉球の左手では上手くいかない。右手のコブラに回させようとしても、つるつる滑る上に、錆びついたノブに噛みつくことを嫌がっている。

「めんどくせぇぇぇ!」

 我慢の限界を超えたライオコブラは、ドアを蹴り破る。脚力自慢の怪人ではないが、それでもちゃんとG馬場数百人以上の脚力は持っている。

 外に出たライオコブラ。蹴り砕いた扉の破片と一緒に、コンクリート片が転がっていた。

「人様が中にいるのに扉を塗り方めるとはなあ。ったく、俺様をなんだと思っているんだ」

 扉は外より、コンクリートで固められていた。これではいくらノブを回しても、無駄だったろう。

 外に出たライオコブラの目の前にあったのは、停車した車だった。特に何も考えず、ライオコブラは車を投げ飛ばす。

 ウァンウアァンウァンウァン!

「うるせー!」

 衝撃で警報装置が鳴り始めた車を、ライオコブラは爪で切り裂く。両断された車の爆発に巻き込まれるものの、ライオコブラは微動だにしていなかった。

「んだ。あの音は。車が鳴き声上げて、どうすんだ」

 に……に……。

 ライオコブラの聴覚が、何者かの鳴き声を捕らえる。音は周りの、沢山停まっている車の間を反響していた。人の声のようで、獣の嗚咽のようで。不気味で、仕方のない声だ。

 いぶかしむライオコブラの前に現れたのは、一人の薄汚れた女子高生だった。

 黄色いセーターに、チェックの短いスカート。髪を茶色に染め、日焼けサロンで焼いたガングロの肌。動く度に、ポケットからはみ出た沢山のストラップが、じゃらじゃら鳴っていた。

「……ずいぶん前衛的なファッションだな」

 人間で無いライオコブラに、バケモノ扱いされる女子高生。

ずっと眠っていたライオコブラから見れば、つけまつ毛やマスカラをゴテゴテに使った女子高生ファッションは、奇抜すぎて困る。

「に……」

 先ほどの不気味な声は、目の前の女子高生の口から漏れていた。

「に……く……にくぅ……にく! にく!」

 虚ろな目に、光が宿る。その目にあるのは、食欲。

 女子高生は、今までの緩慢さが嘘のような速度でライオコブラに近づくと、その脇腹に食いついた

 がじがじと、女子高生は何度もライオコブラの腹に噛みつくものの、ライオコブラに傷どころか、肌に噛み跡すらつけることが出来なかった。

「よくわからねえがよ」

 ライオコブラの右腕代わりのコブラが、大きく伸びてしなる。湾曲した蛇は、腹に食いつく女子高生の喉に噛みつくと、たやすく身体を引き剥がし、自身の頭上高く持ち上げた。

「食うか食われるかの勝負をしてえんなら、俺様は強いぞ? むしろ、強すぎる」

 蛇の噛み口から、血が垂れてくる。ごくごくと、喉を鳴らす蛇。ライオコブラは腕の毒蛇を介し、女子高生の生き血を吸っていた。張りのある若い肌が、水分を失いカサカサと枯れていく。

 ライオコブラのエネルギー源は、女の生き血であった。なんだか頭のおかしいやつだが、一応は鴨が葱を背負ってきたようなものである。

 ライオコブラは久方ぶりの生き血を、存分に楽しもうとしていた。

「!?」

 ニヤついていたライオコブラの顔が一変し、唐突に女子高生の身体を放り出す。干からびた女子高生は、停車中のバスにぶつかった後、動かなくなった。

「なんつーマズい血だ! くさやを煮詰めて、その汁を一気飲み……いや、もっとヒデえ!」

 あまりのマズさにゲロを吐くコブラさすっているうちに、ようやく、ライオコブラは周囲のおかしさに気づいた。

 今、自分がいるのは、どこかのトンネルの中。決して、駐車場ではない。それなのに、たくさんの車が停まっている。それも、乱雑に。何かがあって、この車の運転手たちは車を捨てて、何処かへ行ってしまった。では、何があったのか――

 軽自動車が腹に突っ込んでいるスクールバスから、こぼれ落ちてくる女子高生たち。窓やドアから、ぼたぼたとこぼれ落ちてくる。

先ほどの女子高生と同様の制服、そして同様の食欲を宿した彼女たちは、ライオコブラめがけ殺到する。

「にく! にく!」

「にくぅ! にくぅ!」

 血走った目、血で汚れた口。ライオコブラは、彼女たちに背を向け、逃げ出した。

 負ける道理はないが、いかんせん状況が分からなすぎる。ここが何処かも、今が何時かも、そして一体なにが起こっているのか。

 わからぬまま、このむき出しの食欲と狂気に立ち向かう気は流石にわいてこなかった。

 停まったままの車を弾き飛ばす猛ダッシュで、ライオコブラはトンネルの出口にたどり着く。トンネルの先は、都会。ライオコブラがいたトンネルは、東京を縦横無尽に走る車道の一部であった。

 街が赤い。

 あちこちで炎があがり、ガラスが割れ、いたるところが血に塗れている。逃げ惑う人々と、追う人々。追う人々の目に宿るのは、食欲。首筋や脇腹と、柔らかい部分にしゃむに食らいつく。まるで、野生の獣であった。

 ライオコブラが目にする数十年ぶりの東京は、人が人を喰らう、地獄絵図――

「マジかよ……俺が何もしなくても、東京がズタズタじゃねえか」

 自分がかつて挑み失敗した東京ズダズダ作戦。もしその作戦が成功していたとしても、こうはなっていなかっただろう。ここまで全てズダズダになってしまっては、征服の意味がない。

 組織の目的は、世界征服だった。蘇った以上、組織の一員であるライオコブラもその目的に準じるべきなのだろう。

 だが、しかし。

「世界征服してる場合じゃねえ……!」

 この状況、本格的な世界の崩壊を目にしたライオコブラの答えであった。

 背後のトンネルから、ライオコブラが餌としか見えない女子高生たちが飛び出してきた。

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